「悩みの日に我を呼べ」
(詩篇50:15)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主はイスラエルの民に対して、「わたしは神、あなたの神である」と改めて宣言した上で、「悩みの日にわたしを呼べ」と言われました。そう語るのは、イスラエルの民が、苦難のとき、神を呼ぶのではなく、すなわち、神を頼みとするのではなく、いつも人の力を頼みとしていたからです。主こそ神であることを忘れ、人間に過ぎない者たちを神であるかのように恐れていたのです。
 そのような不信の民に対して、「お前たちなど知らない」と言われるのではなく、「悩みの日にわたしを呼べ」と言われます。その上で、「わたしはあなたを助ける」と約束されました。私たちが苦しみの中から神に助けを願い求めるとき、その叫び声は神の耳に届き、それに答えてくださるというのです。
 これはまるで“苦しいときの神頼み”のような感じがします。自分の利益のため、エゴのために神を求める、ご利益信仰と変わらないように見えます。そのために、私たちは「こんな時ばかり神を呼び求める信仰ではいけない」と思って、神の助けを願い求めることを躊躇することがあるかもしれません。しかし、神は「苦しいときの神頼みでもいい、私を呼びなさい」と言われます。なぜなら、必死になって神を呼び求めていくとき、そこで真の神と出会い、「ああ、神は確かに生きておられる」と、神をほめたたえるようになるからです。「わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」と。
 私たち信仰者の人生にも、大きな苦しみに直面するときがあります。そのとき、神ならぬものを頼みとするのではなく、まっすぐに神を予備求める者でありたいと思います。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)