「小さな殉教を重ねて」
(ダニエル3:13-18)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 74年前の今日、6月26日、全国のホーリネス系の教会に対する弾圧事件が起こり、教会は解散を命じられ、多くの牧師たちは検挙され、投獄され、獄中死した者たちも出ました。
 このダニエル書には、そのときと同じようなことが起こっています。金の像を造らせたバビロンのネブカデネザル王は、すべての国民に対してその像に向かってひれ伏すように強要しました。国民を掌握するのに宗教の力を利用したのです。
 ところがこのとき、ユダヤの地から捕囚民として来て王に仕えていたシャデラク、メシャク、アベデネゴの3人の若者たちは、王の命令に背き、金の像に向かってひれ伏すことをしませんでした。怒った王は3人を呼び寄せ、命令に従わない場合は燃える炉の中に投げ込むと脅し、偶像礼拝を強要しました。しかし、3人は王の圧力に屈することなく、断固として偶像礼拝を拒否しました。このため、王によって燃える炉の中に投げ込まれることになりました。
 「たといそうでなくても」と述べて、偶像礼拝を強要する王の命令を退けた3人の若者たちの言葉を前に、私たちは立ちすくむ思いです。自分の身に危険が及んだ場合、信仰を明確に告白することを躊躇する思いが生まれてしまう弱さを持っていることを自覚しているからです。
 主イエスが捕らえられたとき、やはり自らを守るために主を否定してしまったペテロに対して、復活された主は3度、「私を愛するか」と問い、「私に従って来なさい」と言われました。つまずき倒れてしまう者たちをなおも捨てない主がおられます。私たちは何度でも立ち上がり、主に従って行きたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)