「同胞の救いへの熱情」
(ローマ9:1-5)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 9章に入り、パウロは偽らざる思いを語ります。それは大きな悲しみであり、絶えざる心の痛みであると言います。それは、自分の肉親や同胞のユダヤ人がキリストを信じようとしないことです。パウロは異邦人に対して熱心に伝道しながらも、同胞ユダヤ人が福音を拒み続けていることに痛みを覚えていました。
 それがなぜそれほど大きな悲しみであるかというと、キリストを拒み続けるならば、「彼らの最後は滅びである」(ピリピ3:19)ということをよく知っていたからです。この事実は、私たちにとっては考えたくないことであるため、その霊的な現実を見つめることをいつも避けてやり過ごしてしまいます。けれどもパウロは、逃げることなくその悲しい現実を見つめ、深く悲しんでいました。
 その肉親や同胞の救いに対する熱情がほとばしり出て、驚くべき言葉を口にしました。「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない」(3)。「のろわれて」という言葉は、「アナテマ」というギリシャ語の言葉で、教会から除名や破門をするときに使われる激しい言葉です。パウロは、肉親や同胞が救われるなら、私が代わりに神に呪われ、捨てられても構わない、と言ったのです。直前の8章の終わりで、「神の愛から引き離されることは決してない」と福音の確かさを高らかに宣言したパウロが、同胞のためなら、その神から引き離されてもいい、と言ったのです。
 パウロが誰かの身代わりにはなれませんが、御子キリストは私たちの代わりに呪われた者となるため、この世に降り、十字架にかかってくださいました。この大きな恵みのゆえに、クリスマスを喜び祝うのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)