「天にある故郷を目ざして」
(ヘブル11:5-6、13ー16)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 私たちの教会では、この年、4人の方々を天にお送りしました。いずれの方々も、突然、召されてしまいました。聖書の中で、突然死を迎えた人の代表は創世記5章に出てくるエノクです。彼はひたすら神と共に歩んだ信仰者で、「信仰によってエノクは」とヘブル書の信仰偉人伝に名を連ねるような人でした。
 ところが、神はそのエノクを普通の人の半分の寿命でその命を取ってしまわれました。「神が彼を取られたので、いなくなった」と創世記は記します。愛する人を突然奪われた家族の思いが表されているようです。「神が私たちの愛する人を取ってしまわれた」と。
 ところが、ヘブル書はこのエノクの突然の昇天について、創世記とは違う視点で語ります。「エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった」。いなくなったのではなく、神によって天に移されたのだ、と言うのです。地上からはいなくなったものの、移された天において、今も生きていることを告げています。
 私たちは、地上では旅人としての人生を歩んでいます。はるかにまさる天にある故郷を目ざして旅を続けています。そこは、私たちを造り、今も愛し続けていてくださる父なる神がおられます。私たち一人一人の帰りを、住まいを用意しながら待っておられるのです。
 先に天に帰られた私たちの先輩たちは、「ここに、あなたがたの帰る場所、本当の故郷がある」と私たちに語っています。だからこそ、私たちは共に信仰の目を上げて、天の故郷を見つめて生きる歩みを続けていこうではありませんか。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)