「わたしたちの天の父」
(マタイ6:25-34)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主イエスは、食物や着物のことで「思いわずらうな」と語りました。空の鳥を養い、野の花を装って下さる神が、「わたしたちの天の父」だからです。そう分かっていても、日々の生活で起こる様々な問題や、これから起こることへの不安が、時には変えられない過去が、私たちを思いわずらいへと引き込みます。
 思いわずらいとは、「自分にとってとても大切なことに囚われて、心の中が一杯になってしまうこと」です。これは、私たちの霊の命に関わる大きな問題です。不安や心配で一杯になった心の中には、神の居場所がなくなり、神が見えなくなってしまうからです。
 そんな私たちに、「わたしたちの天の父」を現すため、神の御子が人となってこの地上に降られました。私たちと同じ生きる悩みや苦しみを味わい、その生涯の最後には私たちの罪を全て背負い、十字架にご自分の命をも投げ出して下さいました。私たちの罪を贖い、神の子として迎え入れるためです。主イエスを見つめる時に、父なる神がどのようなお方かが分かります。わたしたちの天の父は、御子の命よりも私たちを大切にして下さるお方なのです。
 私たちは、愛されている神の子として、天の父をさらに深く知ることように求められています。これが、「まず神の国と神の義とを求める」ことです。私たちは、思いわずらいの只中でも、主の祈りや詩篇の祈りを通して、神の国へと心の中心を移すことが出来ます。詩篇の言葉をなぞるように、耳を傾ける中で、「父なる神が、主イエスがどのようなお方なのか、自分は何者なのか」という所に帰ることが出来るのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)