2012年 8月~9月牧会日記

植木鉢  8月 3日(金)(写真はこちら

「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである」(伝道の書11章1節)

 5日(日)から6日(月)にかけて行われる私たちの教会のCSキャンプを前に、祈祷会では上記の聖句を開きました。教会はしばしば、この聖句を伝道の働きに適用して味わってきました。教会の伝道の働きは、効率や生産性という世の中の発想からすれば、全くのムダと思えるような働きばかりです。そのために、働きに疲れ、途中でやめてしまいそうになる誘惑にかられます。そのような私たちに、「あなたのパンを水の上に投げよ」と勧められます。諦めることなく、たゆむことなく、命の糧である神の言葉を語り続けよ、というのです。この勧めには、一つの約束が与えられています。「多くの日の後、あなたはそれを得るからである」。「多くの日の後」とあるように、伝道の成果、結果というものは、なかなかこちらの願いとおりには出ないことがあります。けれども、神は「その働きはムダには終わらない」と言われます。そのような神による励ましの言葉があるからこそ、一見ムダにも思えるわざを続けていくことができます。
 今年も例年のように、ドミニコの家を会場にCSキャンプが行われます。今年は参加する子どもたちがちょっと少なく、奉仕して下さる方々のほうがずっと多いキャンプとなります。労が多いわりには、その報いは決して多くはない、そのような働きです。けれども私たちは、キャンプに参加する子どもたちが、あるいは教会学校、ゲンキ・キッズ・クラブに集う子どもたちが、いつの日か教会につながり、信仰を持つに至ることを祈りつつ、「パンを水の上に投げる」ような働きを続けたいと思います。愛する子どもたちのために、大人の私たちがこのような働きを続けることができるのは、救い主イエスが私たちのためになして下さった最大のムダを知っているからでしょう。神に背く私たちのために、主イエスは十字架で命を捨てて下さいました。これ以上のムダはありません。けれども主は、私たちを愛するゆえに、喜んで命を与えて下さいました。この大きな恵みが分かるとき、私たちの働きには、ムダな奉仕など一つもありません。主の恵みに感謝して、喜びをもってムダのように見える働きを続けることができるのです。
 CSキャンプの上に、主の祝福が豊かにあるようにと祈ります。


植木鉢  8月 4日(金)(写真はこちら

 明日からのCSキャンプの準備のために、ドミニコの家に行ってきました。前のグループが帰る午後4時に合わせて行きました。男性の方々やCS教師がいろんな荷物を搬入し、キッチンの方々はスーパーなどで買い物をして下さった食材を運び入れ、それぞれ準備をしました。お部屋などはとてもキレイで、掃除の必要はありませんでした。2日間、天候が守られ、奉仕者の働きが支えられ、祝福されたキャンプを持つことができるようお祈りして帰ってきました。


植木鉢  8月 6日(月)(写真はこちら

 5日(日)の午後から今日の午後まで、私たちの教会のCSキャンプがドミニコの家で行われました。今年は子どもたちの参加が例年よりも少なく、日帰りメンバーも含めて10名の参加、CS教師を含めた大人の奉仕者のほうがずっと多い、そんなキャンプとなりました。東京聖書学院の伝道チームの3名の方々も奉仕に来て下さいました。
 開会礼拝の後、レクリエーションタイム、その後、恵みの集会①では放蕩息子のたとえ話が語られました。キャンプのテーマの聖句は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43章4節)でした。
 そのようにプログラムが進んでいる間、女性の方々はキッチンで食事の準備、男性の方々は外でキャンプファイヤーやバーベキュー、花火などの準備をして下さっていました。毎年のことですが、教会の方々のたくさんの奉仕、祈り、献金などがあって、このキャンプが成り立っていることを感謝します。
 夕食のバーベキューの後は、キャンプファイヤーが行われました。キャンプ中、私(佐藤)はいつも写真やビデオを撮る係なのですが、「キャンプファイヤーの中でちょっとした劇のようなものがあるから」と家内から伝えられていたのですが、何をするのかは全く知りませんでした。突然、寸劇のようなものが始まり、何をするんだろう?と思っていると、恵みの集会①で聞いた放蕩息子のたとえの中の、弟息子が向きを変えて父親の家に帰ってくる場面を、子どもたち一人一人が演じるというものでした。司会の先生に一人ずつ名前を呼ばれ、ある場所まで行くと、そこで回れ右をしてお父さん役の先生がいる場所に向かって歩き出すのですが、すぐに先生が駆け寄って来て子どもを抱き寄せます。そこで子どもは一言、「お父さん、ごめんなさい」というセリフを言います。それに対してお父さん役の先生が「よく帰ってきたね。さあ、上着を着なさい。指輪をはめなさい」と言って用意した布を子どもに着せ、また指輪をはめてやり、最後に「愛しているよ」とムギューと抱きしめます。あの放蕩息子が父親のもとに帰ってきて受け入れられる場面を、子どもたち一人一人が体験するという企画でした。オーバーアクションの先生たちの演技は、息子を迎え入れた父親の喜びの大きさ、罪人の立ち帰りを喜び神の愛の大きさを見せてくれるもので、このキャンプの中で最も心に残る出来事でした。おそらく、子どもたちもこのキャンプの放蕩息子の話とテーマの聖句を忘れないことでしょう。子どもたち一人一人に用意された上着かわりの布も、教会員の方が準備して下さっていたとのことでした。
 2日目(今日)の午前の恵みの集会②では、神の愛の中心である主イエスの十字架のメッセージでした。寝不足の子どもたちが、十字架の話には食い入るように一生懸命に聞いていました。子どもたちにも、十字架のメッセージというのは伝わるものですね。その後、分級の後、子どもたちは自由時間でしたが、男性たちは建物の屋根にのぼり、屋根につもっている落ち葉などを取り除きました。4年ほど前にもしたのですが、シスターたちが管理しているドミニコの家ですので、常に男手が足りないことを思うとき、このようなご奉仕をもって感謝を表すことができたことを嬉しく思います。
 天候も守られ、教会の方々の祈りに支えられ、祝福されたキャンプを持つことができました。これらの子どもたちが、やがての日、神に立ち帰る悔い改めをすることができるようにと心から願っております。どうぞお祈り下さい。


植木鉢  8月 13日(月)

 11日(土)はいつものゲンキ・キッズ・クラブはお休みとなりました。そこで、震災からちょうど1年5ヶ月となる日でしたので、午後2時46分に合わせて被災地で黙祷をささげたいと願い、名取市閖上に行きました。閖上中学校に行き、遺族会が造った慰霊碑に花をささげて祈りました(写真)。ちょうど11日ということもあって、県外ナンバーの車も立ち寄って、黙祷をささげておられました。その後、日和山に行くと、黒い服を着た方々が「南無妙法蓮華経」と唱えておられました(写真)。港に行くと、この日に合わせて小さなイベントをしていて、そこに集まった方々と、2時46分に黙祷をささげました(写真)。
 その帰り、若林区荒浜に寄りました。海水浴場として有名な深沼海岸ですが、今年も海水浴は禁止ということで、砂浜が何とも寂しく目に映りました(写真)。 昨日は、福島教会での奉仕でした。高速道路は帰省ラッシュということで、福島へ向かうのとは反対の盛岡方面に向かう下りの道路は渋滞が続き、白石付近で恐らく20キロ以上の渋滞となっていたのでしょう。私が向かうのがそっち方向でなくて良かったと思ったことでした。
 福島教会では、先月、小さなお子さんのいるあるご家族が山形へ避難され、また少し寂しくなりました。けれども昨日は、関東にあるホーリネスの教会から3名の方々が、帰省のついでに礼拝に出席されました。「励ましの思いも込めて」と奥様が言って下さいました。帰りは夕方になり、今度は下りということもあってところどころ渋滞しましたが、それでも、2時間もかからないうちに帰り着くことができました(写真)。
 今日は、明日からのユースジャム2012に備えて、休養としています。私たちの教会からは5名の若者たちと私が参加します。東京の暑さに耐えられるかな? どうぞ祝福をお祈り下さい。
 この牧会日記を書いている今(昼過ぎ)、G・Yくんから電話があり、今朝、男の子が生まれたという知らせをいただきました。少ししたら、3人で顔を見せに来てくれるそうです。楽しみですね。



植木鉢  8月 17日(金)(写真はこちら

 14日(火)から本日17日(金)まで、ユースジャム2012が行われ、私たちの教会から5名の若者たちと私・佐藤が参加しました。440名を超える参加者が集いました。若者たちの元気な賛美、そしてメッセージに恵まれました。私たちの教会の若者たちも、それぞれに恵みを受けて帰ってきました。私の分科会の奉仕も無事に終わりました。お祈り感謝いたします。私にとっては、語られたメッセージもさることながら、いつも最終日の恵みの集会の後に行われる聖餐式が、最も心に残るものでした。配餐の奉仕を与えられましたが、若者たちが列を作って聖餐に与る姿に、心が熱くなりました。実行委員の先生方や若者たちの時間をかけた準備のおかげで、今回も恵み豊かなユースジャムとなりました。主の御名をたたえます。
 東京の暑さを心配しましたが、エアコンの効いた室内での集会がほとんどであったため、健康も守られました。背後にある皆さんのお祈りとサポートを感謝します。恵みを受けた若者たちが、その実を結んでいくことができるように、これからの歩みのためにどうぞお祈り下さい。お祈り感謝します。


植木鉢  8月 27日(金)

 私たちの教会の土地の名義変更のことでお世話になっている東大和教会の浅野先生(教団総務局で法人事務担当)ご夫妻が夏期休暇の帰りに仙台に立ち寄り、何かのボランティアができれば…というご希望を伺い、私がいつも伺っているOさんのお宅に行くことになりました。
 昨日の午後、仙台においでになった浅野先生ご夫妻を、蒲生、荒浜、閖上の沿岸部被災地にご案内しました。写真にあるのは、何度かご紹介したことのある宮城野区蒲生にあったシーサイドチャペルの跡地に立つ十字架です。どの場所も今はほとんど更地になっていますが、以前は家がたくさん建っていたことを示す地図のコピーを差し上げると、驚きながら見ておられました。
 そして今日、朝9時から午後5時まで、一日がかりでOさんのお宅の修復のボランティアをいたしました。津波によって土間の入り口の戸がダメになってしまい、ずっと開いたままになっていた場所に、別の場所にあったサッシを移しかえる作業をしました。浅野先生はかつて電気工事関係のお仕事をしておられたとのことで、大工仕事も手慣れたもので、先生の奥様と私が助手となって奉仕しました。Oさんの畑は、雨が極端に少ないためにカラカラの状態です。田んぼのほうは、写真にあるように、夏の暑さのお陰で稲が順調に育っています。9月下旬には収穫を迎えます。
 被災地のことを覚え、わざわざボランティアのために仙台に立ち寄って下さった浅野先生ご夫妻に感謝いたします。また、ご一緒に奉仕が出来たことをうれしく思いました。明日は、関東からのホーリネスチームがクラッシュ・ジャパン・仙台ベースにおいでになり、Oさんの畑で2日間、ボランティアをして下さるとのことです。それぞれ、ご自分たちの教会でなすべきことが多くある中で、被災地を覚えて遠くまで奉仕にきて下さることを本当に感謝しています。
 いつも自分のこと、自分の家族のこと、自分の教会のこと、というふうに、関心が常に自分中心になりがちな私たちですが、純粋に他者のために仕えて生きることをも大切にしたいと、ボランティアに来て下さる方々の姿勢を見ながら思わされています。自分に関わりのあることを放り出してまで、他者のために何かをせよ!とは言いません。しかし、恐らく、「暇が出来たら…」という考え方では、決してそのような時間を取ることなど出来ないことでしょう。なぜなら、自分のために私たちがなすべきことは際限なくあるからです。そのような中で、あえて他者のために時間と労力を割く、という意志による決断が、このような奉仕に向かわせるのでしょう。“他者のために生きる教会”という姿勢を少しでも学ばせていただきたいと思っています。

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植木鉢  9月 2日(日)

 今日は、私は山形教会での礼拝奉仕でした。いつも静まりのセミナーなどでご一緒している菊地先生ご夫妻が、これまで日曜日を挟んだ休暇を一度も取ったことがないとお聞きし、「私でよければ奉仕に参りますので、ぜひ休暇を取って下さい」とお勧めし、実現しました。結婚されてから25年ほど、初めての休暇とのこと、同じような先生方が全国にはまだまだ多くいらっしゃるのでしょう。一年に一度でも、ぜひ日曜日をはさんだ休暇を取得できるようにと心から願っています。
 私が山形教会の礼拝に伺うのは今日が初めてでした。今日はちょうど、教会の近くを流れる川の河川敷で、「日本一の芋煮会フェスティバル」が行われる日で、渋滞も予想されましたが、山形教会出身のY兄に詳しいルートを教えていただき、無事にたどり着くことができました。
 私たち仙台教会は、昔から山形教会にはとてもお世話になっていて、これまで何人もの青年たちを私たちの教会に送り出して下さいました。
 また、山形教会は山口明雄先生が56年前に開拓された教会で、その頃に受洗された女性の方が今もひとり、礼拝に出席しておられましたので、記念に一緒に写真を撮りました。礼拝後の昼食は、食べきれないほどのご馳走をいただきました。幸いな交わりのときが与えられ感謝いたします。
 仙台には、午後2時30分過ぎに戻ってきましたが、こちらでは午後、ユースジャムに参加した若者たちで讃美しながら振り返る小さな集まりが行われていました。終わり頃、私もちょっとだけ参加しました。また次の機会に、みんなで讃美したいと思います。
 今日一日、それぞれの働きが守られたことを主に感謝いたします。


植木鉢  9月 9日(日)

 今日は礼拝後、敬老祝会が行われました。私たちの教会では、75才以上の方々を対象としてお祝いをしております。今日は89才から75才まで、7名の方々が出席されました。お祝いの言葉や若者たちが讃美のプレゼントをした後、敬老対象者の方々にお祝いを差し上げ、一人ずつコメントをいただきました。皆さんそれぞれ1年間の歩みが守られて、再びこの祝会に出席できたことは、主の恵みと祝福以外の何ものでもないとお感じのことでしょう。年齢が高くなるにつれ、自らの死というものを考えないではおられないことです。しかし、キリスト者の幸いは、死を忌避するのではなく、死の先に希望を見出しているからこそ、避けることなく自らの死について考えることができることでしょう。ただ、私たちの教会の願いは、今日出席された全ての方々と一緒に、新会堂で礼拝をささげることができるように!ということです。そのためにも、主が許して下さるならば、皆さんがお元気で少しでも長く生きられるように!と願ってやみません。
 そのような、幸いな敬老祝会の後、秋のお彼岸を前にして、墓前祈祷会(清掃)に参りました。私は久しぶりだったのですが、震災によって崩れていた箇所はまだ修復が進まず、土嚢が積みあげられていたり、ブルーシートに覆われていたりして、墓石も倒れたままだったりしました。その場所にお墓があった方々はどんな思いでおられるのでしょう。震災からまもなく1年半が経ちますが、工事関係者の人員不足が深刻で、なかなかココまで手が回らないということでしょう。
 今日はいつもよりも多い10名の方々が参加して下さいました。雑草を抜いたり、松の木の手入れをした後、讃美をささげ、お祈りをしました。ある方の愛唱歌であった「まもなくかなたの」(新聖歌475番)を讃美しながら、天に用意されている永遠の住まいに思いを馳せたひとときでした。敬老祝会でもそうでしたが、主にある平安のうちに、死について思いを巡らすことのできる私たちは何と幸いなことでしょう。それは決して後ろ向きの生き方ではなく、自分が死すべき存在であることを弁えるからこそ、今というときを大切に、また力強く生きることができるのでしょう。まだ蒸し暑さの残る、墓前祈祷会でした。


植木鉢  9月11日(火)

 大震災から今日で一年半となりました。テレビのニュースなどで、被災地の今日の様子が紹介され、今なお34万人の方々が仮設住宅などでの避難生活を強いられ、2814人の行方が今なお分かっていないと報道されていました。また、先日のNHKの特別番組では、福島第一原発事故のために、毎日3000人もの方々が収束に向けて働いておられるとのことでした。放射能の数値を確認しながら働いている作業員の方々の姿は、お金と引き換えに自分の命を削っている、そのような印象を受けました。10年後、あるいは20年後、作業員の方々の健康に一体どのような影響が出るのでしょう。その作業員の方々の多くは、被災した方々です。原発事故によって家を奪われ、仕事を奪われたような方々です。それらの方々が、一度は避難したものの、生活のために被災地に戻り、福島原発で働いているという不条理に、心が重くなりました。
 私は今日は、特別にどこかに行ったり何かをしたりということはありませんでした。ただ、いつもずっと心がけていることは、震災のことを、今なお苦しんでいる方々がおられることを忘れないでいる、ということです。毎週の礼拝での祈りや、食前の祈りの度ごとに、必ず被災地のために祈るのはそのためです。復興が少しずつ進んではいるものの、不自由な避難生活を続けている方々、行方不明になった家族を捜し続けている方々、原発事故の収束のために命をはって働いておられる方々がいることをいつも心に留めている。それが私たちにもできる、そして私たちがすべき被災地支援の一つではないか、そのように思っています。


植木鉢  9月17日(月)(写真はこちら

 昨日の午後から今日にかけて、東北教区のクリスチャンミーティングが、岩手県金ヶ崎にあるホテルみどりの郷において行われました。私たちの教会からは宿泊参加が14名、今日の日帰り参加者が5名、合計19名の出席でした。教区全体としては、子ども含めて59名の方々集いました。講師は私たちの教団の教団委員(総務局長)である島津吉成先生をお迎えし、ローマ人への手紙から2回にわたって、聖化とは何か、その恵みにあずかった者たちはいかに生きることができるのか、についてお話し下さいました。とても素晴らしいメッセージでした。特に、最初の集会のローマ6章から語って下さったメッセージは、2年前の箱根聖会でも同じ箇所から語られましたが、今後の私たちの教団の聖化理解のスタンダードになっていくものだと思います。録音CDなどで、繰り返しお聞きしたいメッセージでした。
 2日目、今日の午後は、いつものように三沢教会のジ・アークのバンドのリードによる讃美集会が行われました。いつもの各会の方々による讃美に加え、今回は弘前教会の方々が特別賛美を2曲歌って下さいました。いろんな教会の方々がご奉仕して下さることは、嬉しいことですね。
 私たちの教会では、今回初めて参加した方がお二人いらっしゃいました。とても喜んでおられました。後日、その感想が「シャローム」誌に掲載される予定ですので、教会員の方々はどうぞお楽しみに。また、今年出席できなかった方々は、来年ぜひご一緒しましょう。


植木鉢  9月20日(月)

「イエスは彼らに言われた、『さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい』。」(マルコ6章31節)

 今週初めに行われた東北教区クリスチャンミーティングが終わった次の日、18日(火)から今日20日(木)まで、日光オリーブの里で行われた牧師たちのための静まりのセミナーに参加しました。これまで数年間にわたってドミニコの家で続けられてきた東北地区の静まりのセミナーが今年4月でひと区切りとなり、東北地区だけでの開催が難しいことなどから、関東と東北の両地区から参加できるセミナーが今回開催されました。講師を含めて15名が参加、東北地区からも4名が参加しました。
 クリスチャンミーティングの翌日からのセミナーとあって、体調に不安があったのですが、名取市にある他教団の教会の先生が運転する車に乗せていただき、私は運転することなく行くことができました。運転があまり好きではない私にとっては本当に有りがたいことで、そのお陰で向こうで寝込むことなく、ゆったりとした時を過ごさせていただきました。
 キリスト教会関係の修養会などで使われるオリーブの里は、私は初めてでしたが、近年、施設が整備され、数年前には施設内になんと温泉も造られ、心も体も安らぎのときが与えられました。
 このようなセミナーは、毎回、違った気づきが与えられ、魂の養い、慰め、休息、あるいは悔い改めなどが与えられます。今回も、私の生き方そのものについての深い気づきが与えられ感謝でした。今後も、年に一度、このセミナーが続けられるのではないかと期待しております。

植木鉢  9月23日(日)

 今日は築館教会での聖餐式礼拝の奉仕でした。1月以来、今年2回目の奉仕でした。教会に着くと、仏具店があったお隣はすっかりと空き地になっていました。教会の建物は少し引っ込んだ位置にありますので、これまであまり目立たなかったのですが、お隣が空き地になったお陰で、教会の建物がよく見えるようになりました。ただ、教会周辺は閉店するお店が増えているようで、商店街もだんだんと寂しくなっているようです。今日は急に用事ができて欠席された方もおられ、7名の礼拝でした。いつもお祈りを感謝いたします。
 私に関してのニュースは、行き帰りの高速道路では、一度も他の車を追い抜くことなく、すなわち、初めから最後まで一度も追い越し車線を走ることなく、走行車線だけを走りました。いつもは結構スピードを出して、次々と追い越していくような運転をする私にとっては考えられないことで、こんなことは車に乗るようになってから恐らく初めてのことです。別に、「今日は安全運転で行こう」と考えたわけではありません。先週、日光で行われた静まりのセミナーの行き帰りに車を運転して下さった先生が、わりとゆっくりとしたスピードで、あまり追い越しをすることなく走られたのですが、助手席に乗っていてそれがとても心地よく感じました。今日、それと同じように急ぐことなく、ゆっくりとしたスピードで走ると、高速道路の運転もずいぶんと楽なものでした。
 いつもは、築館教会や福島教会に行くときも、時間がないわけではなく、余裕があるにもかかわらず、「早く行こう」という思いが心のどこかにあるようです。どうもこれは、運転に限らず、私の普段の生き方の中に、“もっと早く”“もっと多く”“もっと豊かに”“もっと頑張れ”などのドライバー(駆り立てるもの)が働いている表れだと思います。そのために、別に急がなくてもいいのに、時間的な余裕があるにもかかわらず、そうせずにはいられない自分がいます。そんな私にとって、他の車にどんどん追い抜かれながら、前の車にくっついて80キロから100キロぐらいのスピードで走ったことは、とても新鮮な体験でした。そしてこれは、我慢して遅く走ったというのではなく、そのゆっくりさが実に心地よく感じたことでした。何かに駆り立てられる思いから解き放たれて、ゆっくりと走るというのはなかなかいいものですね。「少しでも早く目的地に着こう」と思いながら走るとき、その走っている時間は意味のない、いわば無駄な時間のように感じてしまいます。ところがどういうわけか、駆り立てられることなく走った時間は、かえって短く感じられ、また決して無駄な時間ではなく、音楽を聴きながら走るその時をも楽しむことができる、そんな思いさえしたことでした。自分の心の囚われのことを考えながら、私にとって、新しい発見をした一日でした。


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