「神のみ心に支えられて」
(創世記27:1-38)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 イサクは父アブラハムから継承した神の祝福を長男エサウに与え、彼を後継者にしようとようと考えていました。しかし神のみ心は、それはエサウではなく弟のヤコブでした。
 エサウは、たった一杯の煮物と引き替えに長子の権利をヤコブに売り渡してしまうほど、神の祝福を軽んじていましが、それでもイサクは、お気に入りのエサウに祝福を与えようとします。一方、弟ヤコブに祝福を継がせたい母リベカは、ヤコブと共謀してイサクを騙します。そしてヤコブが祝福を受けてしまいました。
 リベカとヤコブのこの行為は、み心にかなったことではありません。しかしイサクはここに、主なる神のみ業を見たのでした。イサクは神のみ心にあえて目をつぶって、自分の思いを押し通そうとしたのです。にもかかわらず騙されて、結局ヤコブに祝福を与えてしまいました。そのことを知った時イサクは、主なる神は生きておられ、人間のあらゆる思いを超えてみ心を行なっておられることをハッキリと悟って、激しく震えたのです(33節)。
 「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」(箴言19:21)。生きておられるまことの神は、たとえ私たちのたくらみや嘘、罪であっても、それさえも用いてみ心を成し遂げることがおできになるのです。
 私たちの人生にも、人の思いや計画を超えて、神のみ心が実現されていきます。私たちを救うために、み子をさえ惜しまずに与えて下さったお方は、どこまでも愛の神です。その神のみ心が 私たちの人生を貫いて、私たちを支えてくださるのです。何とありがたいことでしょうか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)