「私たちを造り生かす神」
(ローマ9:19-29)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 神が人間に対して絶対的な主権を持っておられる方であることを語ったパウロは、人々から出るであろう問いを取り上げます。「なぜ神は、なおも人を責められるのか」。罪の責任は神にあるのではないか、という人間の心の中にある問いです。
 これに対してパウロは、「神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか」と問い返します。神によって造られた存在である人間が、造り主である神に対して「なぜ自分をこのように造ったのか」と問うことがあるはずないではないか、と言うのです。
 ここで、パウロはキリスト教信仰の大切な土台である、神が造り主であり、人間は神によって造られた存在であることを明示します。この創造者と被造物との関係は、決して逆転できない絶対的な関係です。陶器師が自分の意のままに自由に器を造るように、主権者なる神は絶対的な主権を持っておられます。ところが人は、この秩序を逆転させて、自分が主人になろうとします。これこそ、聖書が語る罪です。神を否定し、自分が主権者になろうとするのです。「あなたは何者なのか」と問うのは、向きを変えて、本来のあるべき姿に戻るようにとの呼びかけです。
 造り主である神は、神に滅ぼされても当然の怒りの器に対し、大いなる寛容をもって忍耐し、あわれんでくださいました。私たち罪人を生かすために、御子キリストが十字架において神の怒りを受けてくださいました。神は、御子キリストを身代わりとするほどに、私たちをあわれみ、「あなたは尊い」と告げておられます。この神のあわれみが注がれていることが分かるとき、神に感謝して生きる者へと変えられるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)