「救いの時が近づいて」
(ローマ13:11-14)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロはローマ教会の人々に、「眠りからさめるべき時が、すでにきている」と告げました。これはこの世の時間のことではなく、神の時のことです。すなわち、主イエスが再び地上においでになる時、再臨の時のことを指しています。主イエスの再臨が近づいている、というのです。パウロはそれを「救いの時」であると言います。主イエスは私たちを死に定めるのではなく、救いへと定めるために来られるからです。
 その近づいている時に備えて、「やみのわざを捨てて」と進めます。キリスト者が信仰の居眠りをしてしまい、闇のわざにふけってしまうことに忠告を与えています。それらをかなぐり捨てるようにと勧めます。
 さらに、「昼歩くように、つつましく歩こうではないか」と言います。救い主キリストの存在を消し去ってしまうとき、私たちの心は闇に覆われます。だからこそ、私たちは常に造り主なる神を畏れ、「あなたこそ私の主」と光なる主を心の中にお迎えして生きることが必要です。そのとき、キリスト者としてのつつましさ、品位というものが生まれます。
 それは、「主イエス・キリストを着なさい」とあるように、キリストを着た者たちだけが持つ品位です。私たちはすでに、洗礼とともにキリストを着た者たちです。ところが、信仰の居眠りを起こすとき、キリストを脱ぎ捨て、闇のわざを着込んでしまうことがあります。パウロは、繰り返し自覚的にキリストを着るようにと勧めます。私たちはキリストに包まれてこそ、私たちは生きることができます。やがての日、神の審きを受けるときも、キリストに覆われているがゆえに、安心して神の前に立つことができます。主キリストが執り成してくださるからです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)