「聖霊に導かれる主の証人」
(使徒行伝1:1-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 復活された主イエスは、天に帰られる直前、父なる神が約束された聖霊が降るのを待っているようにと弟子たちに言われました。その聖霊が降るとき、弟子たちは力を受けて、地の果てまで主の証人となる、というのです。最後の晩餐の席でも、聖霊について紹介されたとき、「わたしについて証しをするだろう」と言われました。聖霊の中心的な働きは、キリストを証言することでした。 
 ペンテコステの日、主が言われたとおりのことが起こりました。聖霊が降ったとき、ペテロは弟子たちを代表して大胆にキリストを証しし、「十字架につけられたイエスこそキリストである」と人々に語りました。その結果、キリストを信じて洗礼を受けた人たちは三千人にも上り、教会が地上に初めて誕生しました。 
 かつてペテロが「あなたこそキリスト」と告白したとき、主イエスは、その告白をさせたのは神のわざであり、その確かな信仰を土台として教会を建てると約束されました。教会は、「イエスは主」と告白するところに建てられます。けれどもその告白は人間の力では出来ません。パウロも、聖霊の導きがなければ、「イエスは主」と告白できないことを語っています。ペテロも、主イエスが捕らえられたとき、「イエスなど知らない」と否定しました。信仰告白を貫くことができなかったのです。 
 ペテロだけでなく、私たちも信仰を公にすることによって自分の立場が悪くなるようなとき、聖霊の導きと助けがなければ、「イエスは主」と告白することができません。だからこそ、聖霊の助けを私たちは常に仰ぎます。私たちは聖霊の導きによって、主の証人として生きるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)