「変わることのない神の招き」
(ローマ11:25-36)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 神の民イスラエルに代わり、異邦人である自分たちが救いにあずかったことについて、ローマ教会の中には自分たちを知者だと思い上がる人がいたようです。これに対してパウロは、彼らが立派だったのではなく、ただ神の一方的な憐れみによって救われたことを思い起こさせます。
 その上で、全ての人を救おうとする神の奥義を伝えます。それは、イスラエルが頑なにされているのは、異邦人全体に救いが届けられるまでのことであって、その後は最初に戻るようにしてイスラエルに救いが及ぶというのです。神の御子キリストを十字架につけて殺した民が、やがての日にキリストを救い主と信じるようになる、これは神の奇跡的なみわざです。それが起こるのは、イスラエルを選ばれた神の召しは変わることがないからです。
 このことを、パウロは「神のあわれみ」という言葉で語り直します。捨てられても当然の異邦人である彼らが神の憐れみによって救われたように、神に背き続ける神の民イスラエルも、同じように神の憐れみによって救いに導かれるというのです。その神の憐れみを感謝して受け止めるために、神は人々を一度は不従順の中に閉じ込められたと言います。それは、自分の中には救いの可能性など全くないことを思い知らされた者だけが、神の憐れみを感謝して受け止めるようになるからです。
 この神の深いご計画を知ったとき、パウロは神を讃えずにはいられませんでした。教理を語ってきた前半部分を、パウロは神を賛美する頌栄の言葉をもって閉じます。救いの神の素晴らしさを知った者たちは、神を讃えて生きる者となるのです。