「立ち帰りを待ち続ける神」
(ルカ13:1-9)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 ある人がぶどう園にいちじくの木を植えました。ところが、その木は実がなるべき時が来ても、3年続けて実を結びませんでした。主人は、場所ふさぎでしかないその木を切り倒すように、園丁に命じました。  これは主イエスが話された譬え話であって、キリストの福音を聞いても悔い改めの実を結ばないユダヤ人の姿、そして私たち一人一人の姿を表しています。私たちの場合、神の前にどのような実を結んでいるかよりも、神が自分たちに対してその要求に答えてくださらないことのほうが気になっているかもしれません。自分たちにとって、この神が役に立っていないように思えてしまうのです。そこに、転倒している罪人の姿が露わになります。  この譬えは、「あなたがたは悔い改めなければ滅びるぞ」と脅しをかけているのではありません。むしろ、このような神がおられるからこそ、あなたも悔い改めることができると告げるのです。主人がいちじくを切り倒すように命じたとき、園丁がまったをかけました。手を尽くしますので、もう一年待ってください、と。この園丁は、実を結ばないいちじくの木をどこまでも見捨てることはしないのです。  これこそ、私たちの主イエスの姿です。主イエスは私たちを神の前でとりなし、十字架において私たちに代わって切り捨てられたのです。神を捨てた者たちを捨てることなく、この私の十字架に免じて、彼らを赦してください、と祈ってくださいました。この救い主キリストがおられるからこそ、「あなたこそ、私たちの救い主」と向きを変え、神のもとに立ち帰ることができるのです。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤信人)