「弱った者に力を与える主」
(イザヤ40:27-31)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされ、指導者を始めとする民はバビロンに連行されました。囚われの身が長く続くことにより、民の信仰は疲れ果て、神への不信と虚無感に覆われていました。
 預言者イザヤをとおして、神への不信を口にする民に対して、「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる」と励ましました。「力を得る」とは、「力を入れ替える」ということです。力の源が自分から主に変わるのです。わしが古い羽を落とし、新しい羽に変えることによって高く舞い上がる力をもう一度得るように、神への信頼に生きることによって、信仰者は新しい力を得ることができるというのです。
 そのために、「主を待ち望む」ことが求められていますが、このときのイスラエルの民は、神の姿を見失っていました。バビロニア帝国の力に目を奪われて、自分たちが信じる神がどのようなお方であるかが分からなくなっていたのです。そこで主は、「あなたは知らなかったか」と問いかけます。それは、主がいかなるお方であるかを思い起こせ、ということです。天地を創造し、イスラエルの民をエジプトから救い出された力ある神が、彼らの神なのです。信仰者は、神がいかなるお方であるかを聖書の言葉によって新しく思い起こすことによって、尽きることのない新しい力を得るのです。
 新型コロナウイルス感染症の影響により、疲れ果ててしまいそうな私たちですが、主の足もとに倒れ伏し、私たちの主がいかなるお方であるかを思い起こして、新しい力をいただこうではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)