ローマの教会に宛てた手紙の最後で、パウロは長い挨拶の言葉を書き記しています。まだ訪れたことのないローマの地でしたが、これだけ多くの信仰の仲間が帝国の都ローマに移り住んでいたようです。
 そこに、プリスカとアクラという夫妻が登場します。パウロが第二次伝道旅行の途中、コリントでこの夫妻に会い、天幕造りを仕事とする同業者であったことから、パウロはアクラ夫妻の家に住み込み、一緒に仕事をしながら、共に伝道しました。そのプリスカとアクラ夫妻のことをパウロはここで「同労者」と呼んでいます。自分のしもべではなく、同じ主イエスに仕える者であり、対等の立場にある者だというのです。
 私たちプロテスタント教会は、「万人祭司主義」に立ち、牧師も信徒も身分の違いなどなく、神の前に等しく祭司であると理解します。牧師と信徒はあくまで職務の違いであり、同じ主人に仕える同労者です。
 このアクラ夫妻は、「わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれた」と紹介されています。パウロのため、福音のために命がけだったというのです。それはパウロ自身が福音のために命をかけているのを目の当たりにしたからでしょう。そして、パウロが命がけだったのは、仕える主イエスご自身が私たち罪人のために命を捨ててくださったからでした。十字架で命を捨ててくださったキリストの恵みを深く知ったとき、パウロは命をかけて奉仕する者となりました。
 この命がけの働きは、同じような命がけの同労者を生み出します。私たちも、主イエスの恵みに命をかけて応えていきたいと願います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 パウロはまだ訪れたことのないローマの人々に、「わたしのために神に祈ってほしい」と要請します。諸教会にとって生みの親、育ての親とも言うべきパウロが、信徒たちに向かって「どうか、共に力をつくして」と本気で祈りの要請をしています。
 祈りの具体的な内容の一つは、エルサレムに上った際、不信仰なユダヤ人から救い出されるように、ということでした。かつてのユダヤ教の仲間の中に、パウロを裏切り者として激しく憎んでいる人々がいて、パウロの命を狙っていたのです。もう一つの祈りの課題は、パウロが諸教会からの義援金を渡す際、エルサレム教会の人々が素直に受け取ってくれるようにということでした。パウロの働きに反発している人々が、せっかくのささげものを拒む可能性もあったからです。
 パウロは誰よりも大きな働きをした人でしたが、自分の弱さや小ささを素直に認めることができる人でした。宣教の働きを続けるために、教会の人たちに祈って支えてもらう必要があることを痛感していました。だからこそ、教会の人々に一緒になって戦ってくれるよう求めました。
 そのように求めるパウロは、ローマ教会の人たちを信頼していました。さらに、祈りの力をも信じていました。主イエスが約束されたように、神を信じる者たちが地上で心を合わせて祈るとき、神がそれを聞いてくださると信じていたのです。
 このパウロの求めに応じて、ローマ教会は共に祈る教会として形づくられて行ったことでしょう。そして私たちも、お互いに他者の祈りを必要とする者たちです。お互いのために祈り合う教会となりますように。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 パウロはこの手紙のしめくくりにあたり、今後の計画について伝えています。それは、なんとかしてローマに行きたいという熱望を伝えるものでした。これまでも、パウロは何度もローマに行こうとしたものの、その計画がことごどく妨げられてきたと言います。
 ただ、念願のローマ行きはパウロにとっては最終目的地ではなく、あくまで経由地であり、ローマを通ってイスパニヤ(今のスペイン)に行きたいという願いを表明しています。そのイスパニヤ行きは片道切符の旅であり、もはやローマには戻って来ないことを覚悟していました。
 そのような今後の計画を表明しつつ、実際的な計画として、キリスト教の中心地であるエルサレムへ行くことを知らせます。飢饉で苦しんでいたエルサレム教会の信徒たちを援助するために諸教会から預かった献金を届けるためでした。コリントにいたパウロにとり、ローマとは全く反対方向になりますが、これは自分の責任と受け止めていたのです。
 その後、パウロがどうなったのかは使徒行伝に記されています。エルサレムで捕らえられたパウロは、囚人としてローマに連行されることになりました。パウロが考えていたのとは全く違う形でローマに行き、イスパニヤには行くことなく、そこで処刑されたと伝えられています。パウロの計画どおりには進まなかったのです。しかし、パウロはそのことを不満に思ったりはしなかったでしょう。「万事を益としてくださる神」を信じていたからです。
 私たちの歩みも、自分の願いどおりには進まないものです。けれども、全てを最善に導いてくださる主を信じて、希望をもって生きることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 パウロはユダヤ人でありながら、「異邦人の使徒」を自覚し、異邦人伝道を中心に行ってきました。その働きを神から自分に与えられた使命として受け止めていたのです。
 パウロはその自分の働きについて「わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである」と語ります。ここに、「高慢」とも訳すことができる「誇る」という言葉が使われています。他の手紙では、パウロは自らを誇るのではなく、「誇る者は主を誇れ」と勧めてきました。そのパウロがここでは、自らの誇りを語っています。
 パウロはもともとは非常に優秀な人で、ユダヤ教の中ではエリート中のエリートでした。そのパウロがキリストに出会ってから人生が全く変わり、誇りとする内容が変わりました。自分を誇るのではなく、キリストを誇りとする人生になりました。
 ここでパウロが誇っているのは、「キリストがわたしを用いて」、大きなわざを成し遂げてくださった、ということです。この「用いて」という言葉は、「通して」という前置詞が使われています。神が私をご自分の道具として用いてみわざをなしてくださった、というのです。パウロの誇りは、かつて教会の迫害者であった自分を神が道具として用いてくださった、という点にあります。自分が立派だと言いたいのではありません。こんな自分が神の僕とされていることへの誇りです。
 神は今も、私たちキリスト者をご自分の道具としてくださいます。欠けだらけの私たちですが、神がご自分の大きな働きのために用いてくださいます。私たちも主を誇りとして生きる者でありたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 主イエスが復活された日の午後、二人の弟子がエルサレムからエマオへと歩いていました。主が復活されたという知らせを聞きながらも、真偽を確かめることなく、エマオへと向かっていました。そこに、主イエスが追いつく形で合流されました。ところが、彼らは心の目が遮られて、それが主イエスだとは気づきませんでした。
 悲しみに沈んでいる弟子たちに、主イエスは「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ」と言われました。聖書によれば、キリストは必ず復活すると約束されていたではないか、と告げて、彼らのためにキリストに関して書いてある聖書の言葉を説き明かされました。それを聞いているうちに、弟子たちの冷めていた心は温かくなりました。
 夕暮れになり、3人がエマオに着くと、弟子たちは主イエスにエマオに泊まるようにと促し、一緒に夕食の席につきました。主イエスがパンを取り、祝福して割き、弟子たちに与えておられると、二人の目が開かれ、それが主イエスであると気づきました。すると、主イエスの姿は見えなくなりました。けれども、「主は生きておられる」という信仰は残りました。このことが全てを変え、彼らはこの喜びの知らせを携えて、エルサレムへと戻って行きました。
 この二人に起こったことは、今も毎週の礼拝で起こります。私たちは主イエスが生きておられることを信じられず、冷めた心で礼拝に集うことがあります。けれども主イエスは、そのような者たちを捨てることなく、不信仰な者たちを目がけて近づいて来られます。主イエスによる信仰への招きを受けて、私たちも新しい命に甦ることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 エルサレム教会の迫害を始めたヘロデ王は、教会の中心指導者であるペテロを捕えて牢に投げ入れました。ペテロは厳重な監視下に置かれ、脱獄は絶対に不可能な状態でした。教会の祈祷会では、ペテロのために熱心な祈りがささげられました。
 すると処刑される前夜、み使いがペテロのもとに立ち、ペテロは不思議なようにして牢から解放されたのでした。これは神のみ業であるとわかったペテロは、直ちに祈祷会へと向かいました。そこには大勢の人が集まって祈っていましたが、ペテロが解放されたと女中から報告されても、彼らは全く信じようとしませんでした。彼らは熱心に祈りながらも、そんなことはあり得ないとどこかで思っていたのです。
 しかし、まさかと思いながらも祈らずにはおれなかったその祈りの中で、神は奇跡を起こしてくださいました。私たちは、自分の祈りの熱心さによって神を動かして何かをしていただくのではありません。しかしながら神の恵みのみ業というのは、私たちの祈りの中でこそ起こるのです。
 ですから神はたとえどんなに不信仰な祈りであっても、私たちが祈り願うことを喜ばれ、待っておられます。その祈りを通して私たちに恵みのみわざを行おうと、神は私たちの祈りをいつも待っておられるのです。
 教会は迫害という試練の中で、かえって祈りの共同体として整えられていきました。私たちもこの非常事態において、ネットによる祈祷会で共に祈ることの心強さ、ありがたさを改めて実感したいと思います。私たちも「共に祈る教会」なのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)

 主イエスが十字架で死なれて三日目の朝、女性たちは大きな悲しみをこらえながら、墓へと向かいました。主の復活を信じていたからではなく、亡骸に香油を塗るためでした。ところが、墓は開けられ、中には主イエスのお体はありませんでした。
 彼女たちが途方に暮れていると、み使いが現れ、「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」と告げました。さらに、「なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか」と、彼女たちの愚かさを指摘しました。主イエスを探す場所を間違えているというのです。み使いはまた、「あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい」と告げました。復活を予告された主の言葉を思い出すようにというのです。この「思い出す」とは、ただ単に記憶を呼び覚ますというのではなく、「そうだったのか」と信じて受け止めることを意味します。この同じ言葉を、彼女たちは三日前、十字架上の強盗が主イエスに願い出た言葉の中に聞いていました。「わたしを思い出してください」と。
 そこで、女性たちはかつて言われた主の言葉を思い出しました。そのとき、彼女たち自身の信仰が蘇りました。「主はよみがって今も生きておられる」と。そして、その喜びの知らせを携えて、他の弟子たちのもとへと走って行きました。
 私たちの現実の世界では、「本当に神は生きておられるのだろうか」と思うようなことが起こります。主が生きておられることを信じられず、途方に暮れてしまうことがあります。そのような弱さを持った私たちが、礼拝に共に集い、神の言葉に聴くことによって、新しい命に甦ります。主の言葉を思い出すことによって、新しい命に生かされるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 主イエスが十字架につけられたとき、二人の強盗も一緒につけられました。二人は最初、民衆と同じように主イエスを嘲っていましたが、途中から一人の強盗の態度が変わり、悪口を言い続けるもう一人をたしなめるようになりました。彼は、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」というイエスの祈りを耳にして、「彼ら」の中に自分も含まれていると受け止めたのでしょう。
 そのとき、孤独と絶望の中にいた 彼らの心に希望が生まれました。自棄を起こしていた彼がもう一度自らを拾い上げ、主イエスに向かって一つの願いを口にしました。「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。自らの大きな罪のゆえに、「赦してください」とはとても言えない自分であることはよく分かっていました。それでも、罪人のために「彼らをゆるしてください」と祈られた主イエスに、罪を赦してくださる神を見いだしたのです。だからこそ、勇気をもって「わたしを思い出してください」と願いました。
 そう願い出た強盗に、主イエスは赦しと救いの言葉を語られました。「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。人生をやり直したいと思っても、もう後がない罪人に、何一つ功績のない者に、赦しが宣言されたのです。救い主が一緒にいてくださる、これこそ罪人たちにとっての救いです。
 私たちも皆、神の前では何の功もない者たちです。しかし、罪を素直に認めて赦しを願い求める者たちに、主はご自分の十字架のゆえに、赦しを告げてくださるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

ユダの裏切りによって捕らえられ、ピラトによる裁判によって十字架刑が決まった主イエスは、自ら十字架を背負ってゴルゴタの丘へと上って行かれました。
 二人の強盗と共に十字架に十字架にかけられたとき、主イエスは真っ先にこう祈られました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。自分が殺されようとしている土壇場で、主イエスはご自分のことを祈るのではなく、自分を十字架につけた人々のために祈られました。
 主イエスが赦しを祈られた「彼ら」の姿を、著者ルカは淡々と記します。主イエスの着物をくじ引きして分ける人々。野次馬として見物する人々。主イエスをあざ笑う役人たちとローマの兵士たち。一緒に十字架のつけられた強盗まで、主イエスに悪口を言い続けました。彼らに共通しているのは、主イエスが神の子救い主であることを否定することでした。「自分を救えない救い主など、本当の救い主ではない」と言うのです。
 そのような「彼ら」のために、主イエスは父なる神に赦しを願い求められました。「彼らは何をしているのか、わからずにいる」というのです。人々は皆、自分たちが救い主を殺す大きな罪を犯していることを全く知りませんでした。そして、主イエスはその彼らを救うために、あえてご自分を救うことをされませんでした。ご自分の命に代えて、彼らの赦しを求められたのです。
 その「彼ら」の中に私たちがいます。私たちも、自分が何をしているのか分からない罪人です。私たちの罪は、主を十字架につけるほどに大きいのです。そのことを素直に認めるとき、私たちはすでに大きな赦しの中に入れられているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)

 このローマ人への手紙は15章13節までで本論は終わり、14節からは最後のしめくくりの部分となっています。パウロはこれまで書いて来たことをもう一度読み直してみたことでしょう。そのとき、ずいぶんと強い口調になっている部分があることに気づいたようです。そこで、「わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた」と述べています。他の訳では「かなり大胆に書きました」と訳されています。
 しかし、パウロはそれを書き直そうというわけではありませんでした。福音の真理を正しく伝えるために、どうしても大胆に語る必要があったのです。そのように思い切って語ることができたのは、パウロがローマ教会の人々の信仰を信頼していたからでした。たとえ厳しい言葉があったとしても、自分の言葉を正しく受け止めてくれる、そのような力があると「堅く信じている」と伝えました。
 そのパウロが語る言葉は、決して目新しい内容ではありませんでした。「あなたがたの記憶を新たにするために」と述べているように、人々がすでに聞いたことのある福音を思い起こしてもらうために、大胆に語ったというのです。それは、私たちが語られた神の言葉を忘れてしまうからです。それによって信仰が揺り動かされてしまうからです。
 そのような中で、神の言葉、福音の言葉には人を造り変える力がある、ダイナマイトのような力があると信じて、パウロは語り続けました。神の恵みを思い起こすことによって、私たちの信仰は息を吹き返し、新しく生きることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)