「神が私たちの味方」
(ローマ8:31-39)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ローマ8章の最後の段落は、この手紙だけでなく、聖書全体における一つの頂点、クライマックスであると言われます。ここに、救いの喜びが高らかに歌い上げられています。
 パウロはこれまでの内容を要約して、「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」と問いかけます。この「もし」は不確定な「もし」ではなく、「確かに神はわたしたちの味方なのだから」との意味です。そのとき、もはや神を信じる者たちに敵対できる者は誰もいない、と語ります。 信仰者に敵対する勢力は、神の前で私たちを訴え、罪に定めようとします。「この人にはこのような罪があるではないか」と訴えて断罪するのです。そして、私たちはそのような声に惑わされて、「私のような者は、とてもクリスチャンとは言えない」と、自ら罪に定めてしまうことがあります。
 けれどもパウロは、神がなされた救いのわざを指し示して、「敵対できる者は誰もいない」と告げます。父なる神は、御子をさえ惜しまずに私たちのために死に渡されたではないか、と。私たちの側にその資格があったからではなく、私たちがまだ敵であったときに、御子キリストは十字架で死んでくださいました。そしてキリストは今も、神の右の座にあって私たちのために神にとりなしをしておられます。この御子キリストがおられるからこそ、私たちは安心することができるのです。
 クリスマスにおいて、御子キリストは私たちの味方となるために、天の王座を降り、人となってこの世に来てくださいました。この神が私たちの味方としておられるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)