「天におられる神に祈る」
(マタイ6:5-15)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 「主の祈り」において、まず「天にいますわれらの父よ」と神に向かって呼びかけるようにと主イエスは教えられました。キリスト教信仰における祈りは、相手ははっきりしないような独り言の祈りではありません。「このお方に向かって祈りなさい」と主イエスは語られました。
 「天にいます」とは、物理的、空間的な意味ではありません。上空の遙か彼方に、宇宙の果てに神がおられる、というのでないのです。「天」とは、神がおられるところを意味します。地上に生きる私たちとはかけ離れた存在としての神を意味します。「はじめに神は天と地とを創造された」と聖書が始まっているように、この世界の全てを造られた神がおられる、ということがキリスト教信仰の大切な土台です。人間が神を造り出すのではなく、人間とこの世界を造られた神がおられるのです。そのお方に向かって、「天にいますわれらの父よ」と呼びかけるようにと主イエスは言われます。
 ただ、そう呼びかける私たちは、地上のさまざまなことに振り回されて生きています。その苦しみの中で、天の神に地上の私のこの苦しみや悩みが分かるはずがない、とさえ思ってしまうことがあります。しかし、私たちが忘れてはならないことは、私たちが目を上げる天は、復活された主イエスが帰って行かれたところです。天の神に呼びかけるとき、その傍らには、主イエスがおられます。私たちのために十字架で命を捨ててくださった主イエスが、天の神の右におられ、私たちの祈りをとりなしておられるのです。
 だからこそ、私たちは主イエスを頼みとし、大胆に、「天にいます神よ」と呼ぶことができるのです。
(仙台南光沢教会 佐藤信人牧師)