「主にあって将来を望み見る」
(ローマ15:22-29)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはこの手紙のしめくくりにあたり、今後の計画について伝えています。それは、なんとかしてローマに行きたいという熱望を伝えるものでした。これまでも、パウロは何度もローマに行こうとしたものの、その計画がことごどく妨げられてきたと言います。
 ただ、念願のローマ行きはパウロにとっては最終目的地ではなく、あくまで経由地であり、ローマを通ってイスパニヤ(今のスペイン)に行きたいという願いを表明しています。そのイスパニヤ行きは片道切符の旅であり、もはやローマには戻って来ないことを覚悟していました。
 そのような今後の計画を表明しつつ、実際的な計画として、キリスト教の中心地であるエルサレムへ行くことを知らせます。飢饉で苦しんでいたエルサレム教会の信徒たちを援助するために諸教会から預かった献金を届けるためでした。コリントにいたパウロにとり、ローマとは全く反対方向になりますが、これは自分の責任と受け止めていたのです。
 その後、パウロがどうなったのかは使徒行伝に記されています。エルサレムで捕らえられたパウロは、囚人としてローマに連行されることになりました。パウロが考えていたのとは全く違う形でローマに行き、イスパニヤには行くことなく、そこで処刑されたと伝えられています。パウロの計画どおりには進まなかったのです。しかし、パウロはそのことを不満に思ったりはしなかったでしょう。「万事を益としてくださる神」を信じていたからです。
 私たちの歩みも、自分の願いどおりには進まないものです。けれども、全てを最善に導いてくださる主を信じて、希望をもって生きることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)