「キリストの血による救い」
(ローマ3:21-31)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロは、「神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた」と語ります。「立てて」とは、キリストをこの世に遣わされた、ということです。神が人となられたクリスマスの意味を語っています。
 供え物とは、普通は人間が神にささげるものです。ところが、犠牲を受け取る側の神が、人間のために供え物を用意されたというのです。「あがないの供え物」と訳されている言葉は、本来、贖罪所と呼ばれ、至聖所にある契約の箱の上蓋を指します。年に一度、大祭司は動物の血を携えて至聖所に入り、契約の箱の上蓋にその血を注ぎました。その血によって民の罪が赦されると神が約束しておられたからです。
 ところが今、神は御子キリストを旧約に代わる新しい贖罪所とされたというのです。「その血による」とパウロが語るように、主イエスは十字架で血を流されることにより、罪の赦しを得させる新しい契約、新約を立ててくださいました。それにより、滅ぼされるべき罪人を救うという神の義を示されました。
  私たちの神がそのようなお方であると分かるとき、私たちの内に信仰が生まれます。それは恵みを恵みとして受け取る信仰です。それゆえ、私たちの側には何一つ誇るべきものはありません。ただ、私たちのために十字架で血を流し、救いを成し遂げてくださった御子キリストだけを誇ります。
 律法は、自分が何をしたかを見なさいと迫ります。福音は、神が私たちのために何をされたかを見なさいと勧めます。どんな人も、この恵みの契約へと招かれているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)