「主イエスのみこころ」
(マタイ8:1~4)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 山上の説教を終えた主イエスのところに、重い皮膚病の人がやってきました。当時、重い皮膚病の人は「汚れている」とされて、町の中に住むことも、神殿での礼拝も許されず、神からも人からも見捨てられるような孤独と苦しみの中で、生きる望みさえも奪われていました。
 この人は、主イエスの前にひれ伏し、主イエスを礼拝し、その後、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」と信仰を告白しました。主イエスにはきよめる力があると信じつつ、その答えは主イエスのみこころに委ねたのです。すると主イエスは、手を伸ばし、身をかがめるようにして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と語りました。
 主イエスのみこころは、この人がきよくなることでした。神との交わり、人々との交わりが回復し、新しい命に生きるようになることでした。そのために主イエスは彼にさわり、その汚れを引き受けて、きよめて下さったのです。これは、イザヤが預言した、私たちのわずらいと病を引き受けることによって、いやしと回復を与える救い主の姿でした。
 イザヤの預言の通り、主イエスは私たちのすべての罪を背負い、十字架にかかります。こうして、私たちの罪を取り除き、私たちに新しいいのちを与えて下さったのです。ここに、なんとしても私たちを救おうとする、主イエスの愛のみこころがはっきりと示されています。
 辛く悲しい日々の中で、主イエスのみこころが分からなくなることもあります。しかし、主イエスを礼拝する時に、十字架に現された主の愛のみこころは変わらないことを、繰り返し知るようになるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)