◇FROM佐藤 牧会日記 2011年5・6月

植木鉢 5月28日(土)

 震災後ずっとお休みしていましたゲンキ・キッズ・クラブ(土曜学校)を本日再開しま した。再開にあたり小学校の前で少しチラシを配ったこともあり、久しぶりに多くの子 どもたちが集い、イースターのビデオを見た後、ビンゴゲームをして遊びました。子ど もたちが続けて来てくれるようにと願っています。写真はこちら



植木鉢 5月30日(月)

 皆さん、いつもお祈りをありがとうございます。時が経つにつれ、落ち着きを取り戻してきましたので、いろいろと思わされたこと、感じたことなどを不定期で発信できればと願い、再びココにメッセージ(“つぶやき”?)を掲載するようにいたしました。

 昨日の礼拝後、震災後ずっと出来なかった“ホッとタイム”という集まりを久しぶりに行いました。これは普段、祈祷会などの平日の集会に出席できない方々のための、信仰の分かち合いを中心とした集会です。その中で、10名ほどの出席者ひとりひとりに、あの震災のとき、どこで何をしていたか、その後何を感じて過ごしてきたか、ということを語っていただきました。兄弟が津波の被害にあって家をすっかり流されてしまった方、親族が福島原発事故のためにどこなに避難しておられて連絡がつかない方、仕事仲間が津波で亡くなった方など、それぞれたくさんの悲しみや痛みを負っておられることを改めて気づかされました。余所から来た私とは違って、この宮城で生まれ育った方々は、宮城あるいは東北に多くの親族や知人がおられるため、親族や知人の誰かが亡くなったり、家を流されたりしており、震災で受けたダメージも私などよりもずっと大きく深いことを知らされました。教会における主を中心とした交わりが、まず教会員ひとりひとりの癒しと慰めとなり、それによって新しい力が与えられた方々が、家族や親族、知人など、周りにいる助けを必要とする方々に慰めを与える存在となれたなら……、そのように願っています。
急がず、焦らず、ゆっくりと一歩ずつ。



植木鉢 5月31日(火)

 今日、クリスチャン新聞のホームページを見ていましたら、「『神のさばき』強調の団体 仙台の教会で礼拝途中にも」という記事を見つけました。5月22日の仙台福音自由教会の礼拝での出来事が紹介されていました。
http://jpnews.org/pc/modules/mysection/item.php?itemid=226ちょうどこの日、私は福島教会での奉仕で仙台教会を留守をしていたのですが、私たちの教会にも二人のドイツ人女性が突然やってきて、礼拝中にいきなり講壇前に進み出て、「このたびの震災は神の審きだ!」というような内容のことを英語で一方的に叫んで帰って行ったということがありました。ココまで極端でなくても、福音的と思われる教会の中に、真面目で熱心なクリスチャンの中に、「今回の震災は神さまからの警告ではないか」「罪を悔い改めるように神は訴えておられるのではないか」と考える人たちがいるように思います。そしてそれはともすると、とても聖書的であるようにさえ思えます。

 しかし私は、少なくとも以下の三つの点で、やはり間違った考えであるように思います。

 第一は、神の啓示の問題です。私は不勉強で十分に理解していないことをおゆるしいただきたいのですが、私たちの立場は、イエス・キリストの出来事の中に、そしてそれを記した聖書の中に、神は必要な全てをすでに啓示しておられる、という立場です。それゆえ、私たち人間が罪を悔い改めるべきことは、このたびの震災によらずとも、聖書を通して一貫して語られてきたことです。もし、私たちが周りに起こってくる出来事を通して神からのメッセージを直接的に受け取ろうとするならば、私たちは日々起こってくる様々な出来事を一つ一つ解釈しなければならなくなり、そこには必ずこじつけが生じ、神のメッセージのはずが、いつの間にか出来事を解釈する私のメッセージにすり替わってしまいます。個人的に、自分の身に起こったことを通して神の語りかけを受け止める、ということは許されるとしても、特殊な出来事を一般化して、そこから神のメッセージを受け取るという姿勢は、信仰の逸脱にもつながる危険な態度であると言わなければなりません。

 第二に、福音の語り口の問題です。私たちが罪を悔い改めるのは、神の審きが怖いから、滅びが怖いからではなく、イエス・キリストの十字架の恵みが分かったからのはずです。すなわち、私たちは脅されて悔い改めるのではなく、圧倒的な神の恵みに促されて、自ら進んで悔い改めるのです。私たちが語る福音はあくまで、喜びの知らせであって、「悔い改めなければ滅びるぞ!」という脅しのスタイルは、決して福音の語り口ではありません。

 第三に、愛の欠如の問題です。震災の大きな痛みと悲しみの中にある者たちに対して、“神の審き”や“神の警告”を口にして悔い改めを迫るのは、被災者に対する共感、共苦の心が決定的に欠落していると言わざるを得ません。あの津波で愛する家族を失った人々、家や財産の全てを失って途方に暮れている人々の苦しみや痛みに少しでも寄り添おうとしたならば、あのようなメッセージが出て来るはずは決してないと私は思います。私の信じる神は、このような大災害において、「ほら分かったか、さあ、今こそ悔い改めよ! さもなければあなたがたも滅びるぞ!」と言われるような神ではありません。苦しむ者たちの叫びに耳を傾け、心を痛めておられるお方です。このような出来事にもかかわらず、御子キリストをさえ与えて下さった神の愛は、決して変わらないことを信じています。そして、変わることのない神の愛を信じられるからこそ、このような大きな悲しみや苦しみの中でも、私たちはなおも望みを抱きつつ、今日を生きることができるのではないでしょうか。


植木鉢 6月1日(水)

 今日の祈祷会でお二人の方がこんなお話を聞かせて下さいました。お一人の方は、ボランティア先で物資を取りに来られる方々が、「家が流されて…」「津波で流された知人が見つかって…」というご自分の辛い話をポツリ、ポツリと話されるようになったとのこと。ボランティアをしておられるその方は、「ただ話を聴くだけで何もできなくて」と言っておられました。もう一人の方は、福島の会津のほうに行かれたとき、ある公園で出会った70才前後の女性が、福島原発事故のために避難して来られた方で、「避難所にいても何もすることがなく、誰も話す相手もいないので、こうやって公園にでも来れば誰かと話すことができるかなと思って毎日のように来ているのだ」と話されたそうです。

 お二人のお話を聞きながら、震災で大きな痛みを負った方々が必要としているのは、自分の話を聞いてくれる人の存在なのだなあと改めて思わされました。誰か自分の話に耳を傾けて聞いてくれる人がいて初めて、人は自分の心の中にある思いを外に出すことができるようです。今、どれほど多くの方々が、そのような存在を必要としておられることでしょう。 それを思うとき、たとえ通りすがりの人であっても、恐らく二度と会わないと思われる方であっても、その方の話に耳を傾け、じっと静かにその心の叫びを聞いて差し上げるということが、どんなに尊いわざであるかと思わされました。そして、昨夜読んだ「旅人をもてなす」という題の聖句断想を思い出しました。

    「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。
    そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(ヘブル13章2節)

 天使が訪ねて来たならば、だれでも喜んでもてなすのであります。しかし、天使は天使の姿をして訪ねてくることはありません。困窮し、疎外され、行き暮れた人の姿でわたしたちに出会うのです。天使をもてなす人はだれでも「気づかずに」もてなしているのです。          『神の朝に向かって』(小島誠志)より

 私たちも、神さまが出会わせて下さる方々に寄り添い、もてなすことを通して、「気づかずに」天使をもてなす、そんな歩みをさせていただきたいと心から願わされたことでした。




植木鉢 6月2日(木)

 今日の木曜会(女性たちの集まり)で、先日のホッとタイムでも使ったプリントを読みました。それは堀肇先生の『こころにやさしく』という本にある「解釈しない優しさ」という文章です。以下に、大切と思われる部分を抜粋します。

 誰でも悩みが深刻な時には、周囲から説教されたり、あれこれと尋ねられたりしたくはないものです。それより傍らで黙って悩みを聞いてほしいと思うものです。もしこの願いがかなえられないぐらいなら、一人でいる方がずっと落ち着くのではないでしょうか。
 ところが、私たちはどういうものか、他人のことになりますと、発生した問題の原因や理由を詮索したり、解釈したりする傾向があるのです。
 たとえば、これは信仰者によく見られるものですが、病気や事故、また、仕事や家庭の問題などで苦しんでいる人に対して、「あなたが、こういう苦しみにあったのは、○○について神様のみこころを知るためだったのではないかしら」などと、苦難の意味について説き明かそうとしてみたり……。
 私は以前からこのような他人の苦しみや悲しみに対する「解釈」というようなものを決して軽々しくやってはならない、と深く考えるようになってきました。それは私たちの解釈というものは、全くの見当はずれの場合があるというだけでなく、他者の人生について解説したり、解釈したりする権利もないと思うからです。そして何よりも苦しみにあった本人が、詩篇にあるように、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)というような告白をするに至るまでには相当の時間がかかるということ、またかけなくてはいけないことも分かってきたからです。出来事の本当の意味というものは、そんなに簡単に分からないのではないでしょうか。事柄によっては、天国においてしか意味が明らかにされないものもあると
思うのです。
 不幸の原因や理由を詮索したり解釈したりするようなことは、苦しみの中にある人にとっては何の慰めにも励ましにもならないということです。仮にその解釈が的を射たものであったとしても、人の慰めにはなりにくいものです。それよりもむしろ、何の解釈もしないで黙って耳を傾け、その心の悩みに共感してあげることの方がどれほど大きな助けになるか分かりません。その意味で、最近、私は「解釈しない」というのは一つの「優しさ」だと思うようになりました。

 ちょっと長くなりましたが、いかがでしょうか。何度か読んだことのある文章でしたが、今回の震災の後、改めて「本当にこの通りだなあ」と実感しました。信仰の名のもとに、そして相手を励まそうとするあまり、他人の苦しみを勝手に解説しようとすることが私たちにもあるのではないでしょうか。私自身、今回の震災で感じたことは、「ただ黙って聞いてくれる」という存在を私たちは求めているのであって、いろいろと気の利いたことを言ってくれる人は必要ないし、それは私たちの慰めにはならない、ということでした。この点において、私たちは随分と思い違いをしているなあと思います。相手の苦しみについて、人生について勝手な解釈をしないということは、相手の人格を尊ぶことであり、そのような態度は、受ける人にとって「優しさ」として伝わるのではないでしょうか。
 私たちの教会の交わりが、このような「解釈しない優しさ」のもとになされていくようにと願います。



植木鉢 6月3日(金)

 昨日の夕方、私たちの教団も加盟している日本福音同盟(JEA)の援助協力委員長の中台孝雄先生が、被災地にある加盟教会にお見舞いに回っているとのことでおいで下さいました。

 その前日の水曜日に、私が福島教会の祈祷会に行っていて不在のときに、訪問してよいかとの問い合わせのお電話があり、私が戻る頃にもう一度お電話を下さるとのことでした。実を申しますと、私は丁重にお断りしようかと思っておりました。わざわざJEAからお見舞いをいただくほど大きな被害はありませんでしたし、何よりも、そのようなお見舞い訪問によってこちらがかえって疲れを覚えるようなことがこれまでもあったからです。気心の知れている友人牧師などによる訪問は心がほぐされるときとなるのですが、あまり面識のない方の儀礼的な訪問はできれば断りたい……。

 けれども、その後いただいた中台先生からのお電話のやりとりの中で、何か直感的に「ああ、この先生だったら大丈夫」というものを感じ、おいでいただくこととなりました。

 わざわざ千葉県からこのために、午前中は古川福音自由教会と築館教会をまわり、午後、私たちの教会においで下さいました。JEAの委員会の長になるような先生ですから、偉い先生に違いないと思うのですが、そんな素振りは微塵もなく、全く初めてお会いする先生でしたが、その穏やかな語り口と相手に寄り添おうとされる姿勢に、何か心が和らげられる思いでした。

 人というものは、何を語るかという言葉の中身よりも、語る人がどういう存在であるか、ということのほうがずっと大きなメッセージとして相手に伝わるものです。相手の存在を尊び、受け入れようとしている人は、たとえ言葉を発しなくても、こちらにその心が伝わるものです。昨日お会いした中台先生に、私はそのような雰囲気を感じ、「こういう人を牧師って言うんだよなあ」と思ったことでした。

 そして自らを振り返り、「果たして自分は周りの人たちに対して、いつもどんな雰囲気を醸し出しているのだろうか」と思わされたことでした。昨年の全国信徒大会のときのお土産として入っていた御言葉の書かれた色紙が、今も私のパソコンの前に貼ってあります。

    「一切高ぶることなく、柔和で、寛容な心を持ちなさい」(エペソ4:2/新共同訳)

  「はーっ」と思わずため息が出てしまいました。



植木鉢 6月4日(土)

 昨日のこの日記で、JEAの援助協力委員長の中台先生をお迎えしたことを紹介した文章の中で、「そのようなお見舞い訪問によってこちらがかえって疲れを覚えるようなことがこれまでもあった」と記しました。少々誤解を生むような表現ですが、震災以来、相手に届く援助、支援とはどういうものか、ということをずっと考えさせられてきました。
 私は、真の援助とは、援助者自身がやりたいことをするのではなく、被援助者が「してほしい!」と願うことをする、それが本当に必要な援助であろうと思わされています。こう言うのは、必ずしもそうでない場合があるからです。
 今回の震災において、私たちの国の政府に対して、被災地からは支援の遅さと不十分さが繰り返し訴えられていますが、私たちの教団では、災害対策本部を中心に、迅速かつ十分な支援をして下さっています。震災からわずか三日後の早朝、山田智朗師、平野信二師、宮崎誉師の3人の先生方が、高速道路が不通で大変な
中、物資を持って駆けつけて下さいました。あの迅速な訪問が、私たちにとってどれほど嬉しく、また勇気づけられたことでしょうか。その後も、行き届いた十分な支援を教団から頂いており、感謝に堪えません。
 むしろ私が苦慮していたのは、「何か助けてあげたい!」という皆さんの思いがあふれて、こちらが受け止めきれないほどであって、それをどうお断りしたらいいだろうか、ということでした。それは今も継続中のことです。支援を申し出て下さるそのお気持ちは本当に有り難いのですが、そのことがかえってこちらを疲れさせる、ということがあるからです。このようなことを言っては、「支援してもらっているのに何を文句言っているのか」とお叱りを受けそうですが、場合によっては、何もしてくれないで見守っていて下さることが被災地の支援になる、ということもありえるのです。
 福島教会で避難所のボランティアをしておられた方からこんな話を聞きました。その避難所には、福島原発事故から避難して来られた方々が入所しておられました。ボランティアの方々は何とか被災者を支援し励まそうと、物資の支援だけでなく、生け花教室をしたり、歌の会をしたりと、いろんなプログラムを行っていました。ところがあるとき、避難者の代表の方々が来られて、「これらのプログラムを全てやめてほしい。みんなかえって疲れてしまう。もう何もしないでほしい」と訴えられたそうです。
 私はそのお話を聞きながら、避難者の方々の訴えがとてもよく分かる気がしました。お見舞い訪問によって疲れ、援助協力の申し出に対する応対によって疲れる、ということがあるからです。申し出て下さった方々に失礼があってはならないと思いつつ、このような事態においては、そのような方々を迎えることのほうがずっと精神的な負担になる、という場合があります。それで、最初に記しましたように、真の援助とは、援助者がやりたいことをするのではなく、被援助者が「して欲しい!」と願うことをすることである、と考えるに至りました。
 被災地にとって一番有り難いのは、援助できる物資やプログラム、人材のリストがあって、それを被災者が自由に選んで援助をお願いできる、そんなやり方があったらいいのになあと思わされています。この震災が一段落したら、緊急支援対策室にそのあたりの思いをお伝えできればと思っています。



植木鉢 6月5日(日)

 礼拝後、震災後に愛するご家族を亡くされた方としばらくお話をしました。「もう2ヶ月以上経って、本当はいつまでも悲しんでいてはいけないんだけど……」と言いながらも、ずっと涙を流しておられました。愛する家族を失った悲しみと、そのことをまだ十分には受け止めることができないでいる苦しみとを抱えて、心の中に切なるうめき、叫びがたくさん詰まっておられるようでした。
 震災による被災者である上に、大切なご家族を突然のように失うという二重の苦しみを負わされたのですから、心が疲れ切ってしまうのは当然のことでしょう。私たちでさえ、イライラしたり、気力が湧かなかったりするのですから。

 クリスチャンの場合、問題を難しくさせるのは、「私はクリスチャンなのだから、いつまでも悲しんでいてはいけない」「いつも希望を抱いて明るくしなければいけない」という思いを持ってしまうことです。その「クリスチャンなのだから、こうあらねばならない」という思いが、自分自身を苦しめてしまうのです。そうではない自分がそこにいるからです。そのような自分の心を偽って、「私は大丈夫!」と自らに言い聞かせるようにして振る舞おうとするとき、それはかえって事態を悪化させてしまうことがあるようです。

上沼昌雄先生の『苦しみを通して神に近づく』という本の中に、次のような文があります。

 神を信じてる人生であっても、叫ぶ以外にないときがある。……遠慮することもない。それで神様がへそを曲げてしまわないだろうかと心配することはない。ストレートに声をあげて叫ぶことしかできないのだ。苦しみに直面したときには、信仰深く振る舞って心の深い思いを押しつぶしてしまうことがある。しかし、むしろ思いをそのまま叫びとして出してしまったほうがよい。

 私たちの場合、全てをご存じの神さまの前でさえ、自分の信仰態度を取り繕おうとすることがあるのではないでしょうか。こんなことを言っては神さまがヘソを曲げてしまうのではないかと思ってしまうのです。けれども、詩篇に歌われている叫びは、「えっ、そんなこと神さまに言っても大丈夫なの?」とこちらがビックリするような叫び、訴え、愚痴が出て来ます。これらの歌が聖書に記されているということは、私たちは心の中にある思いをそのまま神さまに訴えることが許されている、ということではないでしょうか。私の神さまは、私のどんな思いをも受け止めて下さる!と信じているからこそ、真正面から神さまにぶつかっていくことができるのだと思います。
 それで、その方には、今は、無理に明るく振る舞おうとか、元気に見せようとする必要はなく、「私は悲しい」「辛い!」と叫んでもいいのではないでしょうか、とお話しました。即座の癒やしと回復を求めることよりも、神さまが考えておられる時に従って確かな回復のわざをなして下さると信じて、悲しみのときに素直に悲しむことができるように、そう祈らされたことでした。



植木鉢 6月6日(月)

 午後、家内と二人で塩釜の海岸近く(海から15mぐらい)に住むM姉を訪問しました。震災直後、沿岸部は壊滅状態であることをラジオで聞き、あんな海近くに家があるので、ダメかもしれないと思っていましたが、無事が確認され、本当に感謝し喜んだことでした。 
 今回、震災後、初めての訪問でした。途中、津波の被害が繰り返し報道されたマリンゲート塩釜付近を通りました。まだまだその爪痕があり、ボランティアの方々が倒壊したり流されたりした家屋の片づけをしておられました。
 津波で大きな被害があったその地域から車でほんの数分の距離にあるM姉のお宅周辺は、同じように海岸すぐそばにあったものの、驚くほど津波被害は小さく、M姉宅も床下浸水で済みました。塩釜湾の中にある小さな島が防潮堤の役割を果たしてくれたようです。命が守られ、最小限の被害で済んだことは、ただただ主の憐れみという以外にありません。
 二人のお子さんたちも元気で、下校時にちょうど会ったMくんは元気に小学校に通っているとのことです。
 その帰りは利府に抜ける道を通りましたが、途中には仮設住宅が立てられていました。すでに入居している住宅と建設中の住宅がありましたが、“仮設”とある通り、ココで生活していくのは大変なご苦労があるだろうなあと思わされたことでした。そのような現実を目の当たりにして、改めて、被災した全ての方々に、行政を始めとする様々な方法を通して、必要な助けの手が差し伸べられ、その生活が少しでも改善していくようにとお祈りしました。



植木鉢 6月8日(水)

 今日の福島教会の祈祷会は、県外に避難しておられる2名の方も出席され、9名で賑やかでした。5日の礼拝が14名でしたから、驚異の出席率でしょう。皆さんそれぞれいろんな課題を抱えておられますが、共に祈ることができる幸いを覚えたことでした。
 祈祷会の後、軽食を一緒にいただくのですが、話題はやっぱり放射線量のこと。福島市のお隣の伊達市霊山町の一部の地域では、年間の積算被曝線量が20ミリシーベルトを超過することが2、3日前に発表されました。旧・掛田教会は、この霊山町掛田にあった教会で、掛田から福島教会に来ている方もおられます。その掛田はまだそこまでは高い数値が公式には出ていないのですが、若い方々を中心に自主避難を始めている方々もおられるとのこと。震災からまもなく3ヶ月が経とうとしていますが、福島では復興どころか、まだまだ継続中という感じです。
 また、数日前には、高齢の独り暮らしの教会員がまた一人県外に住む息子さん家族のもとへと行かれました。震災後、体調を崩しておられましたので、「それが良かったね」と皆で話したところでした。
 このように、福島教会では震災と原発事故の影響をまともに受けている状態ですが、会員が心を合わせて教会を支えようとしています。どうぞ引き続きお祈り下さるようお願い致します。



植木鉢 6月9日(木)

 今日、午前の木曜会が始まる前、ある方から電話があり、「あっ、佐藤先生、○○です。木曜会に行こうとしていたのですが、交通事故に遭い、今から救急車で病院に向かいます。お祈り下さい」、そう言って切れました。いつも自転車で教会においでになる方なのですが、どうも車とぶつかったようです。ただ、どこで事故に遭い、どこの病院に向かうのかも分かりませんでした。しかし、今ならまだ警察が実況見分をしているのではないかと思い、その方が通りそうな道を探しながら車を走らせると、パトカーとタクシーが止まっていて、自転車が脇に置いてあるのが見えました。尋ねるとやはりそうで、近くの病院に運ばれたとのことでした。その病院に行くと、その方は車椅子に乗っていて、足の打撲で骨折はしていないとのことで、少し安心しました。その帰り、自転車と共にご自宅までお送りしたのですが、痛みはとても激しいようで、足の感覚がなく、車に乗っているうちにも、痛い部分が段々と広がってきているようでした。明日も病院に行くとのことですが、これ以上ひどくならないようにと祈っております。
 このようなとき、牧師は幾つかのことを心配するものです。一つはご本人のこと、もう一つはご家族のこと。教会の集会に出席するために向かっていたのに交通事故に遭った、ということにショックを受けないだろうか。「神さま、なぜ?」と疑うような思いに囚われはしないか、と。その方はいたって冷静にしておられましたから、それほど心配はしていないのですが、それでも、「体だけでなく、その心も守られますように」と祈るものです。
 もう一つ、このようなとき、未信者のご家族のことが心配になります。「そんなことなら教会なんかに行くな!」「お前の神さまは守ってくれないのか?」と言われたりしないだろうか、と。ちょうどその方をご自宅にお送りしたとき、ご主人さまにお会いすることができました。今日でお会いするのは2回目でした。「いつもお世話になっております」(佐藤)、「ご迷惑をおかけしました」(ご主人)と挨拶をかわしました。いつもご家族を快く送り出して下さっているご主人なので、大丈夫かなと思っておりますが、それでも「このことで信仰を責められたり、教会に行くことを止められたりすることがありませんように」と祈るものです。
 “主よ、どうぞ、○○さんの痛みを和らげ、癒しを与え、また元気に教会に来ることができるようにして下さい。ご主人さまをはじめ、ご家族の上にも慰めと平安を与えて下さいますように。御名によって祈ります。アーメン。 


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植木鉢 6月10日(金)

 昨日この日記でご報告した、自転車に乗っていて交通事故に遭ったI姉の続報ですが、今日お電話があり、「近くの病院に入院しました」とのことでした。I姉は今朝、昨日受診した病院にもう一度行ったのですが、特別な手当をしてくれることもなく、レントゲン写真を見て「打撲ですからそのうち治ります」とのことで診察終了。「足が動かないのです」と訴えても、「痛みがひどいのなら、座薬でも出しておきますか?」と言われただけでした。そこで、帰りの家の近くにある外科・整形外科の病院に行くと、「膝に血がたまっており、剥離骨折している疑いがあり、靱帯も損傷しているのではないか。これでは足が動かないでしょう」
と言われたということです。それで、そのまま入院となりました。I姉は「かえって安心しました」とホッとした様子でした。
 私も昨日の様子から、「単なる打撲」という診断に疑問を持っておりましたので、「やはりそうだったか」という思いがしました。それにしても、最初に受診した総合病院の診察態度はどうしたことでしょう。昨日の時点で、私が見ていても「えっ?」というところがありました。足が動かせないために車椅子に座っているIさんに松葉杖を渡し、歩き方を教えると、さっさと車椅子を片づけてしまったのです。とても歩けそうにないと思った私が、「病院を出るまで車椅子を貸してもらっていいですか?」と急いで車椅子を取り返したほどでした。患者さんの数が多く、一人の患者に多くの時間を割いていられないことは分かるのですが、
患者がどんなに「痛い」「足が動かない」と訴えても、聞く耳を持ってくれなかったようです。レントゲン写真ばかり見ていて、患者本人の様子を十分に観察し、その声に耳を傾けようとする姿勢が足りなかったために、「単なる打撲」という診断で終わってしまったのではないでしょうか。それほどまでに、大きな病院の医師は心の余裕がないということでもあるのでしょう。
 そのことをお聞きしながら、教会でも同じようなことが起こりうるなあ、と思わされたことでした。教会員の話に十分に耳を傾ける余裕がなく、聞いているようでありながらも実際にはちゃんと聞いていなかったりすることが。「またいつもの話だ」ぐらいに思って聞いているために、いつもとは違う相手の様子に気づかないで終わってしまうことが。かつて読んだある本に出て来る話を思い出しました。

 一人の女の子が、新聞を読んでいる父親のところへ来て、自分の手の傷を見せ
ようとした。その父親は新聞から目を離さずに、こう言った。
「おまえの手の傷を見たって、おとうさんにはどうにもできないよ。」
娘は言った。
「でも、おとうさん。『かわいそう』って言えるでしょ?」
     (『幼い子を持つ親のための7章』ジョン・M・ドレッシャー)

 この小さな女の子の場合は、「でも、おとうさん」と言えたが、教会の場合は「でも、先生」とは言わないまま、寂しい思いを抱えて静かに教会を去っていくということがあるのではないでしょうか。果たして自分はこれまでどうだっただろうか、あの病院の医師の態度が他人事ではなく、自分の姿に重なるように思えてきました。
 I姉の足のケガの上に、主による癒しがありますように。



植木鉢 6月11日(土)

  今日、第7回全国信徒大会の最後の実行委員会が私たちの教会で行われました。本当は3ヶ月前の3月12日に行われる予定でしたが、あの震災によって中止となり、今日まで延期されていました。ある方が言っておられたように、「こんなときに実行委員会を行う必要があるのだろうか」という思いを私も持ったのですが、やはり最後の実行委員会を行って区切りをつけたい!という意見が多かったため、今日、3ヶ月遅れで最後の実行委員会が行われました。少し時間が経ったこともあり、奥羽教区の実行委員の方々の欠席が多かったことはとても残念なことでした。
 震災によって、信徒大会の感動などどこかに行ってしまっていたような私でしたが、出席された皆さんの思い出をお聞きしながら、「ああ、そうだった」とその恵みを思い出しておりました。全国の皆さんに喜んでいただいた大会を開催するにあたり、二つの教区の信徒・教職の皆さんが、それぞれ分に応じてご奉仕をして下さいました。「分に応じて」ということは、その奉仕の重さや量について違いがあるということです。これはどこの教会においても同じことでしょう。そしてしばしば、実際に教会を支えているのは、ほんの一握りの方だったりすることがあるものです。手前味噌で恐縮ですが、今回の信徒大会でも、最後の2週間ほどの大詰めのとき、私たちの教会の二人の姉妹の陰の働きがなかったら、あの大会は開催できなかったのではないか、と近くで見ていて思ったことでした。「私たちはコレだけやった!」などとお二人とも言いませんから、他の実行委員の方々はそのご苦労を実際にはご存知ないのですが、私は、懸命に奉仕をしておられる姿を見ながら、「これが実際の教会の姿だよなあ」と思ったことでした。それと同時に、多くの奉仕をさせていただくということは、大きな恵みだなあと思います。誰かに見ていてもらわなくても、その陰の奉仕を主イエスはちゃんとご存知であり、また仕えることを通して、奉仕する者自身がいよいよ整えられ、信仰者としての器が一回り大きくされ、主がなされたみわざを誰よりもハッキリと見ることができるからです。「水をくんだ僕たちは知っていた」(ヨハネ2章9節)とある通りです。
 この大会に携わった全ての実行委員の方々が、この大会の準備・開催を通して教えられた、恵まれたこと、訓練されたことを、それぞれの教会や教区に持ち帰り、今後の教会形成、教区形成に活かしていっていただきたいと切に願わされました。
 この大会を最初から最後まで導いて下さった主に感謝するとともに、全国の皆様のお祈りとご協力に心より感謝いたします。



植木鉢 6月13日(月)

 昨日、私は福島教会での奉仕でしたが、仙台の教会では教区長巡回として弘前教会の白鳥道幸牧師(写真はこちら)がおいでになり、メッセージをして下さいました。大切なペンテコステ礼拝であるにも関わらず、先生を送り出して下さった弘前教会に感謝いたします。この礼拝に、数年ぶりという方が出席され、とても嬉しく思いました。いつも不思議に思うのですが、私が他の教会の奉仕で留守の日に限って、久しぶりの方や初めての方
(先日の謎のドイツ人も)がおいでになります。ところがこれは私たちの教会だけでなく、友人牧師たちに話したら、「ウチもそう!」と皆さん言っておられました。教会の七不思議の一つのようです。

 さて、今日は本当は山形で行われる日帰りの「静まりの集い」に出席する予定でしたが、ずっと疲れがたまっていたためにお休みし、午前中はゆっくり休養としました。午後、K姉がボランティアとして関わっておられる、若林区卸町のほうにある日本国際飢餓対策機構http://www.jifh.org/の倉庫を訪問(写真はこちら)しました。被災者の方々に物資を支援するために倉庫を借り、そこへ自由に来て必要な物資をもらっていくことができます。倉庫内には食料品から雑貨、衣類、食器類など様々な物資が並んでいました。国内だけでなく、米国や韓国などからも大量の物資が届けられ、提供されています。TVなどで報道されていて皆さんご存知のように、仮設住宅に当選しても、生活していくための費用がないために避難所暮らしを続けている方が多くおられるということです。そのような状況ですから、避難所を出て仮設住宅やアパートなどで新しく生活を始めた方々にとって、あの倉庫の存在がどれほど有り難いものであるかを実感しました。皆さん必要なものを探され、喜んでおられました。主がこの働きを用いていて下さっているようでした。

 ちょうど私が伺った頃、近くのT姉が先週に続いて手作りの袋を持っておいでになり、しばらくお米の袋詰めなどの作業をしておられました。私たちの教会の皆さんに提供していただいた食器や服なども持参しましたが、すぐにもらっておられる方がいて、「役に立って良かった!」と思いながら眺めておりました。食器や夏物衣料(新品)はまだまだ不足しているようです。 

 また、オカリナのミニコンサートも行われていました。物資を受け取りに来ながら、被災の様子など心の内をお話になる方もおられるようで、あの場所が単なる物資提供の場ではなく、その心がほぐされる場にもなるようにとスタッフの方々が願っておられます。
 K姉のボランティアを通じて、私たちの教会が少しでも被災者の方々とつながり続けることができることを嬉しく思いました。



植木鉢 6月15日(水)

 今日も福島教会の祈祷会に行ってきました。もともと車の運転が嫌いな私が、毎週の福島往復が主によって守られていることを感謝しています。最近になって片道80キロの運転にも慣れてきました。朝9時までの高速のゲートを通過すると、ETC料金が半額割引になるので、水曜日はいつも8時20分頃に家を出ます。平日の朝の市内は随分と混むので、高速入口まで30分ほどかかります。4月の初め頃は、高速道路を自衛隊や警察の車輌が隊列を組んでたくさん走っていたのですが、最近はほとんど見なくなりました。震災から3ヶ月が過ぎ、行方不明者の捜索などが終了し、活動内容が最初の頃とはかなり変わってきたのでしょう。
 その祈祷会で、ある方がこんなお話をされました。「日曜日の礼拝後、昼食のときにみんなで窓を開けて会堂に風を入れたら、とっても気持ち良かった。それで次の日から、我が家でも窓を開けることにして、それまで室内で干していた洗濯物も外に干すようになり、布団も思い切って外に干すことにした。風がとても気持ち良く、何だかスッキリした」と。
 そういえば、三日前の福島教会の礼拝では、エアコンがない会堂で、扇風機もまだ出していなかったために、かなり蒸し暑い状態でしたが、窓は閉め切ったままでした。聖餐式のためにガウンを着用していた私にはとっても暑く感じたのですが、皆さんは窓を開けようとはしませんでした。私はてっきり、礼拝の音がうるさくてご近所に迷惑になるので、礼拝中は窓を開けないことにしているのだろう、と思っていました。けれどもそうではありませんでした。放射線量が高めの福島市では、できるだけ窓は開けないようにと言われているために、礼拝中も窓を開けるのを控えていたということでした。それでもさすがに昼過ぎには暑くなり、みんなで「いいよね。大丈夫よね。気にしないよね」などと言いながら、窓を開け、外の爽やかな風を会堂の中に入れたことでした。福島では、そのほかにも、外出時はマスクや帽子を着用するように、肌をなるべく出さないようにするために半袖ではなく長袖の服を着るようになど、様々な注意事項があるようです。放射線の影響で病気になる前に、熱中症で倒れてしまうのではないかと本気で思わされたことでした。
 福島に比べると、仙台市内では放射線量がずっと低く、窓を開けるのを躊躇する人などいませんし、紫外線を避けるために長袖を着る人はあっても、放射線を避けるために長袖を着ようという人はいません。子どもたちも学校で外に出て思いっきり遊んでいます。福島の方々のご苦労を思うと、80キロ離れた仙台は平和なんだなあとつくづくと思わされました。
 福島原発事故が一刻も早く収束へと向かうことを祈るばかりです。



植木鉢 6月16日(木)

  昨日、以前2回ほど訪問したクラッシュ・ジャパン(利府・森郷キャンプ場に東北のベースを置いている)のスタッフから連絡があり、ある方の傾聴ボランティアをお願いできないかということでした。そのスタッフの方に、そのような働きの求めがあるかをお聞きし、その時点ではまだその段階ではなく、泥出しなどの作業が中心であるということでした。けれども、クラッシュで泥出しのボランティアをしておられるお宅から傾聴ボランティアの要請があり、スタッフが私のことを覚えていて下さって、連絡を下さいました。
 それで今日の午後、しばらく泥出しボランティアが続いているそのお宅に訪問しました。若林区の海岸から1キロほどの距離にあるお宅で、1階は完全に浸水したお宅でした。今はアパートに住んでおられますが、日中は復旧の作業をしておられるとのこと。そのお宅のおばあさまのお話をお聞きするために、午前中から行っておられた女性の宣教師の先生に合流し、しばらくお話を伺いました。家の周辺にはまだまだ瓦礫がいっぱいあり、震災から3ヶ月経ったとはいえ、同じ仙台市内でも私たちの教会の周りとは全く違った光景で、受けたショックも想像を絶するものだったことでしょう。細く長く、関わりを持つことが許されればと願っております。
 そのお宅の泥出しに、ちょうどクラッシュ・ジャパンの代表者であるジョナサン・ウィルソン師が来ておられ、少しお話する機会が与えられました。写真で拝見していた限りでは、私よりも10才ぐらいは年上の先生かなと思っていたのですが、何と私と同い年だということで、その尊いお働きに頭が下がる思いで感謝しました(写真右端)。そのウィルソン師が少し時間をかけて私に話されたのは、今回の震災はその規模としても私たちの想定を超えるものであるゆえ、傾聴ボランティアなどをしながらも自分がストレスやダメージを抱え込むことになりやすく、「牧師だから大丈夫」と思わないで、自分をいたわって欲しい、十分に休養を取って欲しい、ということでした。ウィルソン師自身も、自分にストップをかけて、休養を取るようにしているとのことでした。今後のために、貴重なお話を伺うことができ、神さまのプレゼントを感謝しました。
 小さな働きのために、どうぞお祈り下さい。



植木鉢 6月17日(金)
 
  震災後、キリスト教関係の支援活動やボランティアの働きを見聞きしながら、私の心の中にずっとモヤモヤする思いがあります。それは、私たちキリスト者がクリスチャンではない一般の方々に対して支援活動をするにあたり、何を第一の目的に据えて行うべきなのか?ということです。相手に必要な助けの手を差し伸べ、相手に寄り添う、そのことを第一の目的として行うというのでは不十分なのか。クリスチャンはやはり、その方が最終的には救いにあずかることを願い、そのことを第一の目的に据えて支援を行うべきなのでしょうか。このように言うのは、いろいろな場面で「これらを通して、多くの人々が救いにあずかりますように」という祈りを耳にしたり、「これは伝道の良い機会である」という趣旨の声を聞いたり、文章を目にしたりすることがあるからです。それが本来の福音的な考え方なのでしょうか。もしそうだとすると、私は今回の震災で、かなり福音的な立場や発想からはズレてしまったのかもしれません。
 こう言うのは、私はそのような考えや発言にいつも違和感を覚えていたからです。もちろん、私も、そのような方々が救いにあずかるようにと願います。けれどもそれは、震災に遭ったからというのではなく、震災に遭う、遭わないに関わらず、教会は常に、全ての人々が救われることを願うのではないでしょうか。 私の違和感は、「全ては伝道のために」という考えのもとに、「被災した方々を助ける」ということが第一の目的ではなくなり、(支援活動を通して)「被災した方々にキリストを伝える」ということが第一の目的になってしまう点にあります。こんなことを言えば、「世の全ての人々の救いを願う教会としては当然のことではないか!」というお叱りを受けるかもしれません。ただ、私たちが震災直後から被災地にあって見てきたことは、クリスチャンではない多くの人々や団体が、ただひたすら困窮している他者を助けるために、ただその一つの目的のために、一生懸命に奉仕しておられる姿でした。この機会を利用して、自分たちの団体をアピールしようとか、何かを売り込もうなどという“下心”など持っていないのです。
 これに対して、もしキリスト教会が、「支援活動を通して、人々を救いに導こう」という考えのもとに活動するとしたら、その姿勢は何かが違っているのではないかと私には思えてしまいます。「支援活動を通して、神の愛を届けたい」というのであれば分かるのです。けれどもそれを超えて、「この働きを通して、人々を救いに導こう」というのであれば、それは自分たちの教勢拡大のために支援活動をしている、ということではないでしょうか。第一の目的であるはずの「他者を助ける」ということが手段となってしまい、自分たちの教勢拡大が目的となってしまうとするなら、それは他者のための働きではなく、結局は自分たちのための働きということではないでしょうか。恐らく、いわゆる福音的な考え方では、「救いに導くことが、本当の意味で他者のためになるんだ!」と反論するのでしょう。けれども今、私はどうしてもそのように考えることが出来ないのです。そこに、キリスト教会の“おごり”のようなものを感じてしまうのです。
 このようなことを考えていたときに、最近出版された『これからの教会のありようを考える』(森 一弘、女子パウロ会)という本に次のような文章が書かれていました。

 このことは、伝えていく側にいるわたしたちの自己満足に終わらないためには大事なことである。というのは、これまでの宣教には、ともすると上からの目線で、自分たちが理解した真理を教え伝えようとする傲慢さがついて回っていたからである。宣教とは、相手にこちら側の理想を押しつけて、相手の生き方を支配し、コントロールしてしまうようなことではないはずだからである。
 福音を伝えるということは、相手をこちら側に取り込むことではない。相手の人生に敬意を示し、その人の人生にとって何が真の福音、真の希望となるかを真剣に問い続けながら、どんなことになろうとも相手の人生に真心を込めて寄り添っていこうとする心構えのもとに行われるべきである。それは、これからのアジア、特に、日本社会での宣教のためには、何よりも大事にされなければならない心構えであるように思われる。

 いかがでしょうか。この森一弘という方は、ローマ・カトリック教会の司教を務められた方で、いつも考えさせられる文章を書いておられます。私自身は決して多元主義に立つものではなく、「キリストこそ唯一の救い主」と信じる者です。それゆえ、「キリストを信じても信じなくてもいい」とか「他の宗教でも救われる」などとは思いません。しかし、この森氏が書いておられるように、「何とか救われて欲しい」と願うあまり、自分たちの真理を相手に押しつけ、相手の生き方を支配し、コントロールしようとする姿勢が、気づかないうちに私たちの中にあるのではないかと思わされています。そこに、キリスト者、教会の“おごり”のようなものを感じてしまいます。
 「キリストにこそ真の救いがある!」という確信に立ちつつも、相手の人生に対する敬意を失わないでいたいと思います。そのとき、おしきせの宣教は後ろに退き、神の祝福を祈り願いつつ、相手のために、その必要に応えて手を差し伸べるという、本来の支援の姿を取ることができるのではないかと思います。



植木鉢 6月19日(日)
 
 本日、川越のぞみ教会の高橋武夫先生をお迎えして、特別伝道礼拝が行われました。震災後の役員会で、予定していた通りに特伝を行うべきかどうか、役員の方々にお尋ねしました。ちょうど皆さんお疲れのときであったため、「今年は中止しましょう」と言われるのではないかと思っていましたが、私の予想に反して、役員さんたちは、「特伝だけは予定通りにやりましょう」ということでした。震災後という状況を配慮して、チラシ配布は控えましたが、ご家族や友人などをお誘いし、今日の特別伝道礼拝が行われました。特別な案内はしませんでしたが、13名の求道者を含む、多くの方々が礼拝に集い、高橋先生の分かりやすく、心に届くメッセージに、主のご愛を感謝し、御名をあがめました。我が家の娘も、「とっても分かりやすくて良かった」と感想を述べています。 午後は、川越教会の新会堂建築についてのお話を伺いました(写真はこちら)。私たちの教会では、今年1月の教会総会で「5年後の会堂完成を願いつつ、主の導きを求め始める」と決議したこともあって、高橋先生のお話に皆で一生懸命に耳を傾けました。私たちの教会にとって、とても有意義な学びのときとなり、「私たちも新しい会堂を建てたい!」という思いを強くしていただきました。
 
 もしかしたら、震災の影響で中止になっていたかもしれない今年の特伝でしたが、予定していた通りに行うことができ、「中止することなくやって良かったな」と思っています。主が高橋先生をお送り下さり、恵みあふれるメッセージを私たちに語って下さったことを心より感謝いたします。今日おいでになった方々の中から、主の救いにあずかり、洗礼を受ける方々が起こされるようにと祈っております。



植木鉢 6月20日(月)
 
 昨日、特伝の午後の集会の後、講師の高橋武夫先生とご一緒に石巻に行ってきました。高橋先生に今回の御用をお願いした際、まだ震災の前のことでしたけれども、「50年程前、福音十字軍の一員として東北を巡回したことがあり、奉仕のついでに、懐かしい石巻の渡波に行ってみたい」と言っておられました。正直に申しますと、その時点では、私は石巻の「渡波(わたのは)」という地名が全く分かりませんでした。震災があって、津波で大きな被害があった地域ですから、「ああ、ココのことだったのか」と初めて知ったことでした。教会員の三浦愛言兄に聞きますと、「渡波といえば、先生と何度も釣りに行った場所ですよ」と言われ、「えっ、あそこが渡波だったの?」と驚いたことでした。その渡波港は、仙台藩主伊達政宗の命を受け、ヨーロッパへ渡った支倉常長らによる慶長遣欧使節一行を乗せたサン・ファン・バウティスタ号が展示され、そのミュージアムがある場所です。そう言われて昔の写真を見ると、確かに、2年前の5月の連休に、三浦家ご家族とウチの家族で、渡波にアイナメ釣りに行った写真が残っています(写真の後方に見えるのがサン・ファン・バウティスタ号であり、その上にミュージアムがあります)。

 震災があり、「石巻に行ってみたい」と言っておられた高橋先生も、「震災後の大変なとき、よそ者が見学に行くようなことをしていいのだろうか」と迷っておられましたが、「平日は復旧作業などがあって確かに邪魔になりますが、日曜日の今の時間ならば、ボランティアの方々も帰られる頃ですから、祈る心で参りましょう」と申し上げ、車で出発しました。三陸道の石巻河南インターを降りた辺りは、大型商業店が賑やかに建ち並び、震災の影響をほとんど感じさせませんでしたが、渡波地区に入りますと、信号が消え、中に入るほど、被害の状況がひどくなっていくようでした。旧北上川の中瀬にある石ノ森萬画館とその前にある旧石巻ハリストス正教会も被災し、閉館中でした。地盤沈下の影響のためか川の水位がかなり高い状態でした。 続いて、かつて釣りをした渡波港が見下ろせる慶長使節船ミュージアムへ行きました。サン・ファン・バウティスタ号も波をかぶってマストが折れ、その向こうに見える、かつて釣りをした場所も、地盤沈下して面積が減っているような感じでした。
 それらよりも驚いたのは、渡波地区の町並みでした。比較的建物は残っているものの、どこも津波で無茶苦茶になっており、道路以外は瓦礫が手つかずでたくさん残っており、住んでいる人もほとんどいなく、ゴーストタウンのようでした。通りかかった渡波小学校は、今も避難所になっているようで、校庭には自衛隊のテントや車輌が並び、全ての教室に避難しておられる方々が入っているようでした。「3ヶ月過ぎたのに、まだこんな状態だったとは……」。仙台に住む私たちの生活とのあまりにも大きな違いに、言葉を失いました。あの街の復旧が進むのはいつになることでしょう。主の憐れみを祈るばかりです。



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植木鉢 6月21日(火)
 
 今日の午後、先週木曜日に続いて、傾聴ボランティアに行ってきました。今日もクラッシュ・ジャパンから8名の方々が泥出し作業のために来ておられました。そのほとんどが米国カリフォルニアにある日系人教会からのボランティアの方々でした。震災ボランティアのために、1週間の予定でおいでになったとのこと。本当に有り難いことです。 
クラッシュからのボランティアだけでなく、震災復旧のための業者の方々も作業しておられたため、先週木曜日に比べると、グチャグチャになっていたビニールハウスがすでに取り除かれ、畑に散乱していた瓦礫の片づけも進められていました。まだまだやるべきことはたくさんあるようですが、一歩ずつ、片付けが進んでいるようです。
 私がお話を伺うのは、80才を過ぎたその家のおばあちゃまですが、お話ししたいことはたくさんあるようで、津波のことや昔のことなど、次から次へとお話が出て来ます。家の片付けと違って、心の整理のほうはじっくりと時間をかけていくことが必要だと感じています。そして私は、以前にも述べたようにこれを伝道活動としてではなく、あくまで傾聴ボランティアとして行っています。私がしたいことをするというのが中心ではなく、できる限り相手の心に寄り添い、少しでも助けとなることができれば、と願いつつです。「えっ、牧師なのに、クリスチャンなのにキリストを伝えないの?」と思われるかもしれませんが、私の中では迷いがありません。
 それはこんなことがあったからでしょうか。先週の月曜日、日本国際飢餓対策機構の仙台倉庫を訪問した際、女性のボランティアの方々が中心となって、物資を受け取りに来ておられる方々に仕えておられる姿を見て、心が熱くなる思いがし、あの主イエスの聖句を思い起こしました。
 
「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひ
とりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25章40節)

 私たちがいろんなところですれ違う、力のない小さな一人の方にして差し上げたことを、主イエスが「わたしにしてくれた」と数え上げて下さるというのです。私たち男性は、ややもすると規模や数といったものが気になります。組織を動かし、いろんなものを動員して、大規模な働きをしようとします。その一方で、女性は目の前の小さなこと一つを丁寧にコツコツと行うことができます。これは男性ではなかなか出来ないことです。そして男性は、「そんなことをちまちまやっても仕方がない!」と、小さな働きを軽く見る傾向がどうしてもあるようです。この主イエスの言葉は、そんな私たちの考えをひっくり返してしまわれます。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われるのです。数や規模に拘ってしまう私たちは、「一人なんか相手にしていてもダメだ。もっと百人、千人という大人数を相手にしなければ」と思ってしまいがちですが、「最も小さい者のひとりにしたのは」と主イエスは言われるのです。たったひとりにした小さなことを、主イエスは決して小さなこととは思わず、大きなこととして受け止めて下さるのです。
 もちろん、大きな働きをする人々や団体が必要です。しかしそれも、小さなひとりを大事にする心から生まれるところの、大規模なわざなのではないでしょうか。
 それゆえ私たちは、主イエスが出会わせて下さる小さな一人に対して、精一杯のことをさせていただく、その心を大切にしつつ、私たちにできる働きを続けて行きたいと願っております。



植木鉢 6月22日(水)
 
 いや〜暑い一日でした。6月なのに仙台で33度近くになりました。今日は福島の祈祷会でしたが、集会前の掃除のときに扇風機を取り出し、窓を全開にし、扇風機をかけて集会を行いました。この暑さでは、放射線量を気にして窓を閉めておく、なんてことはとてもできません。教会の方々もだいぶ慣れっこになってきたようです。今日は、震災によって体調を崩したため、ご自分の教会には遠くて行けないという近くの方が初めて出席されました。女性たちだけが集まる祈祷会ですので、掃除の後、ひとまずお茶を飲み、適当な時間に始め、皆さんひとことずつ近況報告をしながら、ひとしきりおしゃべり(いや失礼、分かち合い!)をした後、聖書を開きます。私もあまり時間を気にせず、皆さんにできるだけ思う存分お話をしてもらいます。たまには聖書を開く時間がほとんどなくなってしまうようなときもありますが、まあその場合は聖書箇所を変え、一言だけお話します。
 ただ、福島教会の方々の姿勢で感心するのは、決して自分たちがおしゃべりするために祈祷会に来ているのではなく、聖書を開くときは真剣に耳を傾けなさることです。前の週に開いた聖句をよく覚えていて、「先週の祈祷会で、このように語っていただいたから…」とお互いに話しているのを聞きます。 もう一つ、いつも感心するのは、全員で一言ずつ祈るとき、与えられた祈祷課題に忠実に、短く簡潔に祈られることです。誰一人として、長い祈りはなさいません。ときどき、一人で何分も、長々と祈る方がおられますが、あれでは祈祷会がだらけてしまいます。最後の「アーメン」が、「ああ、やっと終わった! あ〜メン」というふうになってしまいます。皆で心を合わせて祈る場合は、長々と祈る祈りは決してよくありません。次々と皆が順番に祈るわけですから、リレーでバトンを次の人に手渡していくように、祈りの“いのち”や“熱”といったものを冷ましてしまうことなく、お隣の方に次々と手渡していくことが大切でしょう。私が信徒時代に祈祷会に出席していたとき、恩師の千代崎秀雄先生は、「祈祷会のように皆で心を合わせて祈る場合、一人が祈る時間はどんなに長くても2分以内、電報のような祈りをするように」と言っておられました。「電報のような」というのは、必要最低限のことはちゃんと祈りつつ、しかも出来るだけ簡潔に、ということのようです。
 私たちの教会も福島の方々に倣って、皆で心を一つにし、心から「アーメン」と言えるような祈りをささげたいものです。



植木鉢 6月23日(木)
 
 昨日、福島からの帰り道、TBCラジオ(東北放送)を聞いておりました。その中で、四国かどこか遠いところからボランティアに来ておられる方のメールが読まれていました。その方は会社の社長さんで、ご自分の会社から継続して社員の方をボランティアとして宮城県に派遣しておられるとのこと。しかし、続けるのはなかなか大変で、往復の交通費の負担もなかなか大変で、行政かどこかから、せめて交通費のサポートでもあれば…というような話をしておられました。そしてその最後に、「地元の皆さんも、せめて一日でもいいので、ボランティアに参加しませんか」と結ばれていました。この最後の言葉に、私の心が反応しました。「やっぱりそういう声が出て来たか」と思いつつ、とっても重たい気持ちになり、何かが違うのではないか、という思いがしました。

 その方がそのように言われる気持ちはよく分かります。遠くから時間とお金をかけてボランティアに来ておられる。そのボランティア先では、県外からのボランティアばかりで、なかなか地元の人間が見つからない。そうなると、「何も毎日とは言わないが、地元の人たちも、自分たちの地域のことなのだから、一日ぐらいボランティアとして働いてもいいのではないか」と言いたくなる。多くの犠牲を払って奉仕して下さっているのですから、そのように言いたくなる気持ちは分かります。私がもし逆の立場だったならば、同じように言っていたかもしれません。

 ただ、地元の人間としては、ラジオから聞こえて来たそのメッセージに対して、二つの点で反論したくなったことでした。一つは、仕方のないことなのですが、地元の方々の状況や心境が十分に分かっていないなあ、ということです。地元の方々の中には、自分自身は大きな被災を免れたものの、親族の中に亡くなった方がいたり、家を流されて避難所暮らしをしている方がおられます。すると、おおやけのボランティアに参加しなくても、自分の親族を助けるために、お手伝いに行ったり、物資を運んだりしています。

 また、津波被害に遭った地域に比べると、被災の程度はずっと小さいものの、地元の人間はみんな被災者です。心身のバランスを崩して病気になる方々、仕事を休まざるを得ない方々など、様々な症状が出ています。元気に思える人も、身体的・精神的な疲れを我慢しつつ、それぞれ懸命に毎日を生きています。そして、ボランティアではなく自分の仕事をしていても、働き場はこの被災地であり、相手はみな被災者であるため、震災と全く無縁の職場などありません。家族を失ったり家を流されたりした同僚や取引先と接するゆえ、その話に耳を傾けたり、被災地を訪問したり、何らかの援助をしたりしています。仕事をしながら、二次被害に遭うような環境にたえず身を置いているのです。少し元気になったと思ったら、またいろいろなことを通して精神的な負担を担う、ということが繰り返されています。もしそのような状態で、沿岸部の被災地域にボランティアに出かけるとしたら、自分自身が潰れてしまうのではないでしょうか。それゆえ、まずは被害がそれほど大きくはなかった地域の者たちから、元気を取り戻していくということが大事であろうと思います。どのみち、最終的には、地元の復興は地元の人間たちが引き受けなければならないのですから。
 地元の人間で、「自分たちは大丈夫だったから良かった!」と平気な顔をしている人間などいません。自分たちの故郷が壊滅的な被害に遭い、多くの県民が今も苦しんでいることに心を痛めています。自分たちも被害に遭いながらも、「あの地域の方々に比べると、自分たちは被害が小さく、このように自分の家で日常の生活を取り戻しつつあるのが何だか申し訳ない」と心を痛めているのです。サバイバーズ・ギルトに似た感情をみんな持っています。そして、「申し訳ない」「何かをしてあげたい」と思いつつも、いろんな理由でそれが出来ない自分たちを情けなく思ったり、罪悪感を感じたりさえしているのです。このような状況を理解して下さって、できれば被災地以外の元気な方々に、ボランティアの尊い働きをお願いしたいと思います。

 もう一つ、何かが違うのではないか、というのは、そもそもボランティアとは何か、という本質的な問題です。ボランティア活動は、“volunteer”という言葉のもともとの意味からも、“voluntary”すなわち自発的であるべきです。ボランティアを強要されるということは、本来はあってはならないと思います。ボランティア活動はあくまで“voluntary”(自発的)であるべきであって、“compulsory”(強制的)となってはならないのです。「地元の皆さんも、せめて一日でもいいので、ボランティアに参加しませんか」という言葉の中に、「地元の人間ももっと参加すべきだ!」というもっと強い声が私たちには聞こえます。 そして本当の問題は、そのように言いたくなる心そのものにあるのではないでしょうか。ボランティア活動に参加しよう!と思い立って下さる方々は、悲惨な被災地の姿を目にして、「自分も何かしたい!」と強く思って、被災地に来て下さったのでしょう。しかし、ボランティア活動を続けていくうちに、しばしば、「したい!」で始まったはずの活動が、「してやってる」とか「させられている」という思いに変質していくことがあります。ルカ福音書10章のマルタとマリヤの物語に出て来るマルタも、自発的に始めた主イエスへの奉仕が、忙しさのゆえに「自分ばかりさせられている」という心に変わってしまいます。それと同じことが、現実のボランティア活動でも起こるのではないでしょうか。

 テレビの震災関連番組で、宮城県亘理町でボランティアをしている若者たちのグループのリーダーが、朝活動を始める前に、「今日も、『ボランティアをさせていただく』の精神を大切にして頑張りましょう」とメンバーに声をかけているのがとても印象的でした。“ボランティアをさせていただく”、私たちからすると、何と驚くべき言葉でしょう。こんなに有り難いことはありません。そして近年のボランティア論では、その精神が当然のこととして言われているようです。

 それゆえ、自分の中でもし、「させていただく」という思いから、「してやってる」という思いに変わりつつあるのを自覚したならば、そのあたりで活動をストップするか、一時休止することが必要なのでしょう。それは自分のためだけでなく、ボランティアで働いている方々の「してやってる」という思いを、被災者は敏感に感じ取るものだからです。

 被災地で活動して下さっているボランティアの方々の尊い働きに感謝しつつ、その働きが守られ、祝福されるようにと祈ります。



植木鉢 6月24日(金)
 
 
今日、午前の信仰の学び会をお休みさせていただき、午後まで休養した後、明日聖書学院で行われる信徒コースの講義(歴史編纂委員会による連続講義)のために上京しました。「電話してあげるから休ませてもらったら」としきりに言う家内を振り切って、出てきました。震災後、2度入院をされたY兄からは「佐藤先生も、裕子先生の言うことをぜひ聞いて下さい」と言われていたのですが……。
 その代わり、自分を少しでもいたわってあげようと思い、今日はちょっと贅沢をしてグリーン車に乗りました。皆さんはグリーン車に乗ったことがありますか? とっても気持ちがいいんですよ。飛行機のように、おしぼりは出てくるし、飲み物ももらえるし、何よりも座席がとってもゆったりしています。私のように人よりもサイズが大きい人間にとって、普通席では足の置き場がなく、またシートの背もたれの形が自分の体に合わないため、座っているだけで疲れます。体が大きいのは、結構困ることが多いのです。その点、グリーン車のシートはゆったり広々としていて、前の座席との距離も、聖地旅行で13時間も乗った飛行機よりもずっと広くて、フットレストもあって、おかげでゆったりした気分で2時間を過ごすことができました(写真はこちら)。
 信徒コースの奉仕を引き受けなければならないと決まった頃は、関東に出て行く気力がまだなかったのですが、この頃は精神的にもだいぶ元気になってきたようで、無事に東京に来ることができました。講義のほうは、準備が不十分で受講される方には申し訳ないのですが、まあ、来るだけでよしとしていただきたいと思います。震災後、初めての上京ですが、ココまで元気が与えられていることを主に感謝しjました。いつも皆さんのお祈りを感謝いたします。



植木鉢 6月25日(土)
 
 聖書学院での信徒コースの講義を終えて、無事に仙台に戻ってきました。お祈りをありがとうございました。今回の奉仕に行くにあたり、私の中で一つの懸念のようなものがありました。それは、普段合っていない人と会話をすることに疲れを覚え、出来るだけ避けようとする思いが生じるのではないか、ということでした。震災から一ヶ月後から二ヶ月あたりにかけて、私はどうもそのような状態にあったように思います。お見舞いに来て下さったり、電話などで安否を問われたりすることに対して非常に疲れを覚え、「出来れば放って置いて欲しい」と思ったものでした。そして、これはグリーフ・カウンセリングの本などを読みますと、大きな悲しみ・喪失を経験した者に見られる姿であり、そのような態度はむしろ自然のことであるというのです。教会図書に入れた『すばらしい悲しみ−グリーフが癒される10の段階−』という本には次のように書かれています。

 最もしたくないのは、何か新しいことを挑戦することです。私たちは外に出て行って人々に気を遣ったり新しいことを考えたりするよりは、家でふさぎ込んでいる方を好むのです。そのための理由付けだったら百通りでも考えられます。このような態度は自然なことであり、予想できるものです。 しかしいずれにせよ、陰うつな感情に浸っていてはいけません。それはただ、悲しみを癒す作業(グリーフワーク)を長引かせるだけです。悲しみを乗り越えるというのは、とても大変な作業なのです!

 この本を読むと、この3ヶ月余りの間に、ココに記されているような症状が自分にもあったなあと思い出します。詳しくは、またこの日記の中で紹介したいと思いますが、今日の信徒コースの奉仕では、他者との会話を苦痛に思うことなく、無事に奉仕を終えることができました。1ヶ月前くらいまで「知らない人と話すなんて嫌だなあ、疲れるなあ」と思っていたその状態から、少し回復しつつある自分を発見できたことを喜びたいと思いました。
 同じように震災に遭われた皆さんは大丈夫でしょうか。今、ご自分はどのような段階にあるでしょうか。人それぞれ回復のペースが違いますから、自分の状態を自ら確認し、できればそれを誰かに聞いてもらって、みんなで一緒にちょっとずつ元気を取り戻していきましょう。お話を聞くことぐらいでしたら、私にもできますから、よろしければどうぞお聞かせ下さい。
 明日の礼拝を待ち望みつつ。



植木鉢 6月26日(日)
 
 昨日、聖書学院での信徒コースの奉仕を無事に終えて夕方帰宅し、礼拝の準備を終えて休むとき、「案外疲れてないなあ。やっぱりグリーン車のお陰かな」と思っていたのですが、一晩休んで今朝、CSが始まる頃からどっと疲れが出て来たようで、「どうしよう、ちゃんと説教できるかな」と思いつつ、「どうぞ守って下さい」と祈っておりました。礼拝開始前、静まっている皆さんの様子を見ても、天候の影響もあると思うのですが、何となく皆さんもお疲れのようでした(礼拝前にすでにウトウトしている方を発見してしまいました!)。「そうだろうなあ、私でさえこんなに疲れてるんだから、年配の方々はもっとお疲れなんだろうなあ。こういう状態では、説教を語るほうも大変だけど、聞くほうも大変だろうなあ」とどこかで思いながら、静まっているような、体を休めているような、そういう状態で座っておりました。
 そんな私でしたが、説教直前の賛美(新聖歌317番「わが友主イエスは」)を歌っているときに、その賛美によって霊の力が与えられて、説教を語る力が与えられたようでした。

3 わが友 主イエスは いとも優しく
  慰め励まし また守り給う
  悩みも剣も 飢えも裸も
  引き裂く能わじ 主よりわが身を

 礼拝の奉仕が守り支えられたことを感謝いたします。お祈りをありがとうございました。
 夕方、入院中のI姉を訪問しましたが、金曜日の手術後、昨日から今日にかけて熱が出ているそうで、ちょっと辛そうでした。そのため早々に失礼してきました。どうぞ回復のためにお祈り下さい。

 今週も、皆さんの歩みが守り支えられますようお祈りいたします。私は、(なるべく)家内の言うことを聞いて、無理をせずに体を休め、回復に努めたいと思います。お祈り感謝します。



植木鉢 6月27日(月)
 
  「月曜日は、教師(牧師)の休日とする」と、私たちの教団の「教師の休暇等に関する規程」に記されています。しかし実際には、その日に会議があったり、いろんな教会の用事があったりして、月曜日が休日にはなっていない場合が多いものです。それよりももっと深刻な問題は、牧師たち自身の中に、「牧師は休んではならない」という潜在意識があって、休日にもかかわらず仕事をしようとしたり、休んでいるようでありながらも、心が実際には休んでいない、ということがあることです。
 その上で、このたびの震災によって、私たちの心の中に「何かをしなければ!」という強迫観念のようなものが住み着いてしまって、心を休めることができず、動き続けようとする衝動のようなものを持っている方が多くおられるようです。土曜日の信徒コースにおいでになったある先生も、「関東の教会でも、(牧師を中心に)何かをしなければ!という思いに囚われ続けている感じがする」という趣旨のことを言っておられました。
 私などは、震災前からそのような傾向があり、よく家内から「あなたは月曜日でも、ちっとも休んでない」と言われることがありました。昔の牧師のように、休むことに対して「罪悪感を覚える」というほどではありませんが、それでも、「今日は疲れてるから」と何か自分に言い訳をしながら休む、というようなところがまだあります。
 そういうわけで、今日は家内と二人で、午前中はずっと寝ていました。休むことに対して、家内は「私はちっとも罪悪感なんて感じない」とキッパリと言います。私はというと、「信徒の方々は仕事に行っているし…」とか「ボランティアのために、今日、関東から森郷キャンプ場に車で向かっておられる先生もいるんだろうな」などという思いがよぎります。やはり私は、休日と言いながらも、まだまだ「何かをしていなければならない」という意識があるようです。
 そう言いながら、こんなに長い文章を書いてしまいました。これも仕事? もう終わりにします。お休みなさい。zzz〜



植木鉢 6月28日(火)
 
 先週に続いて、午後、傾聴ボランティアに行ってきました。クラッシュ・ジャパンからは、引き続き泥出しボランティアの方々が8名ほど来ておられました。家の中や畑、倉庫など、あらゆる場所の片づけ、泥出し、洗い物などをしておられます。毎週少しずつ片付いていっている様子が分かります。私がお話を伺っているおばあちゃまは、「今日は牧師さんにこのことを話そうかなあと思ってたんだ」ということで、人生の辛い経験をお話下さいました。心にたまっている思いがたくさんあるようで、「牧師さんにこんな話を聞かせてしまって、何だかごめんなさいね」と言われましたので、「いえいえ、前に向かって進んでいくためには、心の泥出しも大切ですから」とお話をしました。そして、お別れする際、そのおばあちゃまと息子さんに対して、「私の立場を最初にちゃんとお伝えしてありませんでしたが、私はあくまで傾聴ボランティアとして伺っているのであって、布教を目的として来ているのではありません。少しでも、心の整理のお手伝いができればと願っております」とお話しました。するとおばあちゃまは、「うちは曹洞宗だから」と何かホッとした様子で言われました。もし、向こうのほうからキリスト教信仰についてお尋ねになった場合はもちろんお話しますが、それ以外の場合は、相手の話をひたすら聞くという姿勢でいたいと思います。奉仕の前と後、ご家庭の上に主の祝福が豊かにあるようにと一人で祈りつつ、ボランティアに励んでおります。
 そのような中、今日届いたクリスチャン新聞(7/3号)の「オピニオン」というコラムに、編集長の根田祥一兄(私たちの教団のT教会の会員)が、次のように書いておられるのを見つけて嬉しくなりました。

 キリストの愛を語ってきた教会が、人々がその愛を最も必要としている危機の時に、実際その愛にどう生きるのかということが注視されている。これは「今こそ伝道のチャンス」というような短絡的な発想とは違う。人の不幸につけ込んで布教に利用し自らの勢力を伸ばそうとするのは、伝道“熱心”な宗教団体にありがちなやり方だ。被災で生の根源に深い痛みを負った人々はそんな下心を見抜くだろう。
 キリストの愛を生きることは、そうした打算とは対極にある。なぜなら福音とは、自らの増大を図ることではなく自らを与えて仕えることだからである。惜しみなく与えた主に教会が倣うとき、社会は、人々は、そこに他にはない何かを感じる。…

 この論説にあるように、あのご家庭に対して、私のできる方法でお仕えしていくことができればと願っております。お祈りを感謝いたします。



6月29日(水)
 
 今日の祈祷会で、ボランティアにおいてクリスチャンでない方々とお話しする機会が与えられたとき、その方のためにお祈りをして差し上げるのが本当にいいのかどうかが話題となりました。これは、立場や考え方によって意見は様々でしょう。ボランティア団体のミーティングでは、「最後にみんなで○○さんのご家庭のために祈ってきました」という報告を耳にすることがあります。それを聞きながら、「祈られたそのご家庭の方々はどんな気持ちでその祈りを聞いていたのだろうなあ」と思うことがしばしばあります。主イエスも弟子たちを送り出すにあたり、「その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい」と勧めておられますから、そのご家庭のために祈ることそのものは大事なことだと思うのですが、だからといって、クリスチャンでない方々に対して、こちらの祈りに心を合わせるように強いることが、果たして本当にいいことなのだろうか、と私などは思ってしまいます。そのご家庭のために、自分たちだけで、陰で祈って差し上げるのでは不十分なのでしょうか。もし一緒に祈るとしても、クリスチャンではないそのご家庭の方々が強いられた思いをすることなく、自然に心を合わせたくなるような、そのような良い交わりがなされていることがとても大事であろうと思います。ときどき耳にする「今日は○人の方々と祈りました!」という報告に、どこか自己満足の香りがしてしまうのです。相手の必要に応えて祈らせていただいたというよりも、その人のために祈ってあげた、という感じがどうしてもしてしまいます。
 また、祈祷会である方が、「被災者の方のお話を聞きながら、『一緒にお祈りしましょう』と言いたくなる思いがしたものの、もしかしたらそれが傾聴を妨げることになるかもしれないと思ってやめました」と話されました。そのことを聞きながら、思い当たることがありました。牧師は、教会員をはじめいろいろな方々のお話をお聞きする機会が多くありますが、多くの場合、その最後に「お祈りしましょう」と締めくくります。しかし、この言葉が、場合によっては「もうこれ以上あなたの話を聞くことはできません」と、相手が語るのにストップをかける合図となってしまうことがあります。相手の方が「もうこれで終わりにしましょう」というのではなく、聞いているこちらのほうが耐えられなくなって、相手の話を終わらせるために「祈りましょう」と切り出すことがあるのです。そうなると、相手の方は「先生に祈ってもらった!」と喜ぶよりも、「十分に話を聞いてもらえなかった」と何かスッキリしない思いを抱えたまま、そこを立ち去ることになります。
 そのように、「祈りましょう」と言いたくなる心の底に、相手の重たい話を受け止めきれなくなって、聞いている自分のほうが苦しくなって、その苦しさから逃れる一つの信仰的な手段として、「祈りましょう」という言葉が使われることがあるのではないか、と思います。祈りをささげること自体が悪いと言っているのでは決してありません。また、自分たちの手には負えない重たい問題に、「主よ、助けて下さい!」と祈りたくなることは信仰者として自然なことでもありましょう。ただ、あまりにも簡単に「祈りましょう」と勧める姿勢には、相手の心に十分に寄り添う、という姿勢とは異なるものを感じてしまいます。“祈りに逃れる”と言っては言葉が適切ではないかもしれませんが、「祈りましょう」という言葉が、自分の心を注ぎ出して語っている相手を真正面から受け止めることを避けることにもなりうるのではないかと思います。逃げ出したくなるような思いを抑え、心の中で主の助けを仰ぎつつ、なおじっとその方の話に耳を傾け続ける、それが相手に寄り添うということであり、私たちに必要な傾聴の姿勢でありましょう。
 そう言いながら、私の「祈りましょう」が皆さんの心にはどのようなメッセージとして伝わっているのだろうかと、少し不安になりました。



植木鉢 6月30日(木)
 
 毎週水曜日に行っている福島教会の祈祷会を一日ずらし、今日の午前に祈祷会を行いました。そして午後、教会の皆さんがずっと心待ちにしていた田中綏子師が無事に着任されました。3月末の年会で任命を受けられた後、福島原発事故の影響などを考慮して着任の時期を少し遅らせておりましたが、7月からいよいよ奉仕の開始ということで、今日の着任となりました。この3ヶ月間、田中師は聖書学院の舎監である佐藤義則師、具子師ご夫妻が牧会しておられる青梅教会でお世話になっておりましたが、その佐藤先生ご夫妻が、東京から福島までの車の運転を手伝うために一緒に福島教会まで来て下さいました。心より感謝いたします(佐藤先生ご夫妻の写真が少しボケてしまいました)。荷物も無事に到着し、田中師の福島でのお働きがいよいよ始まります。
 震災後の3ヶ月間、ある意味では最も牧師を必要とするこの時期に、そこに住む牧師を派遣することが出来なかったということで、福島教会の方々に大きな痛みを負わせてしまったなあと申し訳なく思っておりました。3ヶ月遅れとなりましたが、ずっと着任を待っておられたからこそ、福島教会の皆さんは心から喜んで田中師を迎えておられました。とても明るい田中師をお迎えして、これからの福島教会の歩みがとても楽しみです。
 この田中師の着任を受けて、毎週水曜日に行われている福島教会の祈祷会の私の奉仕は今日で終わりとなり、今後は月1回、礼拝奉仕に行き、役員会などを行う予定になっています。今後も、私たち夫妻が福島教会の牧師として関わりを続けて行きますが、今回、田中師と相談した上で、田中師が信頼しているある牧師夫妻に、田中師の様々な悩みや思いを聞いて下さる、牧会相談のカウンセラーのようなものをお願いしました。教団では“コーチング”と呼ばれるそうですが、どうも実際にはあまり機能していないようです。ただ、今回の場合、私も信頼申し上げているその先生ご夫妻が田中師と非常に良い関わりをこれまで持って来て下さいましたので、私のほうからも「ぜひ、田中師の牧会相談にのって差し上げて下さい」とお願いしました。私たち夫妻が福島教会の主任牧師で、新卒の田中師が副牧師であるため、仕事上は一応私たちが田中師を指導する立場ですが、そのようなビジネス上の関係とは全く異なる方が相談相手になって下さることが、とても大切であろうと思います。なかなか自分の上の立場にいる牧師にいろんな相談は出来ないものです。ただ、誤解のないように付け加えますと、私たちと田中師の関係が悪いわけでは決してありません。田中師はご自分よりも年の若い私たちを主任牧師として立て、よく話を聞いて下さいます。それとはまた別に、牧会上生じる様々な悩みなどをその先生ご夫妻に聞いていただき、別のルートから支援や指導をしていただく、そのようなチームワークが上手く機能すればいいなあと願っております。そのように、その先生ご夫妻に重荷を担っていただくことで、田中師の働きをみんなでサポートしていければと思います。今後の福島教会のために、田中師の働きのためにどうぞお祈り下さい。

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