「仰ぎ見て生きよ」
(民数記21:4-9)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 厳しい荒野の旅を続けていた民は、食べ物がないと言ってつぶやきました。毎朝神が天から降らせてくださるマナが与えられていながら、「この食べ物には飽き飽きした」と不平を言ったのです。神は怒りを発し、へびを彼らのもとに送られました。咬まれた者たちはその毒が回り、焼け付くような傷みと高熱で苦しみながら、次々と死んでいきました。
 民は自分たちの罪を悔い、モーセに助けを求めました。モーセが主にとりなしの祈りをささげると、主はモーセに、ヘビの像を造り、それを竿の上につけて掲げるようにと命じました。そして、「すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」と約束されました。
 モーセは主の命令に従い、青銅でヘビの像を造り、それを竿の上に掲げ、「このヘビを仰ぎ見る者は生きるであろう」と告げました。ヘビは忌み嫌われる神に呪われた動物であり、これを神として拝むというのではありません。命を約束された主の言葉を信じて、ヘビを仰ぐという信仰を求められたのです。そして、主の言葉を信じて上げられたヘビを仰いだ者たちは、約束のとおりに生きることができました。
 後に、主イエスはこの出来事を引き合いに出しながら、「人の子も上げられなければならない」と言われました。その言葉のとおり、やがて主イエスは神に呪われた者として十字架に上げられ、信仰をもって仰ぐ者たちを救う道を開いてくださいました。一緒に十字架につけられた強盗も、十字架の主イエスを信じて仰ぎ、救いを約束されました。今も、十字架の主イエスを仰ぐ者たちは、命に生きることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)