イスラエルの民が神に礼拝をささげるために、妨げとなっている罪を取り除くための贖いのわざが必要でした。聖所では、毎日、祭司によって動物の犠牲がささげられました。
そして、一年に一度の大贖罪の日には、大祭司が至聖所に入り、すべての民の罪のために贖いのわざを行いました。まず自らの罪のために犠牲をささげた後、二頭の山羊を用意し、くじに当たった最初の山羊を殺してその血を取り、大祭司はその血を携えて至聖所に入り、贖罪所に注ぎました。血を流すということは、命をもって罪の償いをするということです。人間の代わりに、動物が犠牲となり、その血が注がれました。
次に、もう一頭の山羊を連れて来て、大祭司はその頭の上に両手を置き、イスラエルの人々のあらゆる罪を告白しました。それは、民の罪を山羊の上に移して負わせることを意味しました。その上で、その山羊を殺すことなく、遠く荒野へと放ちました。「アザゼル」とは、除去するという意味であり、罪を負った山羊を荒野へ放つことにより、民の中から罪が取り除かれたことを意味しました。これは、先に犠牲としてささげられた山羊による贖いのわざの意味を見える形で表したものでした。
御子イエスが現れたとき、バプテスマのヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と紹介しました。主イエスは私たちの罪のために、大祭司となり、自らの命を犠牲としてささげられました。これにより、私たちの罪のために贖いのわざは成し遂げられました。このわざはもう繰り返される必要はありません。主の十字架の贖いにより、私たちは大胆に神に近づくことができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)