11月2日(月)

「松島から南三陸町へ」

 昨日の弘前教会の礼拝は、H先生が説教の奉仕をしてくださいました。H先生ご夫妻はご自分たちの休暇を利用して、全くの手弁当で弘前まで来てくださって、礼拝の奉仕をしてくださいました。心より感謝いたします。その弘前から帰り道、今日は私たち夫妻と松島の「松島さかな市場」で落ち合って、昼食をご一緒し、いろいろとお話をしました。H先生と私の2人は、「焼がき食べ放題」をいただきました。私も初めてでした。目の前でかきが山のように焼かれているのを、自分で一つずつ開いて食べていきます。最初、12個ぐらいまで数えていたのですが、そのあとはもう数えられなくなりました。45分でたぶん40~50個ぐらい食べたのではないかと思います。とってもおいしかったです。お腹のほうは、今のところ大丈夫です。ちなみに、私たちがご夫妻をご馳走しなければならないのに、逆にご馳走していただきました。H先生ご夫妻、ありがとうございます!




 その松島で、家内はH先生の車で仙台までお願いし、私はそこからさらに北へ、南三陸町へと向かいました。今日は半年に一度のペースで続けられている千葉教区の牧師と信徒の有志によるボランティアでした。南三陸町の上保呂毛という場所にある応急仮設住宅で炊き出しを行っています。春はバーベキュー、秋は鍋料理が中心とのことでした。今日はあいにくの雨だったため、屋外で薪を使っての炊き出しは出来ませんでしたが、集会所をお借りして行いました。アモス先生ご夫妻を中心に、これまで8回ほど行われているとのことで、私の参加は今日で3回目となりました。私の前の席で食事をしておられたおばあちゃんたちは、あの震災当日、公立志津川病院の向かいにある高野会館で行われていた老人たちの集会に出席していたとのこと。この高野会館は、津波が最上階の4階まで押し寄せたものの、そこにいた老人たち約330人は屋上に避難して全員助かったということで大きなニュースになりました。この高野会館は民間の施設ですが、所有者が震災遺構として保存することを決定しています。今日もそのすぐ近くを通りましたが、周りの建物が次々と壊され、かさ上げ工事がなされていく中で、この建物は変わらずに建っていました。
 千葉教区からの参加者は11名。このように半年に一度でも合流し、被災地の方々とつながりが持てることはとても感謝なことです。アモス先生が、「皆さんに神さまの愛を届けたくて、今年もやってきました」と挨拶されました。最後には、みんなで「いつくしみ深き」を賛美しました。
 この仮設住宅も少しずつ入居者が減っており、近いうちに、一つの家族が別の場所に家が完成するため引っ越しをされるそうです。どこの仮設住宅でも、家を建てて新しい生活を始める方々の喜びと、残される方々の寂しさと、それぞれの思いが交差するのでしょう。ちなみに、入居率が半分以下になると、他の仮設住宅に統合されることになる、とのことでした。この場所での炊き出しのボランティアもいつまで続けられるのでしょうか。ココに仮設住宅がある限り、きっと続けられることでしょう。

 被災地で今なお不自由な生活をしておられる方々のために、引き続きお祈りしたいと思わされたことでした。




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