「『彼ら』の中に私がいる」
(ルカ23:32-38)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

ユダの裏切りによって捕らえられ、ピラトによる裁判によって十字架刑が決まった主イエスは、自ら十字架を背負ってゴルゴタの丘へと上って行かれました。
 二人の強盗と共に十字架に十字架にかけられたとき、主イエスは真っ先にこう祈られました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。自分が殺されようとしている土壇場で、主イエスはご自分のことを祈るのではなく、自分を十字架につけた人々のために祈られました。
 主イエスが赦しを祈られた「彼ら」の姿を、著者ルカは淡々と記します。主イエスの着物をくじ引きして分ける人々。野次馬として見物する人々。主イエスをあざ笑う役人たちとローマの兵士たち。一緒に十字架のつけられた強盗まで、主イエスに悪口を言い続けました。彼らに共通しているのは、主イエスが神の子救い主であることを否定することでした。「自分を救えない救い主など、本当の救い主ではない」と言うのです。
 そのような「彼ら」のために、主イエスは父なる神に赦しを願い求められました。「彼らは何をしているのか、わからずにいる」というのです。人々は皆、自分たちが救い主を殺す大きな罪を犯していることを全く知りませんでした。そして、主イエスはその彼らを救うために、あえてご自分を救うことをされませんでした。ご自分の命に代えて、彼らの赦しを求められたのです。
 その「彼ら」の中に私たちがいます。私たちも、自分が何をしているのか分からない罪人です。私たちの罪は、主を十字架につけるほどに大きいのです。そのことを素直に認めるとき、私たちはすでに大きな赦しの中に入れられているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)