2011年10月 牧会日記

植木鉢 10月 9日(日) 

 今日は年に2回、春と秋に行っているファミリー礼拝でした。CSの子どもたちと一緒の礼拝、そしてご家族もおいでになることを願っての礼拝です。このため、朝のCSはない日なのですが、ひとりだけ、間違っていつもの時間にチャペルに来た子がいます。我が家のお嬢さん。「今日、ファミリー礼拝だったんだ。誰もいないので週報見たら書いてあった。どうりでお父さんたち今日はゆっくりしてるなあと思った」と上がってきて言いました。「幸せな子ねえ!」と家内と顔を見合わせたことでした。そのファミリー礼拝には、ときどき出席なさるご家族がおいでになったり、また家族で揃って着席しておられる様子を拝見し、うれしくなりました(写真)。
 午後は、案内の通り、有志による映画鑑賞を行い、『偉大な生涯の物語』という映画を見ました。3時間20分ほどの長い映画ですので、途中でお帰りになっても結構ですと呼びかけたところ、16名の方がご覧になりました。そのうち最後まで残られたのが8名。当初、私の予想ではこんなに長い映画を見たいというのは3〜4名ぐらいだろうと思っておりましたので、予想していたよりも多くの方と見ることができ感謝でした。終わったあと、片付けをして残ってお茶をいただいたのは今回の鑑賞会を提案した伝道委員のメンバーでした。Y兄が今日が最後ということで、記念に写真を撮りました(写真)。Y兄は大学院生として仙台に来てから6年。聖歌隊や伝道委員のメンバーとして、またいろんな活動において貴重な青年として活躍してくれました。送り出すのは寂しいことですが、同じ東北、しかもホーリネス教会がある弘前への転居ということで、あまり「お別れ」という感じがしません。これからも、きっと教区の活動で会う機会があると楽しみにしています。Y兄の前途に主の祝福が豊かにありますように。



植木鉢 10月10日(月) 

 昨日、楽天イーグルスの山ア選手が今シーズン限りで楽天を退団し、他球団への移籍を目指すというニュースを知り、ファンとしてはとても寂しく、残念です。球団創設以来、4番打者としてチームを引っ張ってきた山ア選手。決して勝負強いという感じはしませんでしたが、情に厚い山ア選手をいつも応援していました。私は子どもたちと一緒に、毎年必ず1回はKスタに応援に行っていたのですが、今年は震災の影響もあって応援に行くことが出来ませんでした。今朝、インターネットで今日の試合が山ア選手の楽天での最後の試合になると知って、「今から行こう!」と思ったのですが、体調のことを考えて、泣く泣くテレビ観戦で我慢しました。来シーズン、どこかのチームで山ア選手の活躍する姿を見られるようにと願っています。
 そのような中、先月末から昨日まで牧会日記の更新をずっとしていなかったため、遠くにいる家族から「体調が悪いのか? あるいは9月末で終わりにしたのか?」と連絡がありました。以前のように頻繁に牧会日記を更新しないのは、一つには震災から半年以上が経過し、次第に生活が平常に戻ってきたという理由と、もう一つは、いろんなことを考えるということにちょっと疲れたということがあるのかもしれません。
 先週の地元紙・河北新報に(震災後、ある方から一週間遅れでいつもいただいています)、「共感疲労」という言葉が出ていました。次のような文章です。

▼復興への道のりは果てしない。被災者支援を続ける人の心身の疲弊が、日に日に濃くなっている。被災した自分の傷を押し隠し、膨大な業務に当たる人たちへの支援に目を向けたい▼眠れない、息苦しくなる、食欲不振や異常食欲…。宮城県内の自治体職員を対象に6月にまとめた調査では、6人に1人が中程度の抑うつ傾向を示していた▼精神科医の宮地尚子さんによれば、支援者は「共感疲労」に陥りがちだ。共感する力が消耗し、疲れ果て、感情がまひしてしまう。やがて「燃え尽き」の危機にひんするという▼息長く復興を支え続けるには心身の健康が欠かせない。「自分の弱さを自覚し、誰かに打ち明けることが重要。休むことに罪悪感を持たないで」。宮地さんの勧めを、支援活動に奔走する人たちに伝えたい。

 私は「共感疲労」に陥るほど支援活動に従事していないので大丈夫なのですが、自ら被災者でありながら支援活動をしておられる方々のことを思い浮かべておりました。多くの専門家が警鐘を鳴らしているように、精神的な疲労がこれから表面化していくのではないかと心配しております。
 そんな中、昼前、久しぶりにちょっと大きな余震がありましたね。このところ小さな揺ればかりで、だいぶおさまってきたなあと思っていたところでしたので、震度4、マグニチュード5.6の揺れに震災の記憶が蘇りました。皆さんは大丈夫でしたか。
 明日で震災から7ヶ月。全ての被災者の方々に、主の慰めと支えがありますよ
うに。

追伸:夕方、明日手術を受けられるH姉を家内と二人で訪問しました。お元気そうでした。明日は午前9時頃から手術となります。どうぞお祈り下さい。



植木鉢 10月11日(火) 

 今日、H姉の手術が朝から行われました。病室で家内がひとことお祈りをし、9時前に手術室へと向かわれました。4〜5時間の手術だと聞いておりましたので、一度帰って来た後、午後1時半ころ再び病院へ行ったのですが、待っても待っても病室に戻って来られないため、ナースステーションで尋ねたところ、実際には午前10時30分に手術が始まり、まだ手術中とのこと。そして午後5時30分過ぎに、「今、無事に手術が終わりました」と連絡がありました。予定よりもずっと時間のかかった7時間に及ぶ大手術でした。それから約1時間後、まだ十分に麻酔が切れていない状態でH姉が病室に戻って来られました。「Hさん、お疲れさま。頑張りましたね」と声をかけると、かすかにうなずかれました。相当体力を消耗したことでしょう。ずっと眠っておられる様子でしたので、すぐに病室を後にしました。今晩良き休みが与えられ、速やかな回復が与えられるようにと祈ります。
 家族の代わりのようにして手術に立ち会ったのは初めてなのですが、それにしても病院というところは大変だなあと改めて思わされたことでした。一人が終わると、また次の人が手術室のある上の階へとベッドで運ばれて行きました。H姉が終わった後も、まだ一人、小さな男の子が運ばれて行きました。「え〜っ、こんな時間からまだ手術するの?」と驚きながら、手術を受けるほうも大変だけど、数時間にも及ぶ手術を執刀する医師も、体力的にも精神的にも疲れ果ててしまうのだろうなと思ったことでした。牧師の場合は、どんなに長い説教でも1時間程で、5時間も6時間も話し続けるなんてことありません。どなたかのお話を伺うにしても、7時間も続けて話を聴くなんてことはありません。そもそも、比較することがおかしな話なのですが、よく教会内では「牧師の働きは大変だ!」と言われたりするものですから、ほんのちょっとですが社会人を経験した私には、「いやいや、牧師の世界なんて甘いなあ」と逆に思ったりしてしまいます。遅くなったにもかかわらず、丁寧に接して下さった看護士の方々に頭が下がる思いで帰って来ました。
 明日、またお尋ねしようと思っていました。回復のためにどうぞお祈り下さい。



植木鉢 10月12日(水) 

 午後、昨日手術を受けられたH姉のお見舞いに行ってきました。非常にきつそうにしておられました。予定の時間よりもずっとオーバーした手術だったため、体力を消耗しきってしまい、体が痛み止めの薬を受け付けず、昨夜は痛みのために一睡も出来なかったとのこと。今日はレントゲンやいろいろな検査があり、弱り切った状態で寝ておられるところでした。私たちも挨拶をしただけですぐに失礼しました。そのようなわけで、もうしばらくお見舞いはご遠慮下さいますように。また、今晩よき休みが与えられ、回復に向かうようにどうぞお祈り下さい。



植木鉢 10月14日(金) 

 火曜日に手術を受けられたH姉は昨日もまだあまり喋ることができないような状態でしたが、今日はだいぶ元気になられ、少しお話をすることができました。痛みのために二晩眠れなかったのですが、昨夜はやっと眠ることができ、そのお陰でだいぶ元気になられたとのこと。今日、点滴を除いた全ての管をはずすことができ、歩行器を使って少し歩けるようになりました。ただ、お見舞いはしばらくは私たち夫婦だけということで、リハビリができるくらい元気になってからお願いしたいとのことでした。回復のためにどうぞお祈り下さい。

 さて、先日、河北新報の記事を紹介しましたが、その中にも出てきた宮地尚子という方の『震災トラウマと復興ストレス』(岩波ブックレット No.815)を求めて読みました。震災後8月に出版された小冊子です。それによると、今回のような大きな災害においては、被災した人だけでなく、それを支援する人、さらにその周囲にいる人、それぞれがストレスを抱えているといいます。震災そのものによるトラウマ(心の傷)だけでなく、震災からの復興においても様々なストレスが生まれ、多くの人にいろんな傷をもたらすと指摘しています。震災からの復興を目指す私たちにとって、どのようなことが起こりうるのか、何をつけるべきなのかなど、教えられるものが多くあります。私がこれまで見たり聞いたりしてきたことについて、「なるほど、そういうことか」と思い当たることが幾つもあります。関心のある方はぜひお読みいただきたいと思いますが、「なるほど」と思わされた2つの文章を紹介します。

 生き延びた人は、自分の経験したことをわかってほしいと思いますが、同時に「とても言葉にならない」「言ってもきっとわかってもらえない」と感じ、思い出すことさえ苦しくなります。そして、ほんの表面的な出来事だけを伝えるか、口をつぐんで話の輪から離れてしまいがちです。……支援者は絶望せずに、今、目の前にいる傷ついた人のそばに居続けられます。その人も語れないことを抱えていると認識しながら、その人の言葉を真摯に受け止めることができます。すべてを聞き出す必要はなく、そこに何かがあるということが認識されればいいのです。その時トラウマを抱えた人は、わかってもらえている、という安心感を持てます。

 まず被災や喪失の程度の「重さ比べ」があります。自分が<内斜面>(被災者が立っている場のこと)のどの辺りに位置するのか、今向かい合っているこの人と自分のどちらが多くを失ったのか、どちらが精神的につらい状況に追いやられているのか。今回の震災では、「命を奪われた人のことを考えたら、自分の被災なんてなんでもない」「家族を亡くしてつらい思いをしている人がたくさんいるのだから、自分が愚痴なんて言ってられない」と、より<内海>(犠牲者が沈んでいる場のこと)に近い人たちへの気遣いがよく聞かれました。ただ、そういった気遣いは、被災の程度が客観的には軽くても精神的に追いつめられている人を支援に近づきにくくします。また、自分よりも被災が軽い人に対しては、うらやましさや腹立たしさを感じるかもしれません。そういったネガティブな感情は心の中に押しとどめられがちですが、何かの拍子にでてくることもあります。
 
 いかがでしょうか。いずれも私が経験したことでした。まだまだ紹介したい文
章がたくさんあるのですが、今日はこの辺で。


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植木鉢 10月16日(日) 

 今日は午後、縦割り部会を行い、会堂問題についてグループに分かれて話し合いました(写真)。どのような会堂を建てたいか?という身近なところから話を始めながらも、その視線を上げて、反対に、主は私たちの教会にどのような教会であって欲しいと期待しておられるのだろうか?ということに思いを巡らしたいと願いつつ、話し合いを行いました。主が私たちに期待しておられることを探るのはなかなか難しかったのですが、どのような会堂を建てたいか?ということについては、いろんな意見が出て、活発な話し合いになりました。みんなで新会堂について願うことを語り合うということは、とても楽しいときでした。このような話し合いを重ねながら、私たちの思いが一つとされていき、また、主が私たちに期待しておられることが明らかにされていくようにと願っています。
 その後、夜6時30分からの岩渕まことさんご夫妻によるコンサートに行ってきました。岩淵さんのコンサートは、私は2回目。前回はもう25年以上も前、確か大学1年生のとき、通っていた教会の牧師の息子Nくんと一緒に、近くの大きな教会で小坂忠さんとのデュオによるコンサートでした。私はどちらかというと、忠さんよりも岩渕さんの曲のほうが好きで、『父の涙』や『贈り物』などの初期の曲をよく聴いたものです。 
 今日はちょっと遅れて行ったのですが、やはり震災の影響か、思っていたよりも来場者が少ないのに驚きました。岩渕さんが仙台出身ということは知っていたのですが、奥様は築館出身とのこと。「ちょう地元じゃん!」と思いながら、お二人の優しい歌声にゆったりとしたときを過ごすことができました。
 コンサート以上に私が気になったのは、会場の仙台青葉荘教会のチャペルのことでした。午後に縦割り部会で話し合ったばかりとあって、パイプオルガンがある天井の高いチャペルに、「いいなあ。うちもこういう会堂が欲しいなあ」と、コンサート後、H兄とK姉と3人で話したことでした。賛美を聞きながら、いつか新しい会堂が建ったら、私たちの教会にも岩渕さんご夫妻にでも来ていただいて、チャペル・コンサートをしたいなあ、と思ったことでした。



植木鉢 10月19日(水) 

 昨日、2週間ぶりにボランティアに行きました。クラッシュ・ジャパンから10名ほどの方々が農作業の手伝いのために来ておられました。その中に、北海道・芽室教会の尾崎先生がおられました(写真)。月曜日に北日本ブロック会議が私たちの教会であり、教区長の尾崎先生も出席されましたが、その帰りに「せっかく仙台に来たので、今週はこれからクラッシュ・ジャパンでのボランティアに参加します」と言っておられました。そのほかにもホーリネスから数名、さらにアメリカから、またミャンマーからの牧師もおられました。
 傾聴ボランティアの途中、お客さんが来られたので、しばらくひとりで辺りを散歩しました。裏の杉の木は津波によってすっかり枯れてしまいましたが、松の木は元気で青々としています。また、澄み切った青空のもと、赤とんぼがたくさん飛んでいて、草の陰からはコオロギの声も聞こえました(写真)。思わず、「お前たちも、津波の中をよく頑張って生き延びたなあ」と声をかけたくなりました。少しの時間でしたが、秋を感じる、ゆったりとした時を過ごすことができました。
 そのお宅からの帰り、FHの物資倉庫に寄りました。9月30日の石油ストーブ配布のお手伝いをしたとき以来、久しぶりでした。教会員のH兄から預かった自転車を届けました(写真)。10月末で倉庫が閉められることになっており、物資もだいぶ少なくなっていましたが、それでも80数組の方々がおいでになったとのことでした。物資を求めて来るだけでなく、倉庫での会話を楽しみに来ておられる方々も少なからずおられるようです。倉庫が閉まったあと、それらの方々はどうなるのでしょう。様々なところで支援が終了しています。これから冬に向かい、被災者の方々にとってはこれからが本当に厳しい闘いになることでしょう。
 仙台は昨日あたりからずいぶん冷え込むようになりました。仮設住宅は冷え込むのだろうなあ、暖房器具は間に合っているのだろうか、防寒具は足りているのだろうか、主の憐れみと助けがあるようにと今日も祈らされることです。

                                                     
植木鉢 10月20日(木) 

 以前、利府にあるクラッシュ・ジャパンのベース・キャンプを訪問したとき、8月にもかかわらず朝夕が寒いくらいであったため、ボランティアに来ておられた松本先生に私が来ていたユニクロのパーカーを差し上げました。すると昨日、松本先生から同じユニクロでもずっと立派なパーカーが届きました(写真)。裏地がボア生地となっているもので、九州育ちで特別に寒がりな私には、本当に嬉しいプレゼントで、心も体も温まりました。被災者の方々に何だか申し訳ないなあと思いながらも、そのお心遣いに感謝しました。



植木鉢 10月26日(水) 

 24日から明日までの予定で、ブロック長・教区長会議出席のため、代々木のオリンピックセンターに来ています。今日の午前中は教区長ではない私はフリーとなったため、オリンピックセンターの両隣りにある明治神宮と代々木公園をそれぞれ散策してきました(写真)。広々とした公園内をゆっくり歩きながら、主の前に安らぐことが出来ました。会議ばかり続く中、ホッとするひとときでした。外に出たついでに、ヒマラヤカレーというお店でカレーを食べました。焼きたてのナンがおいしかった!実は月曜日の夜にも食べたのですが、あまりにおいしかったのでリピーターになりました。これからオリンピックセンターでの会議に一つの楽しみが出来ました。
                                            
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植木鉢 10月27日(木) 

 ブロック長・教区長会議から戻ってきました。やっぱり、仙台、そして我が家はいいですね。
 会議において、18教区の教区長の先生方からそれぞれの教区の実情をお聴きしたのですが、それぞれ多くの課題があり、ため息がでるようなことばかりです。それでも、諦めて逃げ出したくなるような教会になお牧師が留まって奉仕を続けている、それがどんなに尊いことであるか!と思います。「みんな偉いなあ」と、頭が下がるような思いがしました。たぶん、私などは苦労しているうちに入らないだろうと思います。
 もう一つ感じたことは、そういう現状にある教団をリードする立場にある教団委員の6名先生方と3名の信徒の方々、どれほど大変であろうかと改めて思わされました。休む暇もなく各地を巡回したり、様々な交渉や会議に追われたり、倒れてしまわないだろうかと本当に心配になりました。震災後、何度も「無理しないで」「家族を大切にしてあげて」と声をかけていただいたのですが、その言葉をそっくりそのままお返ししたいような思いです。あの忙しさを見ると、ご自分の体をはじめ、教会やご家庭を相当犠牲にしておられるに違いないと。それでいながら、教団委員会というのは何をやっても非難されることばかり、というところがあります。恐らく、謂われのない非難を受け、反論したいのをグッと抑えるということが何度もあることでしょう。私は別にお世辞を言うつもりは全くありませんが、近年の教団委員の先生方は、一昔前の教団の指導者の先生方のように偉ぶるようなことは全くなく(お叱りを受けそうですが、私はそう感じたことがあります)、教団と諸教会に仕える者としての姿勢を貫いておられるように思います。ときには、あまりにも低姿勢のお電話をいただいて、「そんなにしなくてもいいのに…」と思ったことが何度もありました。ときどき家内からは、「あなたのほうがよっぽど偉そうな口の利き方をしている」と注意を受けるぐらいです。
 私たちの教会の祈祷会や木曜会で使う祈祷課題表には、少し前から「教団委員長を始めとする教団委員の方々の働きのために」という項目をもうけて、9名の教団委員の先生方と信徒の方々の名前を載せ、祈っています。少し前に、大きな出来事があってから、「教団の指導者の方々のために私たちの教会でも祈らなければ!」と痛感したからです。今回改めて、教会の皆さんにはその祈りを呼びかけたいと思います。6名の先生方のみお名前を記します。

 教団委員長/郷家一二三師(坂戸)
 総務局長/島津吉成師(辻堂)
 奉仕局長/内藤達朗師(狭山)
 総務担当/上中 栄師(鵠沼)
 宣教局長/中西雅裕師(横浜)
 教育局長/平野信二師(熊谷)

このほか、3名の信徒教団委員の方々がおられます。今回の会議にも仕事を休んだり抜け出したりして出席されました。これら9名の教団委員の方々の健康が支えられ、上よりの知恵と力が与えられ、その働きが全うできるようお祈りいただきたいと思います。



植木鉢 10月30日(日) 

 日本国際飢餓対策機構が呼びかけている「世界食料デー」に合わせて、今年もCSによる節食ランチが行われました。昨日のうちにCSの先生によって“すいとん”が下準備がなされ、今日、CSの分級の時間に子どもたちが粉を丸めてお手伝いをし、昼食のとき、みんなでいただきました(写真)。その昼食代は日本国際飢餓対策機構への献金となります。
 私は今日は福島教会での奉仕でした。約1ヶ月ぶりの福島訪問でしたが、今月から礼拝に集うようになった方が3名おられ、また教会員のご家族・ご親族で年に1、2度おいでになる方々が10名(子どもを含めて)おいでになり、25名の賑やかな礼拝でした。震災のために福島を離れざるを得なかった方々もおられますが、新しく集う方もおられて、教会員一同とても励まされています。主の憐れみを感謝いたします。
 役員会の後、福島教会から少し離れた地域で独り暮らしをしておられる高齢の女性の方を訪問しました。放射能汚染の影響で、お庭にたくさん実っている柿(写真)も、今年は干し柿にできないようです。「毎年いろんな方に差し上げているのに、今年はそれが出来なくて残念です」と言っておられました。福島では、放射能の影響がいろんなところに出ているようで、教会の近くにある福島市の支所では、近くの保育園の運動会が体育館の中で行われていましたし、今日礼拝に来た子どもの一人は学校から配布された積算線量計を首から提げていました。建物の中にいるときも、ずっと身につけているようで、ときどきそれを提出して、どのくらい放射能を浴びているかをチェックするそうです。同じ被災地でも、宮城県と福島県では課題が大きく違うことを改めて思わされたことでした。そのような中、田中先生も信徒の方々も元気に過ごしておられます。お祈りを感謝いたします。
 そのように寄り道をしながら帰ったため、帰りの時間がいつもより少し遅くなったため、高速道路の出口はどこも罹災証明書による無料制度を利用する車で長い列が出来ていました。いつも利用する仙台宮城インターは出口の3キロほど手前から車の列が出来ていたため、今日はそこを通り越して、泉パーキングの中にあるETC専用の出口を利用しました。渋滞ゼロで、少しだけ遠回りになりましたが、時間は恐らくずっと早く帰り着いたのだろうと思います。泉インターや仙台宮城インターが混雑しているときは、ぜひ泉PAのETC出口を利用してみて下さい。6時過ぎに無事に帰ってきました。お祈り感謝いたします。



植木鉢 10月31日(月) (写真はこちら)

 4月から被災者への物資提供を行ってきた日本国際飢餓対策機構の仙台倉庫が今日で閉じられることになったため、お昼頃からボランティアに行ってきました。いろんな方がケーキやクッキーなどを焼いて持って来て下さり、物資を取りに来ておられた方もお礼にと昼食を用意して下さいました。最後ということもあって、カフェコーナーが設けられ、物資を取りに来られた方々がお茶を飲みながら名残惜しそうにお話をして行かれました。皆さん口々に、「(倉庫が終わりになって)寂しくなるねえ。」「お世話になりました。本当に助けられました。」と挨拶をして帰って行かれました。すっかり顔見知りになったボランティアのスタッフも、同じように別れを惜しみながら、主の祝福を祈るような思いで見送りました。
 午後5時、倉庫のシャッターが降ろされ、4月から7ヶ月に及ぶ物資提供の働きが終わりました。この間、全国から多くのボランティアの方々がおいでになり、また全国、全世界からたくさんの物資が提供されました。被災者に対する物資の支援だけでなく、お話し相手として精神的な支援をも担っていた働きだったようです。
 倉庫に来ておられた被災者の方々に対して、主がこれからもあらゆる方法を通して支えを与えて下さるようにと祈ります。また私たちも、主が導いて下さるならば、被災者の方々に寄り添える歩みをしていきたいと願わされました。おいのり感謝いたします。
                                                     


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