2012年 1月 牧会日記

植木鉢 1月 1日(日) (写真はこちら)

 今年の元旦礼拝は日曜日ということもあって、いつもはなかなか元旦礼拝に出ることが出来ない方も多く出席され、例年よりも賑やかな元旦礼拝となりました。特に今日は、初めての方が3名おいでになりました。一組のご夫妻は帰省で出席され、もう一人の方はお近くの方でしたが、驚いたことに、いずれの方も南光幼稚園を卒園された方でした。そのことを聞いた山口明雄先生(当時の園長)も感慨深そうにしておられました。何か心が向いたときに、「南光幼稚園に行っていたので南光沢教会に行こう」と思われるのでしょう。嬉しいことでした。
 礼拝後、記念写真を撮り、そのあと茶話会を行いました。昨年を振り返りながら、新しい年に向けて一言ずつ語り合いました。
 このように、教会の皆さんと一緒に礼拝をもって新しい年を始めることができることは何よりもの喜びです。今年も、主を礼拝することを喜びとし、礼拝によって生かされる私
たちの教会でありたいと願っております。



植木鉢 1月 8日(日) 

 今日は私は久し振りに築館教会での奉仕でした。西森先生に日曜日を挟んだ休みを取っていただきたいと願い、代わりに奉仕に参りました。本当は、昨年3月27日の日曜日に、教団の家族年会で上京するのに合わせて、西森先生にお休みを取っていただく予定でしたが、震災のためにキャンセルとなってしまいました。そのため、昨年は西森先生はお休みがなかったはずです。やっと休暇を差し上げることができ、ホッとしました。教会の方々も、西森先生を快く送り出して下さいました。感謝です。夏のCSキャンプにも参加したYくんはまたずいぶんと背が伸びて、もう少しで180センチになるのでは?という感じでした(写真)。築館教会での奉仕は約2年ぶりとなりました。実は前々回の予定も、私の体調不良のためキャンセルとなっていました。久し振りに築館の方々と一緒に礼拝をささげることができ、嬉しく思いました。10名の礼拝でした。
 昼食の後、南三陸町に行ってきました。南三陸町は宮城県の中でも、津波による被害が最も大きかった町の一つです。帰り道というよりも、築館から約1時間ほど東に、すなわち海側に走るとあの南三陸町(志津川)があります。一度行きたいと思っていたのですが、築館あたりからは結構近いことを最近気づいて、天気が良ければ築館での奉仕の帰りに行きたいと思っておりました。幸い、雪も降っておらず、築館教会から1時間ほどで着きました、。
 仙台近辺に比べると、震災の片付けが遅れているなあという印象でした。流されなかった建物がまだそのまま残っていたり、瓦礫が町の中に山となっていたり、ぺちゃんこになった車が高く積み上げられていたり(写真)。役場の職員で無線で避難を呼びかけた女性が犠牲となった町の防災庁舎にも立ち寄りました(写真)。実際にそこに立ってみると、この3階建ての建物の屋上まで津波が来たのか!とやはり驚いたことでした。多くの犠牲者が出た志津川病院もそのままでした(写真)。地元の方の話によると、もう少し小さな町に行くと、復興はもっと遅れているとのことでした。
 平地には人が住んでいる気配はなく、もうすぐ10ヶ月になりますが、復興とはほど遠い感じを受けました。地元の方々がどんなに悲しい思いをしながら、この光景を眺めていることでしょう。ボランティアの方々が20名ほどでしょうか、今日も奉仕をしておられましたが、まだまだ手が足りないのでしょう。被災地の復興のために、続けてお祈りしたいと思います。
 

植木鉢  1月 11日(水)

 震災から今日で10ヶ月。一年前の今日、私はイスラエル旅行の途中で、1日かけてエルサレム市内を歩いた日でした。この日は特に、主イエスの十字架を思いながら、オリーブ山からケデロンの谷を下り、旧市街に入り、ビアドロローサを歩き、聖墳墓教会へと向かう、聖地旅行のクライマックスともいえる旅程でした。その二ヶ月後に、あのような大震災が起こるなどとは考えることもできず、本当に夢のようなときを過ごしていました。
 あれから一年、震災からちょうど10ヶ月となりました。今、私たちに必要なことは、震災のことを心に抱えながらも、“いま、ここに生きる”ということだろうと感じています。その書名で知られている本の中で、ヘンリ・ナウエンは、“いま、ここに”生きることができなくなってしまう私たちの姿を明らかにしています。とがめや悔いる思いが私たちをやり直しのきかない過去へと引き戻し、また「もし〜ならば」という思い煩いが、わたしたちを予知できない未来へと引っ張って行ってしまいます。そのために、私たちは“いま、ここに生きる”ということができなくなってしまうのです。
 あの震災以来、多くの人が“いま、ここに生きる”ということができなくなっているのではないか、そんな気がしています。そのような私たちにナウエンは、神が今ここに、この私と共におられ、この私に語りかけていて下さると本気で信じ、いまここに留まり、そのお方の声にじっと耳を傾けるようにと勧めます。そのとき、私たちの心を乱す過去の出来事や未来に起こるかもしれないことから次第に解き放たれ、いまこの時を生きるようにされていく、というのです。
 東北の冬は、寒さや雪などによって、それまでの活動が制限せざるをえない季節です。けれどもそれは、“いま、ここに生きる”ことを学ぶ格好のときでもありましょう。主が備えて下さったこのときを生かし、主のみ前に留まることを選び取りたいと思います。


植木鉢  1月 17日(火)

 阪神大震災から17年になるこの日、朝からそのニュースが繰り返し流れています。その様子を見ていると、遺族の方々にとっては、17年も経過しても決して過去の出来事になってしまったわけではなく、今なおその悲しみや痛みを抱えながら生きているということが分かります。
 今年は阪神大震災と東日本大震災の二つを並べるようにして、様々な報道がなされています。そのことについて、半年ほど前に見たテレビ番組のことを思い出しました。東日本大震災の被災者の方々にどのように寄り添うべきかというテーマでなされていたシンポジウムの中で、阪神大震災を経験された心のケアなどをされているパネラーが、ご自分の経験をもとにしてコメントをしておられたとき、自ら東日本大震災の被災者でもあるパネラーの一人が、「阪神大震災と東日本大震災を一緒にしないで欲しい」という趣旨のことを言われたのがとても印象的でした。これは決して、阪神大震災よりも東日本大震災のほうが被害が大きいのだ!と主張しているわけではありません。阪神大震災を経験した人が、自らの経験をもとにして東日本大震災の被災者を励まそうとするとき、たとえそれが善意によるものであっても、「私たちがこうだったから、あなたがたもきっとこのようになるはずだ」と勝手に決めつけて話す危険がある、という指摘です。阪神大震災と東日本大震災では、たくさんの似た要素がありながらも、決して同じ出来事ではなく、似ているのと同じくらい違った部分もあるはずです。それを「私たちも経験したからよく分かる」という姿勢で被災者に向き合ってしまうと、相手が抱えている固有の悲しみや痛みというものを聴き取ることに失敗してしまう恐れがあるということです。被災者の心の痛みというものは、そのように一般化されたり、何かの型に当てはめられたりするべきものではなく、それぞれが決して他の人と同一ではなく、その人固有の痛みとして聞かれるべきものなのでしょう。
 あのテレビのシンポジウムにおける被災地を代表したパネラーの言葉は、専門家でさえ陥る恐れのある過ちを指摘したものでした。
 今日の午後、一ヶ月ぶりに傾聴ボランティアに行ってきました。そのお宅は津波の浸水地域でありながらも、ギリギリで居住許可が下りた地域なのですが、あたりのお宅は少しずつ取り壊され、今日も近くの家が取り壊されていました。津波によって自宅が全半壊した方々は、行政の許可が下りた地域でありながらも、また同じ場所に住もうとはなかなか思わないようです。私が訪問しているお宅では、塩害によって枯れてしまった杉の木の伐採が決まったようで、切り倒される木に目印がつけられていました(写真)。まだ順番待ちのようですが、今度伺うときには、もうこれらの木はなくなっているのかもしれません。そのようにして、冬の間も少しずつ震災の片付け、復旧・復興が進められているようです。


植木鉢  1月21日(土)

 夕方、突然、東北教区の担当教団委員で横浜教会牧師の中西先生がおいでになりました。土曜日のこんな時間にどうしたんだろう?と思って伺いましたら、明日、基督兄弟団の石巻教会の礼拝でご奉仕をなさるとのことで、今日仙台に宿泊されるついでに私たちの様子を見に来て下さいました。
 基督兄弟団では、それまで石巻教会を兼牧をしておられた先生の震災後のお疲れを考慮して、その責任を解き、教団内の他の先生方のボランティアによって奉仕がなされることがホームページに掲載されていました。昨年8月末に石巻教会に伺ったとき、先生ご家族にかかっている負担の大きさがとても気になっておりましたので、他教団のことながら「ああ、良かった」と思っておりました。ただ、「奉仕者のやりくりが大変だろうな、でも私が応援するわけにもいかないしなあ」と思っておりました。
 震災後、私たちの教団の神奈川教区が被災地にある教会の講壇支援を申し出て下さり、私たちの教区でも仙台、築館、福島の3つの教会が応援をいただきました。今回、その神奈川教区が教団委員会を通して、基督兄弟団石巻教会の応援を申し出られ、受け入れられたとのことでした。私たちの教団と基督兄弟団との間ではしばらく前に宣教協力の同意書が調印され、話し合いが続けられてきましたが、今回、このような形で協力できることは、本当に嬉しいかぎりです。ちょうど神奈川教区に4名の教団委員(信徒教団委員も含めて)がいたことも、信頼を得ることになったのでしょう。
 教団の大きな垣根を越えて、このような宣教協力ができることはお互いの教団にとって大きな意義があるものと思います。そのさきがけとなって下さった神奈川教区の先生方に、感謝と敬意を表したいと思います。中西先生がお留守の明日の横浜教会の礼拝が守られますように。

植木鉢  1月22日(日)

 昨夜からの雪で教会周辺も真っ白になりました(写真)。今日は家内が福島教会での礼拝奉仕となっておりました。実は木曜日の夜からお腹の風邪を引いて昨日まで寝ていたのですが、今日は何とか行くことができました。福島教会の田中先生が先週は東京聖書学院で牧師研修会がありましたので、せっかく上京する折に日曜日を挟んだお休みを差し上げたいと願い、代わりに家内が行くことになっておりました。何とか日曜日までに体調が回復し、奉仕をすることができました。
 ところが、いつも高速バスで仙台駅前から福島まで行くのですが、今朝インターネットでチェックしたところ、雪の影響で高速道路が通行止めになっていることが分かりました。それで予定を変更して新幹線を使って行くことになりました。福島教会の方々には、いろいろとお世話になりました。慌てて家を出てきたために、ジャケットを忘れてしまい、福島教会のK姉のお借りする、そんなハプニングもありましたが、皆さんに支えられました。家内は田中先生が昨年7月に着任されて以降は、福島教会での奉仕は初めてでしたので、久し振りに福島教会の皆さんとお会いすることができ、感謝でした。体調を心配しましたが、午後3時過ぎに思っていたよりも元気に戻ってきました。お祈りを感謝いたします。
 こちらでは、礼拝後、部会がありました。私は久し振りに男性会に出席しました。ずっと続けて読んでいる本の感想を語り合いました。それぞれ、自分の状況を素直に語り合うことができる、なかなか良い分かち合いのときでした。このような部会をこれからも続けていけたらいいなと願わされました。
 その部会の後、H兄とK兄が牧師館兼CS分級室の天井、以前もお話したことのある、震災によって少し落ちかかっていた天井を修理して下さいました(写真)。お陰で元通りになりました。これで安心して休むことができます。いつも私が寝ている部屋なので。兄弟方のご奉仕に感謝いたします。


植木鉢  1月31日(火)

 29日の礼拝と午後の教会総会を終え、翌30日(月)からの2日間の東京での会議の準備をしていた夜、急遽、両親の住む岡山に行くことになりました。東京行きの最終の新幹線に飛び乗り、12時前に東京駅に着き、近くのホテルで1泊し、昨日の早朝、朝6時発の始発で岡山へと向かいました。岡山へ行くときはいつも飛行機で大阪・伊丹空港経由で行ってましたので、新幹線で岡山まで行くのは初めてでした(写真)。1年半ぶりに岡山の両親の顔を見てくることができました。
 こんな表現はあまり適切ではないかもしれませんが、いつも他人のお世話ばかりしていて、なかなか自分の親の世話をしてあげることができないでいました。「牧師をしているから仕方がない」と言い訳をしながら、お正月やお盆に帰省をするわけでもなく、何かなければ帰れない、帰らないという状態でした。今回、改めて「やっぱり、それなりに年をとったなあ」と両親の姿を見て思いました。それで、「もしものときにはどうする?」とちょっとだけ相談するときが持てました。クリスチャンが有り難いなあといつも思うことは、死んだ後の行き先がちゃんと決まっていますから、死後のことを忌避することなく相談できることです。そのような話をしながら、2年ほど前に出された『親が死ぬまでにしたい55のこと』という本のことを思い出しました。55の事柄の中で、すでにしてきたこともありますが、今回できたことが幾つかあります。一つは、その本の最初に出てくる「親の肩をもんであげる」。また、「メールの操作を教えてあげる」、これはちょっと違うのですが、引き出しに入ったままであった携帯電話を取りだしてきて、「こうやって使うんだよ」と説明してきました。もう大丈夫かな? そしてもう一つ、最後の55番目に書いてある「親に会いに行く」。改めて、これが大事だなあと思わされたことでした。「また来るね」と別れを告げて、今日の会議のため、朝6時半の新幹線に乗って再び東京へ。途中、富士山がとってもキレイでした(写真)。
 今回、急なことだったため、正味20時間ほどの岡山滞在でしたが、次はもう少しゆっくりと行ければと思っています。昔のホーリネス教会の考え方では、教会のために自分の家族のことなど後回しにするのが信仰的であるかのように考えられたところがありますが、「それはちょっと違うのではないか」と今回改めて思わされたことでした。自分の親を大切にすることが、教会の年配の方々を大切にする姿勢にきっとつながるだろうと思います。実際、今回の岡山行きで私の心に浮かんだのはテモテ第一の手紙にある次の聖句でした。

「老人をとがめてはいけない。むしろ父親に対するように、話してあげなさい。
……年とった女には母親に対するように……」(5章1、2節)

 これは“逆も真なり”で、教会で年配の方々と接していることが、自分の親を労る心につながっているように思いました。これまで、教会の皆さんにいろいろと教えていただいてきたのでしょうね。幸いにも、私も家内も両親が健在ですので、今のうちにできることをもう少ししていきたいなと思わされたことでした。


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