「永遠のいのちに生きる」
(第一ヨハネ5章6~13節)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ここでは、御霊と、水と、血とによる神のあかしが語られています。水は主イエスの洗礼を、血は主イエスが十字架で流された血を指し、神の御子が、私たち罪人の仲間になられたことをあかしします。それは、私たちに永遠の命を与えるためでした。神は、御子イエス・キリストを信じる私たちに、永遠のいのちを賜った、とあかししています。
 神のあかしは、私たち一人一人への愛の言葉です。愛の言葉は、受け入れるか拒むかの応答を求めます。しかし私たちは、永遠のいのちの価値よりも現実の問題の方が大きく思え、神のあかしを喜んで受けいれられないのです。そんな私たちに御霊は、主イエスが水と血とを通って私たちのところに来て下さったとあかしします。神の御子が、罪人が受ける洗礼を受けて下さり、私たちの罪を背負って十字架に血を流して下さいました。こうして、痛みや苦しみの多い私たちの生活の中に、失敗を繰り返す私たちの弱さの中に、罪を抱えた私たちの心の中にまで来て下さり、ご自分のいのちを私たちと分かち合って下さいました。
 永遠のいのちとは、主イエスご自身です。御子を信じる者は、永遠のいのちである主イエスを、私のものとして持っているのです。主イエスは、私の主、私の神、誰よりも親しい私の友です。永遠のいのちに生きるとは、死んだ後だけでなく、今ここで、主イエスとの親しいいのちの交わりに生きることです。私たちは一人ではありません。水と血とを通って私たちのところに来られた主が、私たちの痛みや弱さをご存知の主が、いのちの源である主が、いつも私たちと共にいて下さるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)