「私たちを救う神の計画」
(ローマ9:6-13)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 同胞イスラエルの民が救われて行かない現実を前に、パウロは「神の言葉は無効になってしまったのか」という問いを提出します。これに対して、神の約束の言葉が無効になったのではなく、ヤコブの子孫だからといって全てがイスラエルとなるのではないこと、肉の子がそのまま神の子ではないと語ります。これはユダヤ人からすれば決して認めることのできない驚くべき言葉です。
 そのことを、アブラハムの子を例にして語ります。神は、妻サラに子が生まれるという約束の言葉を信じられなかったアブラハムとサラに、イサクを与えてくださいました。彼らの不信仰にもかかわらず、約束の言葉を成就してくださったのです。
 さらにパウロは、イサクの子として生まれた双子の兄エサウと弟ヤコブの選びについて取り上げます。妻リベカが子を宿したとき、神は「兄は弟に仕えるであろう」と告げられました。まだ子が生まれる前ですから、人間のわざによるのではなく、ただ一方的に神がヤコブを選ばれたということです。人間的には、ヤコブは問題があるような人物です。ところが神は、そのヤコブをイサクの跡取りとして選ばれました。
 なぜ神はエサウではなく、ヤコブを選ばれたのか、その理由は「神がそのように選ばれた」としか説明できません。神がそのように計画されたということです。
 その神は、救いの計画の中心として、御子キリストを世に遣わし、十字架につけられました。私たちを救うために、驚くべき恵みのわざをなしてくださいました。そればかりか、私たち一人一人を救いの計画の中に入れてくださいました。私たちが救われたのは、神の一方的な選びの恵みによるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)