6日(日)の午後から7日(月)にかけて、今年もドミニコの家においてCSキャンプを行いました。台風が来る直前、ときおり雨も降りましたが、外遊びも、バーベキューも、キャンプファイアーも予定どおりできました。今日(8日)から仙台も風雨が強くなったことを思うと、ギリギリで守られました。感謝します。
 今年は、ヨハネ福音書15章5節の聖句を中心に、「イエスさまにつながろう!」というテーマで行われました。外国に住んでおられるご家族一家が夏休みで帰省しておられ、英語も交えてのキャンプでした。 

 今年のキャンプは、ずっとCS教師をしておられたO兄が今年4月に急逝された後の初めてのキャンプでした。O兄がCSを愛し、キャンプを愛して、参加者をいつも楽しませてくださっていました。そのO兄の抜けた穴はとても大きく、O兄抜きのキャンプは考えられないほどでした。このため、今年はもうキャンプは出来ないのではないかという思いもしましたが、その大きな穴をみんなで埋めようと、いろいろな方々が助けてくださって、みんなで心と力を合わせて、O兄のいない部分を埋めようと奉仕をしてくださいました。それにより、今年も同じように無事にキャンプを行うことができました。教会の多くの方々のご奉仕とお祈りを感謝いたします。


 子どもたちの手前、大人たちはO兄がいない寂しさを口には出しませんでしたが、礼拝堂に入ると、「O兄はいつもあの場所に座っていたなぁ」「いつも珍しい楽器で楽しませてくれたなあ」などと思い出し、またバーベキューのときは、いつも「一年で一番たくさんお肉が食べられる日だ!」と言って盛り上げてくださっていたことを思い出したことでした。O兄についての多くの思い出が残っているドミニコの家でのキャンプでしたが、それぞれ悲しみをこらえながら、精一杯の奉仕をおささげしました。O兄が態度をもって示してくださった子どもたちを愛する思い、そして主に仕える思いを、私たちはバトンを受け継ぐようにしてみんなで受け止め、力を合わせて奉仕をいたしました。働きが途絶えないように、主は次の奉仕者をいつも備えていてくださいます。感謝いたします。

 キャンプに集った子どもたちが集会で教えられたように、聖書の言葉にとどまり、教会につながることをとおして、主イエスにつながり続けることができるようにと願います。キャンプファイアーにおいて、自分が手にしていたぶどうの実をボードに貼り付けながら、「わたしはイエスさまにつながります」とそれぞれが告白した、その小さな告白を神さまが聴いておられ、主イエスが力強い御手で子どもたち一人一人を離さないように握っていてくださいますように。  皆さんのお祈りを心より感謝いたします。

 今日は豊中泉教会での礼拝奉仕でした。2年前もお招きいただきましたが、今回、二度目の奉仕となりました。以前も書きましたが、私が大学時代の4年間を過ごした教会です。この4月から、岡田宣道先生ご夫妻が新しく任命されました。 
 土曜日の午後の飛行機で行きました。伊丹空港に着陸する寸前、世間を騒がしている森○学園の赤い校舎が見えました。同じ豊中市にあります。
 昨日は、少し早く豊中に着いたため、約30年ぶりで母校である大学のキャンパスを歩きました。阪急電車の石橋駅を降り(えんじ色の阪急電車の上品なこと!)、大学まで歩きました。ずいぶんと新しい校舎も増えて、雰囲気が変わっていました。グランドの上にある、私が入っていた大学の寮にも行ってみました。こちらは30年前と同じ、そのままの建物でした。本当に懐かしく当時を思い出しました。

 夕食は、岡田先生にお願いして、「十三(じゅうそう)にある『やまもと』というお好み焼き屋さんのねぎ焼きが食べたい!」とわがままを言い、二人で食べに行きました。8年ほど前、夏休みの家族旅行で大阪に立ち寄ったとき、家族でこの店のねぎ焼きを食べ、とってもおいしかったので、「あれがもう一度食べたい!」と思っていたことでした。 
 そのように、何十年ぶりかで母校のキャンパスを歩き、何年ぶりかでおいしいお好み焼きを食べ、「もうこれで帰ってもいいわ」と岡田先生に言いましたら、「交通費は出ませんよ」と言われましたので、予定どおり、一晩泊まり、今日、豊中泉教会で奉仕をさせていただきました。

 私がいる頃から、この時期に教会独自の「いずみ聖会」というものを行っていて、外部の講師を招いていました。午前の礼拝と午後の集会と、2回の説教奉仕でした。期待して待ち望んでいてくださった教会の皆さんのお祈りに支えられ、憐れみのうちに奉仕を終えることができました。
 豊中泉教会から伊丹空港までは車で5分ほど、本当に便利な場所にあります。そのため、移動にはそれほど大きな負担もなく、こちらでは便利なアクセス鉄道を利用して、行き帰りも守られました。

 お祈りを感謝いたします。 

 今日は黒羽教会の渡部興吉先生ご夫妻が来訪されました。秋田に親戚がおられ るそうで、この機会に東北教区の諸教会を訪問したいとのことで、最初の訪問地 として仙台の私たちの教会においでになりました。1時間あまりご夫妻をお交わ りをさせていただきました。 
 皆さんはご存知でしょうか。TBSの「金スマ」という番組で「ひとり農業」 という長年続いている企画があり、そこに出演しているのが渡辺先生のご長男、 渡辺ヘルムート直道さんです。かつて、私の両親も渡辺先生ご夫妻も静岡教区の 教会で奉仕をしていた時期があり、私の幼い頃、静岡教区の牧師会が私がいた教 会で行われ、そこに来ていた渡辺先生のところの3人のお子さんと一緒に遊んで 記憶があります。私が小学2年生か3年生の頃です。
 番組ディレクターをしているという渡辺ヘルムート直道さんですが、今日、渡 辺先生ご夫妻にお尋ねしたところ、ミドルネームの「ヘルムート」という名前は、 OMS宣教師として、かつて私たちの南光沢教会の開拓の頃に関わってくださっ た「ヘルムート・シュルツ」先生からいただいた名前だとのこと。「やっぱりそ うでしたか!」と盛り上がったことでした。楽しいひとときでした。 
 最後に先生ご夫妻と一緒に写真を撮り、お祈りをしました。この後、秋田へ行 かれた後、弘前教会、宮古教会、福島教会にそれぞれ立ち寄って、ご自宅へと戻 られるそうです。旅の安全が守られますように。 

 なお、私事ですが、先週の木曜日に東京から私の両親が仙台に転居してまいり ました。教会の方々にいろいろと助けていただきながら引っ越しを済ませ、また、 昨日は最初の礼拝に出席させていただきました。今日の午後、区役所へ行って転 入届を提出し、正式に仙台市民となりました。  
 いつもお祈りを感謝いたします。

 

 4月に役員をしておられたO兄が召されたことを受けて、お一人の方を新しく役員として選出し、今日の礼拝において、その方の役員就任式を行いました。主イエスが「みこころにかなった者たちを呼び寄せられた」(マルコ3:13)とあるように、主の御心がここにあると信じて、就任式を行いました。なお悲しみ、痛みを覚えながらですが、一歩ずつ、教会の働きが進められています。いつもお祈りくださり、感謝いたします。

 29日(月)から今日31日(水)まで、那須町にある修道院の祈りの家でサイレント・リトリートが行われました。今回は初めてでしょうか、3日間、晴天に恵まれ、一度も雨が降りませんでした。30名近くの牧師・伝道師などが集まりました。このリトリートのいいところは、どこの教団、教会で奉仕しているなどの肩書きは一切紹介し合うことなく、それぞれ自分で自由に付けた名前で呼び合うことになっています。ですから、お互いの本名も知らないことになっています。もちろん、知っている牧師も参加していることがありますが、普段の話などはしません。ちなみに、今回の私の名前は「イーグルスさん」。絶好調ですからね。「ベイさん」と名乗る方もおられました。「日本シリーズで会いましょう」と挨拶しましたが、「ウチは無理です」とのこと。 

 静まりの中で、み言葉を黙想し、この半年ほどを振り返る時間を過ごしました。心の疲れが癒される、本当に良いときとなりました。4月からのずっとの疲れがとても軽くなりました。やっと心身の状態が戻ってきた、そんな感じです。

 佐藤牧師は、静まりのリトリートばっかりに参加している、と思われるかもしれませんが、忙しかったり疲れていたりするときこそ、この静まりの時が必要です。少なくとも、私の場合はこの休息がなければ、牧師としての働きを続けることができません。教会の皆さんのご理解、寛容、忍耐のお陰で参加させていただいております。
 1年に一度、8泊9日の長いリトリートが裾野市の修道院で行われています。今年はちょっと無理ですが、できれば来年、参加したいと願い、状況が整えられるようにと祈っております。
 いつもお祈りを感謝いたします。

 

 22日(月)~23日(火)にかけて、教団の教育局主催の説教セミナーが代々木のオリンピックセンターにて行われました。スタッフを含めて16名でした。
 その準備をしながらも、説教について特別に学んだわけでもなく、どこかで教えているわけでもない自分が講師を引き受けてしまって、身の程知らずだなあと思わされたことでした。ですから、その内容は、説教セミナーというよりも、説教者セミナーという感じだったでしょうか。どのように説教の準備をするか、というよりも一歩手前の、説教者としてどのように自分に向き合い、説教に取り組むかということについて、自分が歩んできたこと、考えてきたことを発表させていただいた、という感じでした。
 スタッフの方々のお祈りとサポートのおかげで、なんとか務めを果たしましたが、あれが精一杯だったなという感じでした。
 私としては、スタッフとして参加していた信徒の方の貴重なご意見を伺い、自分に足りない部分について良い示唆を与えられたことでした。これからも思い悩みながら、喜びの知らせとしての福音を届ける説教の務めを果たしたいと思わされたことでした。
 いつもお祈りを感謝いたします。 

 昨日20日(土)は毎年2回行っている仙台静まりのリトリートが名取市にある教会にて行われました。CLSKの太田和功一師をお迎えして、み言葉の黙想、そして各自でこの数ヶ月の振り返りのときを持ちました。昨日は、O兄が召されてちょうど一ヶ月になる日でした。時間の感覚が分からなくなっていたような一ヶ月でしたが、朝からそのことを思いながら、静まりのときを過ごしました。この一ヶ月に起こった出来事に意味を見出すことなど、とても出来ませんが、悲しみや痛みを共にする教会の兄弟姉妹がおられることが、私にとっては大きな慰めであり、支えであることを覚えたことでした。キリストのからだである教会の交わりをとおして、主の慰めが届けられているのだと思います。 

 今日の礼拝は、太田和先生に説教の奉仕をお願いしました。ガリラヤ湖において、突風に悩まされている弟子たちの姿が、今の私たちの教会が置かれている姿と重なりました。 

「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコ4章38節/新改訳) 

 神にぶつけたくなる様々な思いを抱えている者たちに、嵐の中にあってもなお信頼して安んじることのできる父なる神が私たちには与えられていることが恵みの言葉として語られました。幸いな礼拝でした。 

 午後の部会では、女性会はみ言葉の分かち合いを行いました。男性会は太田和先生にも加わっていただき、先月召された二人の兄弟たちの思い出を語り合うときを持ちました。また、先月結婚されたAさんご夫妻から送られてきたラスクをいただきました。 
 いつもお祈りを感謝いたします。

 今日は礼拝後、年2回行われる教会清掃の日でした。あいにくの雨天でしたが、床にワックスを塗り、ガラス窓を拭き、洗濯のためにカーテンを取り外し、といういつもの作業をしました。私は教会清掃がある日は他の教会での奉仕で留守にすることが多いため、娘からは「お父さん、教会清掃の日はいつも居ないね」と言われたことがありましたが、別にさぼっているわけではありません。こちらの教会で午後に委員会などがない日を選んで他の教会に行くため、どうしても教会清掃の日と重なってしまうことが多くありました。今日は久しぶりに皆さんとご一緒に奉仕ができました。

 掃除をしながら、誰も口には出しませんでしたが、きっと皆さんも「(先月召された)O兄はいつもワックスがけをしてくださっていたなあ」と思い出しておられたことでしょう。お二人の兄弟たちの召天があまりにも突然であったため、私の中ではそのショック状態がまだ続いている感じです。しばらく時間がかかりそうです。おそらく、これから一年間、さまざまな行事のたびごとに、O兄らのことを思い出しながら過ごすことと思います。そのような日々を重ねながら、その事実を心に受け止めていくのでしょう。 

 それらを思うとき、このように教会の皆さんと一緒に奉仕ができることが、なんだかとても嬉しく、幸せに感じたことでした。

 いつもお祈りをありがとうございます。

 今日は、教会教区再編委員会の奉仕として、武毛教区の教区会に出席しました。武毛教区は、栃木県にある6つの教会と埼玉県にある3つの教会、合わせて9つの教会からなる教区です。今日は宇都宮教会にて行われました。いつも、新幹線では通り過ぎるばかりで、宇都宮駅で降りたのは初めてでした。
 この宇都宮教会はかつて弘前教会におられたT先生ご夫妻の牧会しておられる教会です。ご夫妻ともお元気でご活躍のようでした。また、福島教会におられたT先生も武毛教区の教会で奉仕しておられ、同じくお元気で出席しておられました。
 全国の教区において、それぞれ厳しい状況の中にある教会が、今後、どのように考えていくべきなのかを一緒に話し合うために、再編委員会から派遣されてお話をしてきました。どこも同じような課題を抱えながら、最善の道を選ぼうと模索しています。このような話をする中で、いろいろな難しさがありますが、信徒の方々が主を礼拝する機会を奪われることがないようにと願うことです。改めて、地方の苦闘する教会を支えている信徒の方の貴重さを教えられたことでした。