「イエス・キリストの真実による義」
(ローマ3:21-31)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 長い罪の記述が終わり、この21節から福音の核心が語られます。神の義が律法とは別に、福音によって示されたとパウロは語ります。人は律法を行うことによっては義とされないことが明らかとなったからです。
 それはイエス・キリストを信じる信仰による義です。このとき注意すべきことは、キリストを信じる私たちの側の信仰が私たちを救う条件となるのではありません。「信仰によって救われる」というとき、私たちは自分の信仰の確かさが救いのカギとなるように考えてしまいます。そのために、自分にはそのような立派な信仰などないと思ってしまいます。「信仰のみ」と言うとき、信仰という人間の側の行為によって救いが与えられるのではありません。
 22節の聖句は、ギリシャ語の原文をそのまま訳すと、「イエス・キリストの真実によって」となります。すなわち、イエス・キリストに対する私たちの信仰によるのではなく、イエス・キリストが持っておられる真実、あるいは信仰が私たちを義とするのです。主イエスが私たちの罪を負って十字架にかけられたことにより、真実を貫いてくださいました。そのキリストの真実、まことが私たち罪人に救いをもたらしてくださったのです。
 この神の義は、信じる全ての人に差別なく与えられます。信じるとは、神が差し出しておられる救いの恵みをただ受け取るだけです。自分にその資格があるか否かということにもはや拘らず、恵みを恵みとして受け取る、ただそれだけが求められています。それが私たちに必要な「信仰のみ」という態度です。私たちではなく、神が救ってくださるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)