「主の日を安息の日として」
(出エジプト20:8-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 十戒の第四の戒めでは、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」と主は語られました。そして、神が定められた安息日にはすべての働きを休むようにと命じられています。すべてのわざを休むのは、ただ何もしないでじっとしているためでなく、神の御前に出るためです。安息日は、私たちの造り主である神の前に出る日、礼拝をささげる日です。それは神のもとに帰ってくる日と言えるでしょう。主が私たちに、「わたしのもとに帰って来なさい」と招いておられるのです。
 そこで問題となるのは、私たちにとって、神のふところが安息の場となっているか、ということです。神ご自身が、私たちにとって慰めや安らぎの存在となっているか。最初の人アダムがそうであったように、神の前に出ることが私たちにとって恐れになることがあります。罪のゆえに、自分は神の前に出ることなどできないと思ってしまうのです。神に裁かれるに違いないと思い、神の前に出る礼拝が、安息をもたらすよりも、苦痛とさえなってしまいます。
 しかし、もともと神の前に出る資格のある人など一人もいません。その資格のない者たちを招くために、御子イエスがこの世に降ってきてくださいました。あの十字架によって私たちをとりなし、神に近づくことができる者としてくださいました。このキリストの命をかけたとりなしのゆえに、私たちは神の前に安心して帰ってくることができるのです。
 主は毎週、「わたしのもとに来なさい」と私たちを招いておられます。こんな罪人をも受け入れてくださる神がおられるからこそ、安心して神のもとに帰ることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)