「私たちの内に宿る聖霊」
(ローマ8:1-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロは、人は肉によって生きるか、霊によって生きるか、そのどちらかであると語ります。肉とは、罪に支配され、自分の思いのままに生きようとする生き方を指します。霊とは、ここでは神の霊、キリストの霊としての聖霊を指します。神の霊によって新しい命が注がれ、人は健やかに生きることができます。
 果たして自分はどちらだろうか、と思う私たちに、パウロは「神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである」と告げます。この「神の御霊が内に住む」ということが、「キリストが内におられる」と言い換えられています。聖霊が私たちの内に住んでくださることによって、キリストが私たちの内に住んでくださる、という驚くべき恵みが起こる、というのです。
 ここで9節から11節にかけて、「もし」という言葉が繰り返されていますが、ローマのキリスト者たちに対して、「あなたがたはどっちだ」と問いかけているのではありません。なぜなら、キリストと結びつく洗礼を受けた者たちは、すでに聖霊を受けた者たちだからです。すべてのキリスト者は、洗礼によって神の霊、聖霊を受けた者たちです。神の霊が内に住んでおられないキリスト者などいないのです。
 これは、私たちがそのように感じるか、感じないかではなく、「我は聖霊を信ず」と使徒信条で告白するように、信じるべき事柄です。私たちの内に住んでおられる聖霊の確かな導きによって、私たちは「イエスは主」と告白し、神に向かって「アバ、父よ」と呼ぶことができる恵みが与えられているのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)