「遣わされて生きる」
(エステル記4:1-17)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

ハマンの陰謀により、ペルシャ帝国のユダヤ民族が全滅させられる法令が定められました。モルデカイは、ユダヤ人を救ってくれるようにペルシャ王に頼みなさいとエステルに命じますが、彼女はその責務の重圧ゆえに躊躇します。
 そのようなエステルにモルデカイは、神の民の共同体意識をもって、この一大事を自分の問題として受けとめよ、と訴えました。さらに、あなたが王妃に選ばれたのは、まさにこの時のためではなかったのかと迫りました。
 するとエステルは葛藤の末に、「法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」と決断しました。エステルは神が自分をこの国に遣わして用いようとしておられることを信仰によって確信し、それに応えて自らを主に差し出したのでした。
 私たちも、神の民としてここに遣わされている、という自覚と喜びをもって生きるときに、「主はこのために私をここに置いておられるのでは?」と思うことが起きてくるでしょう。そのときは私たちも、「私を用いてください」と主のみ手の中に自らを差し出していきたいと思います。そこでみ業を成してくださるのは、私たちではなく主ご自身です。
 誰よりもまず主イエスが、十字架の上で私たちにご自身を差し出してくださいました。その愛を知っている私たちは、ただ主の十字架の恵みによって、遣わされた場所で神と人に仕えて生きることができるのです。 
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)