「命をかけた同労者」
(ローマ16:1-6)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ローマの教会に宛てた手紙の最後で、パウロは長い挨拶の言葉を書き記しています。まだ訪れたことのないローマの地でしたが、これだけ多くの信仰の仲間が帝国の都ローマに移り住んでいたようです。
 そこに、プリスカとアクラという夫妻が登場します。パウロが第二次伝道旅行の途中、コリントでこの夫妻に会い、天幕造りを仕事とする同業者であったことから、パウロはアクラ夫妻の家に住み込み、一緒に仕事をしながら、共に伝道しました。そのプリスカとアクラ夫妻のことをパウロはここで「同労者」と呼んでいます。自分のしもべではなく、同じ主イエスに仕える者であり、対等の立場にある者だというのです。
 私たちプロテスタント教会は、「万人祭司主義」に立ち、牧師も信徒も身分の違いなどなく、神の前に等しく祭司であると理解します。牧師と信徒はあくまで職務の違いであり、同じ主人に仕える同労者です。
 このアクラ夫妻は、「わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれた」と紹介されています。パウロのため、福音のために命がけだったというのです。それはパウロ自身が福音のために命をかけているのを目の当たりにしたからでしょう。そして、パウロが命がけだったのは、仕える主イエスご自身が私たち罪人のために命を捨ててくださったからでした。十字架で命を捨ててくださったキリストの恵みを深く知ったとき、パウロは命をかけて奉仕する者となりました。
 この命がけの働きは、同じような命がけの同労者を生み出します。私たちも、主イエスの恵みに命をかけて応えていきたいと願います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)