「主の御名を呼ぼう」
(ローマ10:5-13)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロがこの手紙を書きながら絶えず対峙していたのは、律法を行うことによって義を得ようとする人々でした。しかし、今やキリストを信じることによって義とされる道が開かれました。救いのわざは完成し、その恵みがわたしたちの前に差し出されているのです。
 救いを与える神の言葉は、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と告げています。「イエスは主」とは、原始教会における最も簡潔な信仰告白であり、洗礼を受ける際、ただこの一つの告白が求められました。たった一言の告白ですが、「ローマ皇帝は主」と告白することが強要された時代にあって、「イエスは主」と告白することは自分の存在をかけた告白でした。
 この信仰告白について、私たちは心に信じた後に、「イエスは主」と告白できるようになるのではないか、順番が逆ではないかと思います。これは礼拝の様子を思い浮かべるとよく分かります。まだ神を信じる前の人が、信仰者に混じって礼拝に出席し、人々と同じ信仰の言葉を口にします。そのような礼拝生活の中で、自分が口にしていることを「信じる」というみわざが起こります。聖霊が働いて、そのような信仰告白へと導いてくださるのです。
 この信仰による救いは、全ての人に及び、そこには何の差別もありません。「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるとおりです。パウロは、私たちが信仰をもって主の名を呼ぶようにと勧めます。「主よ、私を憐れんでください」と求める者たちを救ってくださいます。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)