「福音を恥としない」
(ローマ1:8-17)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ローマ行きを熱望するパウロは、福音宣教の働きを自分の果たすべき責任、神に対する負債であると語ります。救いの恵みに感謝して、喜びの応答として奉仕するのです。
 パウロはその情熱を、「わたしは福音を恥としない」と言い表します。わたしたちはこのパウロの言葉をどのような思いで受け止めるでしょうか。「お前はどうなのか」と、どこか責められているように感じることはないでしょうか。キリスト者であること、教会に通っていることを他の人に伝えることにより、からかわれたり、愚か者であるかのように見られたりすることがあるからです。福音が私たちの評判や名誉を下げるような事態になると、私たちはそれが耐えられず、福音やキリストを恥とし、関わりを否定することさえあります。
 主イエスの弟子たちはまさにそうでした。誰が一番弟子かと言い争っていた弟子たちが、主イエスが逮捕されると、その関わりを否定し、主イエスを見捨てて逃げ去ったのです。私たちにとり、主よりも自分たちのほうが大事だからです。
 ところが、主イエスはそのような私たちのために、自らの命を捨て、十字架にかかってくださいました。恥とすべき私たちのために自らを犠牲としてくださったのです。それは、ご自分の命よりも、私たちの命のほうを大事されたということです。
 この福音の力、硬い岩をも打ち砕く恵みの力を知るとき、私たちは変えられていきます。私たちのために十字架で死んでくださったキリストを誇りとし、「あなたこそ私の主」と告白する者へと変えられます。それは福音がもたらす奇蹟です。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)