「喜びの悔い改め」
(マタイ3:1-12)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 バプテスマのヨハネは、パリサイ人とサドカイ人に対して「悔い改めなければ、来るべきメシヤである主イエスが、あなたがたに裁きを下す」と宣告しました。彼らは、自分の行いや血筋によって神から義と認められようとしていました。
 その根底にあるのは、受け入れられたい、見捨てられたくないという願いで、誰もが持っているものです。私たちはこれを、自分の力で勝ち取ろうして、自分で自分の正しさを示そうとします。しかし現実には、思うように生きられない自分に直面し、「私はダメだ」と自分を裁くようになるか、「私は、あの人のようではない」と他人を裁くことで安心するようになるのです。人を裁くことが出来るのは神だけなのに、自分が神の位置に立ってしまうのです。
 主イエスは、そんな私たちに「悔い改めよ」と語ります。悔い改めとは、心の向きを変えて、神に帰ることです。神から離れて、自分の力では帰れない私たちですが、主イエスの方が私たちに近づいて下さいました。「悔い改めよ。天国は近づいた。」とは、「わたしの所に帰っておいで。わたしはあなたの側にいる。」という主イエスの招きです。いつでも、どこででも、心の向きを変えて、主イエスに向き直るならば、そこにおられる主イエスを見出します。
 罪を裁く権威を持ったこのお方は、私たちに代わって十字架にかかり、神の怒りの裁きを受けて下さいました。能力や成果ではなく、私たちの存在そのものを無条件に受け入れて下さったのです。私たちは主イエスのみもとで、人を裁くという重荷から解放され、愛されている神の子として生きるようになるのです。
(仙台南光沢教会信徒説教者 横道弘直)