南光沢教会の皆さんへ from 佐藤信人師

植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月1日(金)

  震災から3週間が経ち、新しい年度を迎えました。皆さんどのようにお過ごしでしょうか。
 昨日に来てくれた妹家族が、今日の午後、東京・多摩へ帰っていきました。石田師は震災ゴミを2度にわたって捨てに行って下さり、また外れてしまっていたチャペルの換気扇2つを直して下さいました(写真はこちら)。多摩教会まで高速道路を使って7時間ほどかかるそうです。お陰で本当に助かりました。石田師家族を送り出して下さった多摩教会の皆さんにも感謝いたします。いつか必ず恩返しを!また、午後3時過ぎ、ついにガスが復旧しました。静岡ガスの方が来て下さり、チェックをし、使用の許可を与えて下さいました。このように、全国のいろんな方々の助けがあって被災地の復興が進められていることを改めて実感し、心から感謝しました。今日は久しぶりに我が家のお風呂にゆっくりと入れそうです。こんなにも早くガスが復旧するとは考えてもいませんでした。ただただ感謝するばかり。皆さんの多くのお祈りにも感謝いたします。

      「わたしの同労者で戦友である兄弟、
      また、あなたがたの使者としてわたしの窮乏を補ってくれたエパフロデト」
                                        (ピリピ2:25)


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月3日(日)

 皆さんのお祈りをありがとうございます。
 南光沢教会では、今日は子どもを合わせて52名の方々が集うことができたとのこと、少しずつ回復していることを嬉しく思います。
 私は今日、無事に福島教会の礼拝に行ってきました。普段は25名前後集まる福島教会ですが、今日は15名の礼拝でした。いろんな都合で集うことができない方もまだおられますが、皆さんお元気にしておられました。昼食後に役員会を行い、6時前に帰って来ました。
 同じ被災地でも、福島と仙台では少し状況が違うようです。高速道路のインターを下りてから教会までの間、3箇所ほどガソリンスタンドがあるのですが、どこも車など1台も並んでいなく、スタッフが暇そうに立っていました。仙台では、平常営業までもう少しかかるようですね。ただ、福島では原発の影響が仙台よりもずっと深刻で、70キロほど離れた福島市飯坂あたりでも、外を歩くときは必ずマスクをするように、洗濯物は外に干さないように、雨には濡れないようになどと言われているそうです。また、福島では、テレビの画面に、それぞれの地域の放射能の値が「○○マイクロシーベルト」とずっと表示されているということです。それだけでもストレスがたまると皆さん言っておられました。ある方は「仙台からわざわざ放射能のある福島においでになるなんて…」と変な感謝のされ方をしたことでした。 
 そのように、目に見えない不安を絶えず抱えている福島教会の方々が、それに加えて、実際には教会に牧師がいない、という苦しい状況にあることを思うとき、私たち仙台の教会は同じ教区のお隣の教会として、何とか福島の方々を励まし、支えたいと願わされたことでした。私たちの教会にとって、これは一つの災害支援であろうと思います。そして、同じ被災に遭った者たちであるからこそ、その気持ちがよく分かり、痛みを共に担うことができるのではないでしょうか。

     「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
     すなわち、わたしにしたのである。」 (マタイ25:40)

 福島教会の方々が支えられ、教会の一年の歩みが守られるようどうぞお祈り下さい。



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月4日(月)

  4月に入り、仙台の街は少しずつ復興が進んでいるようで、教会の隣りのガソリンスタンドも、今日は車が道路に並ぶことなく給油ができていたようです。いろんな面で平常な生活を取り戻しつつあることは本当に感謝なことです。
 土曜日に電話でお話しした、いわき市に住んでおられるM兄ご夫妻の様子ですが、福島原発から約40キロの距離にあり、屋内待避区域にはなっていないものの、関東などに避難している方々もおられ、自宅周辺はなかなか物資がなく、断水が続いており、ガソリンも手に入らない状態とのことです。しばらく、M姉のご実家がある矢吹町に避難しておられましたが、今日(4日)から大学の仕事が始まるとのことで、ご自宅に戻っておられます。そのような中、M兄は薬剤の仕分けの働きに駆り出され、血圧が上がっているとのこと。どうぞご夫妻のためにお祈り下さい。
 今日も、何人かの方からお見舞いのお便りをいただきました。ある方の手紙には次のような聖句が記されていました。

     「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、
     あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
     神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、
     また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、
     あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」
                                   (第2コリント1章3、4節)

 自ら患難を受けながらも、そのただ中で神による慰めを受けた者たちが、今度は同じように苦しみの中にいる他の方々を慰めることができるようになる、というのです。本当にそうだなあと思います。御言葉を通して、また全国の多くの方々を通して、神による慰めと励ましをたくさんいただいた私たちが、少しでも他の方々の慰めのためにお役に立てればいいなと思っています。皆さんのご家庭にも、今日も主の豊かな慰めがありますように。



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月5日(火)

 今日は日中暖かくなりましたが、どのようにお過ごしでしょうか。
 予定していた明日の福島教会の祈祷会が今週はお休みになったこともあり、午後、築館教会を訪問しました。教会の建物にも大きな被害はなく、西森先生も実結さんもお元気でいらっしゃいました。震災直後から、地域の方々に協力して炊き出しをしたり、教会が水やガスなどが周りよりも早く復旧したため、ご近所の方々にお風呂を入れて差し上げたりと、地域に生きる教会として本当に頑張っておられます頭の下がる思いです。南光沢教会の皆さんによろしくとのことでした。 西森先生はまた、先週は築館から車で一時間くらいの距離にある南三陸町の避難所を訪問されたとのことです。これからどのような支援ができるだろうかと考えておられるようでした。最後に一緒にお祈りをして帰って来ました。
 また、先日お知らせした稲坂姉のお母様の葬儀は来週14日(木)に決まりました。教会で行う予定ですので、その日の祈祷会はお休みいたします。

 西森先生のお話を伺いながら、主イエスにナルドの香油を注いだ女性の物語を思い出しました。
   「なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしれくたのだ。
   ……この女はできる限りの事をしたのだ。」(マルコ14:6〜8)

 果たして、自分に今できること、私たちの教会に今できることは何だろう、そう考えながら帰って来ました。主が私たちに、その思いを与えて下さいますように。                               


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月7日(木)

 主の御名をたたえます。
 震災から4週間ほどが経ち、心身の疲れが出ている頃でしょう。我が家の家内も今日は頭痛のため休んでおりました。
 今日は震災後はじめて、祈祷会を行うことができました。9名の出席でした。一人ずつ、このたびの震災を通して感じたこと、教えられたことなどを分かち合い、御言葉に聞き、震災のことを中心に祈りをささげました。
 4月いっぱい、祈祷会は木曜日の午前に行います。5月からは木曜会も再開し、祈祷会は水曜日の夜に戻す予定です。

          「教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。」
                                (使徒行伝12章5節)

 使徒ペテロが捕らえられたという教会の一大事において、人々は教会に集まり、熱心な祈りを神にささげたとあります。私たちはこの震災において、自分たちにできる何かをしなければという衝動に駆られます。その思いを行動に表すことが大事であることは言うまでもありません。けれども、その前に、静まって神の前に祈る、このことを忘れては、大切なものを欠いた働きとなってしまうことでしょう。今も変わることなく神が神であることを信じて、心を合わせて祈る私たちでありたいと思います。                                           


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月8日(金)
 
 昨夜の地震、皆さん大丈夫だったでしょうか。
 携帯のメールですぐに無事を確認できた方々も多くおられましたが、教会が停電になってしまい、携帯にアドレスが入っていない方々には安否を問うことができませんでした。午後2時頃、電気が復旧し、このメールを差し上げることが出来るようになりました。皆さん、大丈夫でしたか? 教会はガス、電気、水道の三つとも復旧しました。
 それにしても、大きな地震でしたね。前回よりも時間は短かったものの、ご存じのように教会の3階は公表される震度よりも一つレベルが上がるような揺れ方をしますので、再び多くのものが倒れ、こちらの写真をご覧いただければお分かりのように、再び詩織の部屋と私の書斎が貫通し、全ての本棚が倒れてしまいました。そのうちつっぱり棒をしなければ、と思っていたものの、どこのホームセンターも売り切れ状態であったため、再びこのようになってしまいました。夜中、この状態を見たとき、悲しさを超えて、「ハハハ」と笑うしかありませんでした。それでも、朝になって改めて見たとき、これまでの疲れがどっと出たような感じでした。「せっかく直したばっかりなのに」という思いを押しこらえながら、詩織と二人で、「何度でも立ち上がろう!」と言っています。津波で流されたわけではないので、モノは全てココにあるのですから。

 そのような中、2週にわたって礼拝で賛美した新聖歌441番「望みは失せ」の一節を思い出しました。

           「望みは失せ 詮方尽きて
           心弱り 思い萎れ
           再び立ち上がる力無き時にも
           神を信ぜよ
           神を信ぜよ 神を信ぜよ
           神を信じて 勇み立てよ」

 神がおられるゆえに、何度でも立ち上がることができることは、本当に有り難いことです。ただ、書斎の片付けのために立ち上がるのは、日曜日が終わってからにしようと思っています。皆さんのお祈りを感謝いたします。                                              


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月9日(土)

  大きな余震から二日目、皆さんどのようにお過ごしでしょうか。体の疲れはもちろんのことですが、精神的に大きな疲れを覚えているのではないでしょうか。
 まつ子姉はご無事でしたが、再び停電が続いているとのことでした。アパートに戻っておられるS姉も、外に設置してある大きなプロパンが倒れ、外壁に大きな穴があいている状態でした。竹花姉のお宅では、今回の地震で屋根の瓦が崩れてしまい、2階の物が再び散乱し、竹花姉は喘息の発作や血圧が上がったりしてお休みでした。どうぞお祈り下さい。そのほかの方々も、ガスの復旧が遅れてしまったお宅などもあります。今回の大きな余震は、復興に向けて前に進み出そうとしていた私たちの気持ちを挫くような、精神的に大きなダメージを与えるものでしたね。皆さんもどっと疲れが出たのではないでしょうか。体調を崩しておられる方々、お疲れの方々の上に、主の癒しと支えがありますようお祈りいたします。
 
このようなとき、詩篇の歌に私たちの思いを乗せるようにして、主に向かって叫び声を上げたいと思います。

       「主よ、いつまでなのですか。
       とこしえにわたしをお忘れになるのですか。
       いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。
       いつまで、わたしは魂に痛みを負い、ひねもす心に
       悲しみをいだかなければならないのですか。」(詩篇13篇1、2節)

 詩篇にある嘆きの歌は、嘆きがやがて賛美へと変わります。けれどもその賛美は、深い嘆きを繰り返すうちに、時間をかけて賛美へと変わっていくものです。すぐに嘆きが賛美へと変わるわけではありません。ということは、私たちの信仰生活において、ただ嘆くばかりのときがあっていいのです。今、この大きな苦しみのとき、「主よ、いつまでなのですか」と私たちの歎きをストレートに主にぶつけようではありませんか。主に向かって叫ぶ心が失われてしまうことがないようにと祈っております。
 教会に連なるお一人一人の上に、そのご家庭の上に、主の守りと慰め、励ましと支えがありますように。 


         
植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月11日(月)

 震災から今日で1ヶ月となりました。いかがお過ごしでしょうか。昨夜も何度も余震があり、寝不足が続いてお疲れなのではないでしょうか。それぞれ感じ方が違うようですが、私にとっては、とても長く感じた1ヶ月でした。そして、“震災から1ヶ月”と言われても、何か一区切りをつけるような心境にはなりませんね。ライフラインが復旧し、ずいぶんと日常の生活に戻ってきたはずなのですが、最初の日から何か同じ状態が続いている、そんな感覚がしています。
 特に、4/7の深夜の大きな余震は、昨日礼拝で皆さんとお話してやはりそうだったかと思いましたが、それまで耐えてきた心がくじけてしまいそうになる、そんな精神的なダメージを与えるものでしたね。皆さん大丈夫でしょうか。お疲れの様子の方々を見ながら、牧師としてかけて差し上げる言葉が見つからないような、そんな思いがしています。
 しかしこのとき、私たちの教会の今年の重点課題である「牧会し合う私たち」を思い出しました。人が健全に生きていくためには、やはり他の人を必要とするんだなあと思わされています。何かのモノではなく、人格の支えが必要であると。私たちに今出来ることは、お互いの心に寄り添い合うことであろうと思います。「余震、怖かったよねえ」、「もう疲れたよねえ」と互いの心の叫びに耳を傾け合う、そんな小さくても大切なやりとりができればと思います。

       「夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、
       主はわたしの声を聞かれます。」(詩篇55篇17節)

 皆さんの上に、主の慰めと癒し、励ましと支えがありますように。                


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月13日(水)

 暖かな一日となり、場所によっては桜も咲き始めました。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
 今日、福島教会の祈祷会に初めて行ってきました。そこへ、教団委員の上中栄先生が慰問に来て下さり、一緒に祈祷会に出席して下さり、励まして下さいました。「どうも佐藤が少し弱っているようだから、様子を見に行かなければ」と思われたようですが、意外にも元気だった?ようです。上中先生は今日いわき市でボランティア活動をするついでに(といっても、神奈川からは福島市のほうがずっと遠いのですが)福島教会まで来て下さったのです。感謝します。福島の方々は、私たち宮城県民に比べると、原発事故の影響がずっと深刻で、避難を考えたり、精神的に疲れきっている方々もおられるようです。これ以上、放
射能の汚染が広がらないように祈るばかりです。
 一方、私たちの教会では、女性たちを中心に明日の葬儀のためにお掃除をして下さり、その後、7日の余震でぐちゃぐちゃになった私の書斎の片付けをして下さいました。自分では片づける余裕のなかった私の代わりに、キレイにして下さいました。本当に助かりました。これでやっと仕事ができます。ありがとうございました。(様子はこちらに
 主はそのようにいつも、いろんな方々を通して、私たちに助けの手を差し伸べて下さいます。助けを受けた者にとって、そのような方々は神が遣わして下さった「主の使い」となるのではないでしょうか。主が遣わして下さった教会の皆さんに支えられて、働きが続けられていることを感謝いたします。

       「主の使は主を恐れる者のまわりに
       陣をしいて彼らを助けられる。」(詩篇34篇7節)                    


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月14日(木)

 この春一番の暖かな一日でしたが、皆さんどのように過ごされたでしょうか。
 今日の午後は、I子姉のお母様・K・K姉の葬儀が行われました。K姉は私たちの教会の礼拝には一度も出席することができませんでしたが、I姉の希望通り、教会で葬儀を行うことができました。震災の影響もあって、ご遺族は3名だけでしたが、教会の方々が14名も参列して下さって、お送りすることができました。ありがとうございました。告別式のあと、葛岡の火葬場へと参りました。普段は午後2時30分で受付が終わるのですが、震災後は毎日午後5時30分まで受付があるそうで、今日も私たちが帰る頃に来る方々がおられました。I姉は、教会で葬儀を行うことができて本当に嬉しかったと大変喜んでおられました。皆さんのお祈りを感謝いたします。また、私自身も、皆さんのお祈りに支えられて大切な奉仕を終えることができました。ありがとうございました。死に際しても、永遠の命が約束されているということは、何と有り難いことでしょう。悲しみの葬儀において、なお希望を語ることができるのは、私たちにとって大きな喜びです。ご遺族の上に、このキリストへの信仰が届けられるようにとお祈りしたいと思います。
       「わたしはよみがえりであり、命である。
       わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」(ヨハネ11章25節)



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月15日(金)

 皆さんお元気でしょうか。
 今日、午前中に突然、三鷹教会の濱先生ご夫妻がおいでになりました(写真はこちら)。たくさんの果物を持って、慰問に訪れて下さいました。濱先生は私の聖書学院時代の同級生です。どこかに物資を運ぶボランティアのついでに立ち寄られたのだと思いましたら、ただ私に会うためだけにおいでになったとのこと。何時間もかけて、ご夫妻で来て下さいました。「電話で尋ねたら、『大丈夫。間に合ってる』と言うに違いないから、突然押しかけた!」とのこと。また、「『祈ってます』と言うだけでなく、実際に一緒にお祈りをしたかった」と言っていただき、慰められました。濱先生ご夫妻が繰り返し私に言われたのは、「とにかく無理をしないで」ということでした。牧師が疲れきってしまったら、他の方々を助け支えてあげることが出来なくなるから、自覚していなくても、疲れがたまっているに違いないから、自分のことをまずケアして欲しい、と言われました。私の性格をよく分かっていて、アドバイスして下さったのでしょう。心より感謝いたします。
 また、昨日、OMSのアモス宣教師が葬儀の前に来て下さったのですが、それから話が進んで、私の書斎の壁をふさぐ工事をOMSの先生がして下さることになりました。何度も戸が外れて私の部屋と隣の詩織の部屋が貫通してしまうため、戸をふさぐことによって部屋の強度をアップすべきことを10日の役員会でも話し合ったところでした。ただ、震災で崩れたわけではなくてもともとの構造だったので、教団にお願いしてよいか迷っていたところでした。しかし、このことの窓口をしていて下さる教団の奉仕局長である内藤先生は、「喜んでさせていただく」と言って下さり、費用も教団が負担して下さるとのこと。1泊だけ教会に泊めてほしいとのことでした。それで、急遽、次の日曜日17日の午後、OMSのキング先生が来て下さり、1泊2日の予定で工事をして下さることになりました。まさかこんなに早く来て下さるとは思っていなく、本当に有り難く思いました。

     「わたしは、日夜、祈の中で、絶えずあなたのことを思い出しては、
     きよい良心をもって先祖以来つかえている神に感謝している。
     わたしは、あなたの涙をおぼえており、あなたに会って喜びで満たされたいと、
     切に願っている。」(第二テモテ1章3、4節)

 今日、濱先生が別れ際に、「決まり文句の挨拶としてではなく、本当にいつも祈っているからね」と言って下さいました。私たちが誰かによって祈っていただいているということは、何と有り難いことでしょう。恐らく今の私たちは、自分たちの力によってではなく、そのような多くの方々の祈りによって支えられているのだと思います。多くの祈りに感謝して。       



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月16日(土)

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。
明日からの書斎の工事を前に、平野兄がスティール製の本棚の片付けをして下さいました。途中から木村渉兄も加わって駐車場で3人で片付けをしていたら、突然、車から降りてきた方が、「いや〜、佐藤先生、大変でしたね」と声をかけてこられて、誰だろうと思ってみたら、何と村上宣道先生でした(写真はこちら)。山形から仙台に入り、幾つかの教会を回っている途中に立ち寄って下さいました。私たちのような者にとって、村上先生が訪ねてきて下さるということは、(こんな言い方をしたらどなたかからお叱りを受けそうですが)、天皇陛下が来て下さるようなもので、もったいないような思いをしつつ感謝しました。玄関先で、私たちの教会のために祈っていただきました。このように、全国の多くの先生方や信徒の方々に祈っていただいていることを思い、感謝しました。
 その後、木村兄がたくさんの震災ゴミを2回も捨てに行ってくれました。1回につき搬入するまで1時間ほど待たされたそうです。ありがとう!また、築館教会の西森先生が足の小指を骨折され、7日の大きな余震の片づけなどでとてもお疲れだと伺いました。西森先生のためにどうぞお祈り下さい。
 明日は、私は福島教会での奉仕となり、こちらは大坂兄が説教の奉仕をして下さいます。それぞれの礼拝の祝福をお祈り下さい。また、午後にはOMSのキング先生がおいでになり、1泊2日の予定で書斎の壁の工事をして下さいます。本当に感謝なことです。このように、弱り疲れている者たちに、日ごとに必要な助け手が与えられ、励ましが与えられています。いろんな方々を通して、主が私たちを励まし、支えていて下さいます。主よ、感謝いたします。

      「たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、
      主がその手を助けささえられるからである。」(詩篇37篇24節)



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月17日(日)

 お祈りをありがとうございました。夕方、福島教会での奉仕を終えて無事に帰って来ました。福島教会の礼拝は震災の影響があって、11名の出席でした。午後、役員会を行いました。南光沢教会での礼拝は、震災後で一番多い54名(子どもを含めて)だったとのこと。久しぶりの方々が礼拝に出席できたことを感謝しました。
 昨日お知らせしました通り、今日は午後からOMSのキング先生が来て下さり、書斎の壁の工事をして下さいました。今日で壁がほとんどできあがり、明日、その上にクロスを張って下さるとのことです。本当に感謝です(写真はこちら)。
 さて、今日から受難週に入りました。震災後、皆さんきっと本当に慌ただしく過ごし、「今年は受難週どころではない」というような思いのする状況かもしれません。静まるどころではないと思える中で、それでも、一日の中で働きの手をしばし止めて、「主イエスは、まさにこのような私のために、十字架にかかって下さったのだ」ということを思い起こしたいと思います。心が疲れ切ってしまっているために、主イエスの十字架を思い巡らしても、何の感動も湧いて来ない、ということがあるかもしれません。その場合は、十字架上のあの強盗のように、主イエスに繰り返しこうお祈りしてはどうでしょうか。
     「イエスよ、……わたしを思い出してください」(ルカ23章42節)
 私たちはあの強盗と同じように、主イエスの憐れみにすがるほかない者たちなのですから。そして、強盗の切なる願いを受け止めて下さった主イエスは、私たちの弱り切った心からの叫びを拾い上げて下さるに違いありません。
 この週、皆さんの上に、主による慰めと励まし、癒しと支えがありますようお祈りいたします。
      


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月18日(月)

 昨夜も何度も余震があり、何となく寝不足の朝を迎えられたのではないでしょうか。
 教会では、昨日に続き、OMSのキング先生が書斎の壁の工事をして下さり、午前中に完成し、東村山へと帰って行かれました。私の書斎と隣りの詩織の部屋の間に立派な壁ができました。これでもう、戸が外れて本棚が倒れるということはなくなりました。注文している本棚が届いたら、しっかりと地震対策をしたいと思います。ご奉仕して下さったキング先生やいろいろと取り計らって下さった奉仕局長の内藤先生に感謝いたします。
 午後、次の大きな余震に備えて、ホームセンターやドラッグストアに買い物に行きました。教会のある方といずれのお店でも顔を合わせ、「考えることは同じですね」と話したことでした。その後、久しぶりに近くの台原森林公園に散歩に行ってきました。1時間ほどゆっくりと散歩をしました。咲き始めた桜を見ながら、あるいは緑を楽しみながら、霊的に大きく深呼吸をするような思いで散歩しました。途中から“テゼ”という黙想と祈りの共同体から出されているCDにある“Jesus, Remember Me”(イエスよ、わたしを思い出してください)という短い賛美を口ずさみながら、昨日もご紹介した十字架上の強盗の言葉に自らの思いを乗せるようにしながら歩きまし
た。「主イエスよ、私を思い出して下さい。私たちの教会を思い出して下さい。○○兄を思い出して下さい。○○姉を思い出して下さい」と。

 この賛美は、インターネットの下記のURLで聞くことができます。
 http://www.youtube.com/watch?v=HoX8EYgnO4c&feature=related



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月21日(金)

 お元気でお過ごしでしょうか。
 今も余震がありましたが、夜はちゃんと眠れているでしょうか?

 震災の影響で遅れていた詩織の高校の入学式が今日ありました。このような大変な状況の中、学校に通うことができること自体、恵まれていることだなあと改めて思わされています。お祈りをありがとうございます。明日の受難日を前に、今晩は洗足日祈祷会がこれから行われます。出席できない方々も、主イエスの十字架の苦しみと恵みを思い巡らしつつ、今晩から明日にかけての時を過ごしていただければと願います。

        「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
        われわれの不義のために砕かれたのだ。
        彼はみずから懲らしめをうけて、
        われわれに平安を与え、
        その打たれた傷によって、
        われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53章5節)



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月22日(土)

 主イエスの受難日にあたる今日、皆さんはどのように過ごしておられるでしょうか。
 昨夜の洗足日祈祷会には11名の方が出席され、共に御言葉を黙想し、聖餐の恵みにあずかりました。主イエスを否定してしまうような者たちになおも差し出されている聖餐の恵みに感謝しました。
 今日、私は特別な予定がありませんでしたので、少しゆっくりと御言葉を黙想するときを持つことができました。牧師でさえも、震災後の慌ただしさの中で、御言葉の前に静まるときが十分に確保できないようなときがあるくらいですから、皆さんも同じような苦労を味わっておられるのではないかと思います。ただ今は、「こんな信仰ではダメじゃないか」と自分を責めるようなことはしないようにしましょう。それぞれ、心身の疲れ具合は異なり、置かれている立場や、求められている働きが違います。そして、信仰生涯の中で、そういうときがあるものです。「御言葉を読まなければ」と思いつつも、その気力が湧かなかったり、その時間が取れないときも、私たちの複雑に入り交じった思いの全てを汲み取って下さる
主に、一言「アバ、父よ」と呼びかけようではありませんか。心からそう呼ぶことができたなら、今はそれで十分ではないでしょうか。

       「このように、あなたがたは子であるのだから、
       神はわたしたちの心の中に、
       「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」(ガラテヤ4章6節)

 皆さんの上に、主イエスの十字架の恵みが豊かにありますように。
    


植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月25日(月)

 今日はいかがお過ごしでしょうか。昨日のイースター礼拝には震災後初めての方々も何名か集い、命が守られたことを喜び、また主イエスの復活を喜び祝うことができました。礼拝、そして祝会に出席しながら、改めて、今年の聖句を思い起こし、「本当にそうだなあ」と思っておりました。

      「見よ、兄弟が共に座っている。
      なんという恵み、なんという喜び。」(詩篇133篇1節)

 同じキリストを信じる兄弟姉妹と共にいることが、私たちにとって癒しとなり、慰め、励ましとなるんだなあと実感しました。皆さんはいかがだったでしょうか。そのような中、H姉は昨日もめまいがしてお休みになり、今日も仕事をお休みして、病院で点滴を打たれたとのことです。どうぞお祈り下さい。
 そのほかの皆さんも、夜なかなか眠れない方、疲れが抜けない方々がおられると思います。今週も主による守りと支えがありますようお祈りいたします。                             



植木鉢  南光沢教会の皆さんへ 4月27日(水)

 皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 先日、Y兄が入院されたとお伝えしましたが、昨日検査が行われ、心配するような悪い病気ではなく、回復に向かっておられるようです。今日、ちょっとだけ病室にお寄りしましたが、心配していたよりもずっとお元気そうな顔をしておられ、安心しました。痛みは治まり、週末には退院できるのではないかということでした。お祈りをありがとうございます。震災後、相当お疲れがたまっておられたのでしょう。
皆さんも疲れがたまり、それが弱い部分に出ているということがないでしょうか。お互い、無理をせず十分な休養をとりたいものですね。
 今日、福島教会の祈祷会に行ってきました。幾つもの課題があり、教会の皆さんがそれぞれ大変な中を過ごしておられますが、出席されたある方が、「いろんな不安はあっても、このように教会に来られることが何よりもの楽しみ」と言っておられたことが心に残りました。

        「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(ネヘミヤ8:10)

福島教会の今後の歩みが守り支えられるようにお祈りしたいと思います。                                                                  

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