「共に祈る教会」
(使徒行伝12:1-17)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 エルサレム教会の迫害を始めたヘロデ王は、教会の中心指導者であるペテロを捕えて牢に投げ入れました。ペテロは厳重な監視下に置かれ、脱獄は絶対に不可能な状態でした。教会の祈祷会では、ペテロのために熱心な祈りがささげられました。
 すると処刑される前夜、み使いがペテロのもとに立ち、ペテロは不思議なようにして牢から解放されたのでした。これは神のみ業であるとわかったペテロは、直ちに祈祷会へと向かいました。そこには大勢の人が集まって祈っていましたが、ペテロが解放されたと女中から報告されても、彼らは全く信じようとしませんでした。彼らは熱心に祈りながらも、そんなことはあり得ないとどこかで思っていたのです。
 しかし、まさかと思いながらも祈らずにはおれなかったその祈りの中で、神は奇跡を起こしてくださいました。私たちは、自分の祈りの熱心さによって神を動かして何かをしていただくのではありません。しかしながら神の恵みのみ業というのは、私たちの祈りの中でこそ起こるのです。
 ですから神はたとえどんなに不信仰な祈りであっても、私たちが祈り願うことを喜ばれ、待っておられます。その祈りを通して私たちに恵みのみわざを行おうと、神は私たちの祈りをいつも待っておられるのです。
 教会は迫害という試練の中で、かえって祈りの共同体として整えられていきました。私たちもこの非常事態において、ネットによる祈祷会で共に祈ることの心強さ、ありがたさを改めて実感したいと思います。私たちも「共に祈る教会」なのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)