2011年12月 牧会日記

植木鉢 12月2日(金)

 聖学院大学出版会から最近出された『被災者と支援者のための心のケア』という本を読み始めました。100ページほどの小冊子ですが、私たち素人が被災者の方々と関わるときに心がけるべき点が非常に分かりやすく、簡潔に記されていてとても参考になります(教会図書に入れる予定です)。この宮城県に住んでいる私たちは、特別なボランティアなどに出かけなくても、普段の生活で接する方々が、程度の差こそあれ、みんな被災者だと言ってもいいでしょう。そういう意味で、ココに書かれている原則のようなものを心得ておくことは、とても大切であるように思います。
 まだ第1章の「被災と心身のケア」という章を読んだだけなのですが、私が続けているボランティアのことでも参考になる文章がありました。

 また、被災者が必要としている支援を行うことが大切です。実はありがた迷惑だという支援でも、被災者はそれを断ると必要な支援まで打ち切られるのではないかと考え、はっきりと断れないことが多いのです。ですからつねに、こちらが、「被災者のニーズは何か、それに応えるにはどうしたらいいか」という視点から考えることが必要です。

 今、私が関わっている傾聴ボランティアで、今後どうするかということを先日も少し相談したことでした。ずいぶんと寒くなってきたこともあり、私がお話を伺っているおばあちゃまの息子さんが、「寒い中、いつまでも来ていただくのは申し訳ない」と、かえって精神的に負担に感じておられるようでした。それで私は、「ボランティアはあくまで、被災者の方のご要望に添う形で奉仕するものですから、遠慮なく『もう結構です』と断って下さっていいんですよ」とお伝えしたことでした。おばあちゃまは、普段は話し相手が十分にはいないこともあって、冬の期間は月に1度のペースで継続しようかとお話ししたところでしたが、息子さんたちには躊躇があるようです。私に申し訳ないという遠慮なのか、それとも、支援を受け続けることが負担なのか、私にはちょっと判断できませんでした。それで、「お母さまとご相談下さって、どちらでも自由に決めて下さい」とお願いしているところです。私がいつも心がけていることは、私がしたいからするという自己満足的なボランティアになることがないように、相手が本当に望むことを望む形でするように、ということです。
 そのほか、この本に書かれている原則は、何も被災者に向きあうときだけでなく、「牧会し合う私たち」という課題を掲げている私たちの教会にとって、他者の話に耳を傾けるときにも参考になる事柄が記されています。これを読むと、私たちが良かれと思って相手にかけている言葉が、本当には相手のためになっていないことが多くあることに気づかされます。「牧会し合う私たち」という課題を具体的に進めていくために、このような学びもみんなでしてみたいなと思わされたことでした。



植木鉢 12月4日(日)

 クリスマスを待ち望むアドベントの第2週、CSでは子どもたちがアドベントのときを楽しく過ごすことができるようにと、先週から幾つかのことをしています。写真にあるのは、隠されている文字を削って見つけているところで、毎週一文字ずつ明らかにしていき、それらを並び替えて、隠されているクリスマスに関する言葉を当てる、そんなゲームをしています。
 また、大人の礼拝後、クリスマスレター用の集合写真を撮りました(写真)。全国のホーリネスの教会に今週中に届くと思います。午後、早速プリントし、残っていた方々が発送の奉仕をして下さいました。
 また、女子トイレでは、K兄が破れていた壁紙をキレイに張り替えて下さいました。クリスマスを前に、さすがに何とかしたいと思って簡単に上から貼れるようなものを買ってきたのですが、K兄は先週破れているものをキレイにはがし、下地も整え、今週、本当にキレイに貼って下さいました(写真)。震災後、ずっと気になっていた部分が修復され、これで安心してクリスマスを迎えることができそうです。
 これで震災の建物被害はすべて修復された、と言いたいところなのですが、CSの分級で使っている畳の部屋の天井の一部分が震災によって下がってきてしまっています(写真)。写真でお分かりになりますか? 普段は忘れているのですが、この部屋はいつも私が寝ている部屋なものですから、夜、天井と向きあうと、「ああ、まだ大丈夫だ」と眺めています。一度だけ屋根裏に上がったのですが、天井の板がこの部分だけ梁から離れてしまったようで、自らの重みで垂れ下がってしまっているようです。OMSのキング先生が来て下さったときにお願いすれば良かったのですが、そのときには気付きませんでした。たぶん、その後、頻繁に続いた余震によって少しずつ垂れ下がってきてしまったようです。これも一度、どなたかに見ていただこうと思っています。



植木鉢 12月10日(土)

 午前中、伝道委員のH兄がクリスマスのためのチラシ配付をされるというので、一緒に行ってきました。「日曜日を前に、先生はいいから」と言って下さったのですが、無理やりお願いしてついていきました。実は今週、ずっと教会の近くを配付しようと思っていたのですが、午後には天気が悪くなったり、風邪が強かったりと、チャンスがありませんでした。今日の午前中はとても穏やかな天候で、1時間あまり気持ちよく配付ができました。配付したのは燕沢から東仙台あたりの地域。驚いたのは、地震で傷んだ家を今ごろ改修工事をしている家がたくさんあったことでした。屋根にブルーシートがかかっている家もまだまだありました。その辺りはなだらかな坂になっているような地域で、どうも地盤があまり強くなく、ダメージが大きかったようです。この仙台でも、まだまだ復旧の途上なのですね。
 H兄に無理を言って同行した理由はもう一つ、奉仕はやはり誰かと一緒に、そしてみんなと一緒にするということがとても大切だといつも思っているからです。H兄はいつも、今日がそうであるように、陰に隠れて残っているチラシを一人で配付して下さっています。先週の日曜日も、風が強かったこともあり、もう一人のH兄と共に、お二人だけで配付をして下さいました。伝道委員であるという責任感から、いつもそのようにして下さり、それに甘えている部分が大いにあるのですが、それでも、できるだけみんなで伝道の奉仕をしたい!と願っています。いつも言っていることなのですが、少しでも携わった人は、「誰か来るだろうか」と気になるものであり、そのために祈るようになるものです。逆に、自分が直接関わっていない方は、チラシがどう用いられるか、反応はどうか?ということに、残念ながらあまり関心がないものです。ちょっと厳しい指摘かもしれませんが、事実ですから仕方ありません。
 それで、改めてH兄にお願いしましたのは、ちょっとずつでもいいので、できるだけ多くの方が配付の奉仕に加わることができるように考えてみて下さい、ということでした。多くの方が関わることによって、一人一人の心の中に、新来者が与えられるようにと願う祈りが生まれ、新しい方をお迎えする心のスペースが生まれていくのではないでしょうか。そして何より、教会の奉仕は、一人でするよりも、みんなでするほうが嬉しく楽しいものです。

「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。」(詩篇126篇5、6節)



植木鉢 12月11日(日)

 今日は福島教会での奉仕でした。午後6時過ぎ、無事に帰ってきました。お祈り感謝いたします。12月1日から東北道の大部分が無料化されたこともあって、行きも帰りも、インター出口での渋滞は全くありませんでした。ETCを利用しての通行でしたが、何の手続きもしないで「0円」となりました。
 聖餐式礼拝の後、役員会、そしてその後、高齢のためにもう3、4年教会においでになっていない方を教会員に案内していただいて訪問しました。何度か私もお会いしたことのある方でしたが、私のことはちょっと分からなかったようです。それでも久しぶりにお会いできたことを嬉しく思いました。
 その方のお宅は伊達市月舘町といって、福島市よりももう少し放射線量の高い地域です。その方の息子さんにお聞きしところ、思っていたほどではなかったものの、放射線が及ぼす健康被害については私たちなどよりもずっと関心が高く、放射線に関するいろんな資料をわざわざいただいて帰って来ました。将来、どのような健康被害が予想されるか、決して楽観できないことを示す資料でした。福島に行くたびに、宮城県と福島県では放射能に対する意識が本当に大きく違うことを認識させられます。ずっとこのような思いを抱えながら過ごさなければならないことは、どんなに大きなストレスでしょう。そのストレスで病気になってしまいそうな気がします。県外へ避難する方が多くおられるのも無理からぬことでしょう。原発事故の早期の収束と除染作業の前進を続けてお祈りしたいと思います。


植木鉢 12月12日(月)

 今日は特別に予定がありませんでしたので、家でゆっくりと過ごしました。いつも日曜日にいただいている一週間分の河北新報に目を通し、週末に放映された震災に関するテレビ番組を幾つか見ました(録画しておいたので)。
 その中で、12月10日にEテレで放映された「こころの時代〜シリーズ 私にとっての3.11」が印象的でした。宮城県名取市で在宅緩和ケア医療を20年にわたって続けて来た医師・岡部健さんのインタビューでした。「3.11」というよりも、人の生と死について考えさせられる内容でした。岡部さんはかつて大きな病院で働いていたときは、患者の命を1分1秒でも長く保つのが医師としての使命であり、長生きをさせることが絶対的にいいことだと思っていたといいます。ところが、末期のガン患者から延命ではなく自然死を求められたとき、「自分はいったに何をやってきたのか」と衝撃を受けたといいます。現代の私たちの価値観は、少しでも長く生きることがいいことだという価値観です。これは病人にとっては悩ましい問題だと言います。平均寿命よりも前に死を迎えるような人は、周りの人から、「あなたは若いのに可哀想ね」と見られてしまうというのです。そのような価値観が根付いているために、自らの死を受け入れられずに苦しむ方が多くおられるといいます。岡部医師は、「ココは宗教家の出番ですよ」と言われました。医学の中には“あの世学”はないから、と。宗教家がこの世からあの世に橋渡しをしてあげることによって、死にゆく人も何かホッとして死んでいくことができる。だからこれからは臨床宗教家が必要だと思う、と。
 牧師として、教会に関わる方々の看取りに接する機会のある者として、とても興味深い内容でした。「より長く」ではなく「より良く」生きることを大切にする死生観のもと、“あの世”ではなく、神の御国への望みを確かに手渡して差し上げることが、牧師に求められている大切なスピリチュアル・ケアであることを再認識させられました。


植木鉢 12月13日(火)

 3週間ぶりに傾聴ボランティアに行ってきました。冬の寒さと、おばあちゃまが落ち着いてきたということもあり、しばらくは月に1度のペースで伺うことになりました。
 今日は、「荒浜に行ってみない?」ということでしたので、車で一緒に行ってきました。お宅からはそう遠くない場所に、若林区の荒浜があります(地元の方々は荒浜といえば亘理町の荒浜のことだそうで、こちらは深沼というそうですね)。仙台以外の方でこのページをご覧下さっている方に少し説明しますと、この荒浜近辺は仙台市では最も津波被害が大きかった地区の一つで、3月11日の夜、「荒浜付近に200〜300の遺体が見つかった」とニュースが流れたあの地区です(誤報だったようですが)。この深沼海水浴場の入り口に震災の慰霊塔が建立され、震災から9ヶ月目となる12月11日に除幕式と慰霊祭が行われたことが新聞やニュースなどで報道されていました。そこを見に行こうということでした。荒浜の交差点付近は家がたくさん並んでいたのですが、ほとんど建物はなく、荒浜小学校だけが残っていました(写真)。震災当日、4階建ての校舎の3階まで津波が襲ってきて、ヘリコプターで救助されたことが報道されました。 荒浜小学校からさらに海岸へ進むと、海水浴場の入り口に慰霊塔が建っていました(写真)。このあたりは松林が生い茂っていたということですが、本当に寂しくなっていました。砂浜はすっかり瓦礫が取り除かれてキレイになり、海も何事もなかったかのように穏やかでしたが、余計寂しさを感じさせるものでした。 その後、もう少し足を伸ばして、宮城野区蒲生へと行ってきました。ココも津波被害の大きかった地区で、以前からいつか行ってみたいと思っていた場所でした。その蒲生地区には津波で被害に遭った単立教会のシーサイドバイブルチャペルがあり、震災後まもなく、教会があった敷地に十字架を建てて希望の光としたことがインターネットやクリスチャン新聞などに紹介されていました(写真)。
 これまで、深沼海岸や蒲生などに行きたいとずっと思っていたのですが、この9ヶ月が過ぎるまで行くことができませんでした。震災から1〜2週間たった頃、一度この近くまで来たのですが、蒲生や荒浜は進入禁止となっていましたし、何よりも地元の住民の方が書いたと思われる、「見物人は帰れ!」という大きな看板が道路においてあるのを見たからでした。それはとてもショックな看板でした。地元住民でない、被災地見学の人たちが被害の様子を写真におさめていくことが、地元の方々にとっては耐え難い苦痛だったことでしょう。それを見てから、一度見に行きたいとずっと思いつつも、何も用事もないのに、まさに見物のために行くことにどうしても心のとがめがあり、今日になってしまいました。それで、おばあちゃまから「荒浜に行ってみない?」と言われて、「それなら許されるだろうか」と自分を納得させて行ったことでした。もちろん、今ではそんな看板はもうどこにもなく、進入禁止になっている道路もほとんどありませんでした。ただ、復旧作業はまだまだ続いており、当分は続きそうな感じです。 おばあちゃまと二人でため息をつきながら回ってきましたが、私にとっても、意義のある一日となりました。被災地の復旧が進むことを祈っています。


植木鉢 12月18日(日)(写真はこちら

 多くの教会がそうだと思いますが、私たちの教会でも今日の午後、子どもクリスマス会が行われました。50名ほどの子どもたちが集いました。降誕物語のビデオなどによる礼拝の後、第2部ではパソコンを使ってのゲーム、そして手品ができるサンタさんの登場に子どもたちは大喜びでした。
 このために、CS教師を中心に教会の方々にご奉仕をいただきました。多くの方々に支えられながらこのような集会ができることを感謝しています。
 土曜日のゲンキ・キッズ・クラブや日曜日の教会学校に来ている子どもたちの中には、決して恵まれた家庭環境ではない子どもたちもいます。そんな子どもたちにとって、教会が少しでも安らぎの場となるようにと願っています。
 ある先生が最近こんなことを言っておられました。教会学校に来ている多くの子どもたちは(教会員の子どもたちを除くと)、そのまま教会につながり、やがて教会の中心メンバーになる、というケースは決して多くはない。ほとんどの子どもたちは途中で教会から離れてしまう。すなわち、教会学校に力を入れても、それがその教会の成長に直結するかというと必ずしもそうではない。むしろ、無駄骨と思われるような場合のほうが多いものである。生産性を重視する企業の発想であるならば、見返りのほとんどない教会学校の働きはカットされてしまうだろう。ところが、大人になってから教会を訪れる人の中で、小さい頃にどこかの教会学校に通っていたという方は結構多いものである。それを考えると、今、教会学校に力を入れることは、キリスト教界全体の将来のために非常に重要なことである。必ずしも自分の教会にその働きの結果が表れるとは限らないが、キリスト教界全体の将来のために、地道に教会学校の働きを続けて行くべきである、と。
 そのことを思うとき、今日来た子どもたちが、また今教会学校に来ている子どもたちが、将来、どこかの教会につながって欲しい、そう願わされたことでした。


植木鉢 12月23日(金)

 お久しぶりです。牧会日記がしばらくないと、体調が悪いのではないか?とやはり心配される方がおられるようですが、そういうわけではありません。今週は土日の奉仕に備えて、特別な行事がなかったこともあり、お休みしていました。もちろん、何もないわけではなく、転んで骨折をされた方があり、引っ越しをされることになった方があり、いろんなことがある年末です。
 仙台では昨日はこの冬二度目の雪景色でした(写真)。また、夕方には街中にちょっと用事があったので、久し振りに家族で光のページェントを見て来ました(写真)。イルミネーションを保管していた倉庫が津波の被害に遭い、全てが流されたということでしたが、今年も開催することができました。やっぱりキレイでした。仙台の光のページェントをまだ見たことのない方は、いつかぜひ仙台においで下さい。
 今日は、お昼頃、N姉のホームで昼食を兼ねたクリスマス会があったため、家内が出席しました。N姉はできれば明後日のクリスマス礼拝に出席したいと願っておられます。
 私は、天候と都合と健康が大丈夫だったので、築館教会の子どもクリスマス会(写真)に行ってきました。4年前から、地区の子供会が合流して、教会で行われています。13名の子どもたちと保護者の方が出席され、西森先生のお嬢さんや信徒の方々の奉仕によって午後2時から4時まで行われました。讃美、工作、お話、キャンドルサービス、プレゼント交換など。クリスマスに地区の子どもたちをお招きできることを西森先生はとても喜んでおられました。地区の子供会と合同のクリスマス会といっても、すべて教会にお任せということですから、西森先生が信頼されておられるのでしょう。とても良いクリスマス会でした。西森先生がお一人で頑張っておられる姿に、いつも頭が下がる思いです。
 私たちの教会では、明日の夜にイヴ礼拝とキャロリング、日曜日にクリスマス礼拝と祝会が行われます。明日の夜あたりは雪が心配されていますが、良いクリスマスとなるように願っております。



植木鉢 12月24日(土) 写真はこちら

多くの教会でそうだと思いますが、私たちの教会でもイヴ礼拝が行われました。初めての方や久し振りの方々が出席されました。雪が積もるかもしれないという天気予報ですが、少しちらついた程度で守られました。
 その後、8名でキャロリングに参りました。このキャロリングのときだけにお会いできる方もおられ、主のご降誕の喜びを讃美とともに届けることができて感謝でした。帰って来て、お茶をいただきながら、CSの先生方がほとんどでしたので、「皆さん、明日のCS大丈夫ですか?」とお聞きしたことでした。皆さんのご奉仕に感謝いたします。


植木鉢 12月25日(日) 写真はこちら

 今日はクリスマス礼拝と祝会が行われました。初めての方や久し振りの方もおいでになり、幸いな一日でした。まことの光としておいでになった主イエスを私たちの心の中にお迎えする、そんな礼拝をささげました。午後の祝会にも多くの方が残られ、出身地別に席に座りながら、楽しい交わりの時となりました。一年の最後の日曜日ということで、最後に皆さんと一緒にリビングプレイズにある「感謝します」という讃美を歌いました。その歌詞が、今年の私たちの状況にぴったりで、心にしみました。
1.
感謝します 試みに遭わせ 
鍛えたもう 主の導きを
感謝します 苦しみの中に
育てたもう 主の御心を

しかし願う道が 閉ざされたときは
目の前が暗く なりました
どんなときでも あなたの約束を
忘れないものと してください

2.
感謝します 悲しみのときに
ともに泣きたもう 主の愛を
感謝します こぼれる涙を
ぬぐいたもう 主の憐れみを

しかし願う道が 閉ざされたときは
目の前が暗く なりました
どんなときでも あなたの約束を
忘れないものと してください

3.
感謝します 試みに耐える
力をくださる み恵みを
感謝します すべてのことを
最善となしたもう 御心を


「その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(詩篇136篇16節)


植木鉢 12月28日(水)

 今年最後の祈祷会が、いつもより時間を早めて午前中に行われました。小さな集まりでしたが、大変だった1年を振り返りつつ、それぞれ感謝の思いを口にしました。震災直後の3月13日の礼拝の感動が忘れられない方、自らの心の闇を見つめながら、その心の中に救い主キリストをお迎えする喜びのクリスマスを味わった方、自分もやっぱり疲れていたんだと今になって気づかされながらもココまで守られたことを感謝する方。
 私も、教会の方々に本当に支えていただき、また教会外の方々からもたくさんの心配をしていただき、お祈りいただき、お心遣いをいただいたことを思い起こしていました。そのような具体的な助けを通して、主なる神がこの私たちにいつくしみの目を注ぎ続けて下さったことを感じた一年でした。
 一般の方々からは、「今年は本当に大変な年だったが、来年こそは良い年でありますように」という声を聞きます。確かに、大変だったことに間違いはなく、地震、津波、原発事故と異常な年だったと言うべきでしょう。ただ、私たちが心から思うことは、「だから悪い年だった」というのではなく、「この年でなくては味わうことのできない、多くの恵みもあった年だった」ということです。起こった様々な出来事が良いことだった、というのでは決してありません。悲しく辛いことがたくさんありました。けれども、聖書の約束にあるように、主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがなかったのです。詩篇136篇をもう一度味わい、心を合わせて祈りをささげました。

「その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」(詩篇136篇16節)



植木鉢 12月30日(金)

 年の瀬が迫ってきました。皆さんどのようにお過ごしでしょうか。この1週間、テレビでは震災を振り返る番組がたくさん放送されています。私の場合、地震そのものや津波による被害を伝える番組は自ら進んで見るようにしているのですが、原発事故を検証するような番組はどうしても見る気がしません。どれが本当に正しい情報なのかが分からない状態では、十分な知識がない私たちはいたずらに振り回されるだけであることや、政府や東電に対する不満や怒りをあおり立てられるだけの気がするため、必要以上に見ようとはしていません。
 また、来年3月に震災から1年が経つのを前にして、震災をふり返っての文集を教会で出そうということで、原稿の執筆を皆さんに呼びかけておりますが、私も少しずつ、3月11日以降、どのようなことがあり、何を感じ、何を考えながら過ごしてきたかを整理し始めています。まずはいろんな方とのメールのやりとりを時系列に並び直しているところですが、そのような作業を通して、忘れていたようなことを思い出しております。
 そのような中、すでに述べてきたことですが、震災を通して私が強烈に思い知らされた一つのことは、私たちキリスト者、教会のおごり、ということです。キリスト者である自分たちが、これまでいかに思い違いをしてきたか、何と傲慢な考えを持っていたか、ということです。キリストによる救いの絶対性を信じるために、キリスト者である自分たちの存在をも絶対化してしまう、そのような過ちの中に生きてきたように思います。たとえば、自分たちは本当の救いを得ている者たちであると自認するあまり、未信者の方々に対しては「あの人たちはまだ本当の救いを知らない人々」といような、自分たちよりも下に見るような思いを持ってしまっていたのではないかと思います。これは他宗教に対しても同じであって、仏教などについても、「自分たちの信仰こそ本物であり、仏教には本当の救いなどない」と言い放つことにより、他宗教に対する敬意というものを欠いてしまう傾向が大いにあったように思います。それは自分たちを誇り、自分たちを絶対化するパリサイ主義の生き方そのものです。
 しかし、震災によって見せつけられた現実は、私たちキリスト者よりもはるかに立派な、志の高い方々が未信者の方々の中にたくさんおられるということであり、また仏教が持っている宗教としての質の高さというものでした。キリスト者や教会が、自分たちの身の安全を第一にするために被災地から一目散に逃げ出す中で、被災地に残って活動を続け、地域の人々と共に生きようとする未信者の方々がおられました。また、津波で犠牲となった亡骸が、埋葬できずに悲惨な状態のまま遺体安置所に横たわっているとき、ボランティアの僧侶がやってきてお経を唱えてあげたことによって、そばにいた遺族が本当に大きな慰めを受けたということでした。私も4月に斎場に行きましたが、仏教会がボランティアでお経を上げる働きをしている、その受付が設けられていました。私たちはキリスト教界の動きしか目が届きませんが、実際には、仏教を始めとした他宗教の方々のほうがより多く、被災した方々に寄り添い、慰める働きを担ってきたことでした。
 前にも述べましたように、私はもちろん、キリストによる救いの絶対性を信じて疑わない者ですが、それによって自己を絶対化する愚かさに陥ってしまうことがないようにと願うものです。私たちはあくまで、キリストの恵みによって救いを与えていただいたに過ぎない者たちなのであって、救いによって自分たちが他の方々よりも偉くなったり、より価値のある立派な人間になったというわけでもないはずです。人間的に見れば、未信者や他宗教の方々の中に、私たちなどよりもずっと立派な方々がたくさんおられます。そのことを十分にわきまえて、私たちがキリスト者だからといって決しておごることなく、他の方々に対する尊敬の念を大切にして生きていきたい、そう願わされていることです。
 そのように、私にとって物事の考え方の大きな転換を迫られたこの年でした。


植木鉢 12月31日(土)

 新年まであと数時間となりました。ちょっとおかしなことなのですが、この年が終わってしまうのがどこか寂しいような、そんな感覚にとらわれています。一つの理由として、年が改まることによって、被災地以外の地域に住む人々の間では震災の記憶が一気に薄れ、被災地の人々が取り残されていくのではないか、そんな予感があるからだと思います。
 そしてもう一つは、ある意味では、こんなにいろんなことが詰まった年はこれまでなかったからだろうと思います。必死に生き、いろんなことを考え、多くの方々に祈っていただき、たくさんの愛の配慮をいただきました。これらすべての中に、主の守りと支えがあったことを覚えて感謝しています。
 この一年間、本当にありがとうございました。新しい年、皆さんの上に主の祝福が豊かにありますように。


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