伝道者パウロの身に、「なぜこのようなことが起こるのだろうか」という出来事が起こっていました。世界の中心地ローマに着いたものの、牢獄につながれ、自由に伝道することができずにいたのです。私たちも、思ってもいなかった出来事に苦しみ、戸惑うことがあるものです。
ところが、パウロはここで、思ってもみなかったことが起こったことを驚きと共に報告します。「わたしの身に起こった事が、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい」と。パウロが投獄されたことにより、宣教のわざが停滞してしまったと思われていたのが、そうではなく、そのことによって宣教が進んだというのです。牢獄でパウロを監視する兵士たちに福音が伝えられるようになり、またパウロに代わって熱心に宣教する人たちが次々と起こされていったというのです。自分の働きという視点から、神のわざに視点を移して物事を眺めたとき、全く違った光景が広がっていたのです。かえって神のわざが前進していたのです。
ただこれは、あくまでパウロ本人が「私の身に起こったことが」と言った言葉であって、他人が「あなたの身に起こったことが」と言うべきものではありません。私たちが神のみわざを受け止めるまでには時間がかかるものだからです。辛く悲しい出来事に対して、「これも良かったのだ」と無理に自分に言い聞かせる必要はありません。
確かなことは、神はあらゆる出来事の中に生きて働いておられ、逆転のわざを行ってくださるお方です。「私の身に起こったことが、むしろ」と言わせてくださる神がおられることを信じて、「あなたこそ私の主」とひれ伏そうではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)