「私たちを生かす神の言」 (マタイ4:1~11)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主イエスは荒野での断食の後、深刻な飢えを覚えました。その時、悪魔は「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と語ります。それが可能ならば、良い提案にも思える言葉です。しかし悪魔は、神の言葉にではなく、自分の言葉に従わせることで、主イエスを神から引き離そうとしたのです。
 主イエスを信じ、神の子とされた私たちにも、悪魔の試みの声は響いています。痛みや苦しみの中で、「もし私が神の子なら、神はこの苦しみを取り去ってくれるはずではないか?」と自分の内なる声が語りかけます。私たちを神から、神の愛から引き離そうとする声です。
 主イエスは悪魔に対して、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と、みことばをもって答えました。これは、「命を与える神の言葉に聴きなさい」という、私たちへの招きの言葉でもあります。
 厳しい現実の中、悪魔の言葉に聞いてしまいそうになる私たちですが、主イエスは、その生涯を通して、神の言葉こそ真実であることを示して下さいました。十字架の苦しみの中でも、「もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」との声にではなく、神の言葉に従い、十字架に留まり続けました。十字架は、みことばが真実であることを証ししています。神の言葉は、私たちが愛されている神の子であることを語ります。この言葉が、私たちを生かします。苦しみの日も、嘆きの日も、十字架を仰ぎ、悪魔の言葉ではなく、神の言葉に聴くことを選び取っていく私たちでありたいと願います。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)