「聖霊による信仰告白」
(第一コリント12:1-3)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 聖霊の賜物について、コリント教会で大きな混乱が起こっていました。聖霊を受けたと自称する人々が、異言を話したりなどの特異な現象をもって、それを聖霊を受けたしるしと言い張り、自ら誇っていたのです。
 これに対して、パウロはコリント教会の混乱を鎮めるために、聖霊の賜物とはどのようなものなのかを語ります。パウロはまず、彼らが異教徒だったとき、悪しき霊に誘われるままに、興奮・熱狂して自らを失い、恥ずべき行為を行っていたことを思い起こさせます。しかし、聖霊に満たされるということは、決して熱狂することではなく、自らを失ってしまうことでもありません。
 聖霊なる神のわざの中心は、人々が自らの意思をもって「イエスは主である」と告白するようになることです。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」とあるように、聖霊なる神の助けを受けて初めて、人は「イエスは主」と告白することができるようになるのです。
聖霊が地上にお降りになったペンテコステの日、目を見張る様々な現象が起きましたが、その中心は、「イエスは主」と告白する教会がそこに生まれたということです。主イエスご自身、ペテロが信仰を告白したとき、「あなたのその信仰告白を土台として私の教会を建てよう」と言われました。「イエスは主」という信仰こそ、教会の土台であり、その告白は聖霊の助けによるのです。
 私たちは常に、イエスではなく、自らを主人として生きようとする者たちです。聖霊の助けがなければ、「イエスは主」と告白して生きることはできません。だからこそ、私たちは日ごとに聖霊の助けを慕い求めようではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)