「いま始まる、新しい神のわざ」
(イザヤ43:14-21)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 神の民イスラエルは神に背き続けたために国が滅び、指導者たちはバビロンへと連行されました。捕囚の身となった最初のうちは、神がまもなく国を復興してくださるとの期待を持っていましたが、時間が経つうちにその期待は薄れ、人々の心は空しさで覆われていきました。
 将来に希望が持てなくなると、人々は過去の歴史に慰めを求め、イスラエルにとっての救いの原点である出エジプトの奇蹟を繰り返し思い起こしました。けれどもそれは、自分たちをエジプトの国から救い出してくださった神が、このバビロンからも救い出してくださるに違いない、というのではありませんでした。かえって、出エジプトの奇蹟を起こしてくださった神が、今は何もしてくださらない、と不満を表明するようになっていました。
 そのような民に対して、預言者は驚くべき神の言葉を語ります。あなたがたは、さきの事、すなわち、出エジプトの奇蹟ばかりを思い起こすのはやめなさい、と。神による新しいわざに期待するためには、過去との訣別が必要でした。その上で、「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる」と告げられました。出エジプトのときとは異なる、全く新しいわざを神ご自身が行ってくださるというのです。しかも、そのみわざはすでに始まっていると言われます。それは、人間の力が尽きたときにこそ始まる神のみわざでした。
 今も、私たち信仰者がその信仰に疲れ、自分たちの側の可能性が尽きたようなとき、神はそこから新しいみわざを行ってくださいます。この神の言葉に励まされ、私たちは前に向かって歩みを進めていくのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)