「霊に燃え、主に仕え」
(ローマ12:9-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはローマ教会の人々に、奉仕において「熱心で、うむことなく」と勧めます。こう語るのは、私たちが主に対する奉仕において、疲れてしまう、嫌になってしまうことがあるからです。苦難を経験すると、信仰者であっても信仰生活の疲れを覚えるものです。
 そのような私たちに、「霊に燃え、主に仕え」とパウロは勧めます。主に仕えることにおいて、熱心さが失われ、心が冷めてしまうことがあるからです。自分が熱心に奉仕しているとき、私たちは他の人の姿が気になります。自分ばかり熱心に奉仕して、他の人が怠けているように思えてしまうのです。そうなると、自分だけ損をしているかのように思い、心が冷めてしまうことがあります。
 熱心に励むようにとパウロは勧めますが、これは短距離走を走るような熱心さを勧めるのではありません。そのような走り方は、途中で息切れしてしまいます。私たちの信仰生活は、マラソンを走るようなものです。神のもとに辿り着くまでの長距離を走り続けるためには、私たちは誰に仕えているのか、主人は誰かということを忘れないでいることです。私たちが仕える主イエスを見つめ続けることです。
 そのとき、仰ぐ主によって命が与えられます。それは、主ご自身、私たちのために熱心に仕えてくださった、その恵みを知るからです。十字架で命を捨てるほどに、私たちのために熱心に仕えてくださった主の恵みを知らされるからです。そのとき、エマオの途上の弟子たちが、「心が内に燃えたではないか」という経験をしたように、私たちの冷めて心も温かくされます。世の終わりまで主に仕えていきる喜びの中を歩ませていただく者とされるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)