「天国はわたしたちのもの」
(マタイ5:1-10)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主イエスは「山上の説教」の最初に、「こころの貧しい人たちは、さいわいである」と語りました。ここで、「こころ」と訳されている言葉は「霊」とも訳される言葉です。人間にとっての霊は、神と人格的な交わりを持つ大切な場所です。また、「貧しい」とは、物乞いをしなければ、自力では生きていけないほどの徹底した貧しさを意味します。「こころの貧しい人」とは、神との関わりにおいて徹底的に貧しい人、神の憐れみを頂かなければ自分の力では生きていけない者のことです。
 本来私たちは、そのような存在のはずです。今を生かされているのは、神の憐れみによるものですし、神との交わりがなければ、私たちの霊は枯れるように命を失います。ところが、私たちにはその自覚がないために、神抜きで自分の力だけで生きようとして、神との交わりを自ら断ち切ってしまうのです。
 こころが貧しいにもかかわらず、神をなきものにしようとする私たちに、主イエスは「天国は彼らのものである」と語りました。天国は、神が愛と恵みをもって支配される場所です。主イエスは、私たちに天国を与えるため、神の栄光を捨て、人となって私たちの所まで来て下さいました。十字架に命を捨てるほどに貧しくなって、私たちの罪を贖って下さいました。主イエスを信じ、洗礼を受けた者の内には、聖霊が住んで下さいます。聖霊によって、主イエスが、どんな時も私たちと共にいて下さるのです。このお方を、「私の主、私の神」と仰ぐ時、私たちの心の内が天国になります。主イエスが、私の神として、愛と恵みをもって支配する場所になるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)