「目から梁を取りのける」
(マタイ7:1~5)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 「人をさばく」とは、人を見下げて批判・非難する態度のことです。私たちは日常的に、このように人をさばきながら生きています。ここで主イエスは、「人をさばくあなたの目には梁がある」と語っています。

 人間のさばきは、不公正で、不正確です。人を正しくさばくことができるのは神だけです。それなのに、私たちは簡単に人をさばきます。さばくことに喜びさえも感じます。誰もが、人よりも一段高いところに立って、人を傷つけて喜ぶ悪魔的な心を抱えているからです。その根底には、さばかれることへの不安と恐れがあり、「人をさばいていれば、自分はさばかれない」という歪んだ安心感があるからなのでしょう。

 しかし、人が人をさばくということは、神の座につくことであり、自分を神とすることです。これは聖書が語る罪です。主イエスが語った梁の正体は、私たちの内に宿る罪でした。主イエスは「まず自分の目から梁を取りのけるがよい」と語ります。しかし罪は、私たちと一つとなるほどに、深く私たちに根付いています。私たちは、自分の力で目から梁を取りのけることはできません。

 しかし主イエスは、私たちの身代わりとなって、罪人の不当なさばきを受け、父なる神から見捨てられるという究極のさばきをも受けて下さいました。本来、私たちが受けるべきさばきを全て引き受け、私たちの目から梁を取りのけて下さったのです。ここに、主イエスの愛がはっきりと示されています。この愛を受け取る時、私たちはさばくことの重荷から、さばかれることへの恐れから解放され、愛に生きる歩みを始めるようになるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)