「苦難をくぐり抜けて」
(ローマ5:1-11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 パウロは神との平和が与えられた者として、「患難をも喜んでいる」と語ります。患難の中でも喜ぶというのではなく、患難そのものを喜ぶと言います。わたしたちは苦しみは喜びを奪い去るものとして、急いで取り除きたいと願うものです。
 パウロは、患難をも喜ぶ理由として、「患難は忍耐を生み出し」と説明を始めます。大きな苦難に襲われるとき、そこから逃げ出したいと思うものですが、神を信じる者たちは、なおそこに踏みとどまります。苦しみの中にあって、神の目が注がれていることを信じるからです。
 さらに、「忍耐は錬達を生み出し」と続きます。錬達とは、金属を熱して不純物を取り除くことを意味します。苦難を耐え忍ぶことをとおして、信仰における不純物が取り除かれていき、本物の信仰者へと形づくられていく、ということです。これらは工場で製品が造られるときのように自動的に生み出されるものではなく、神の御手の中で時間をかけて整えられていくものです。
 そして、「錬達は希望を生み出す」と続きます。それは自分の可能性にかける希望ではなく、「神が確かにおられる」という信仰に基づく希望です。パウロは、「希望は失望に終わることはない」と断言します。
 その理由として、「わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」と言います。どんなに大きな苦しみが襲ってきても、御子キリストを十字架に与えてくださった神の愛は決して変わることなく、わたしたちを裏切ることはありません。この神の愛に支えられて、苦難をもくぐり抜けることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)