「あなたを神はお見捨てにならない」
(マルコ15:34)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主イエスが十字架で死なれた直後の様子を描いた「イーゼンハイムの祭壇画」と呼ばれる絵があります。そこに、主イエスが十字架の死を本当に苦しまれたのだということが大きな痛みをもって描かれています。そして、お読みしているこの聖句には、神の御子が父なる神に捨てられるという絶望的な苦しみが、深い嘆き、切なる叫びとして記されています。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」。
 十字架にかけられて死ぬということは、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」(ガラ3:13)とあるように、罪の呪いを受けて死ぬということです。キリストは律法を完全に行われた方であり、神に捨てられることなどありえないお方でした。そのお方が、神の怒りをその身に受けて、三位一体の神の愛の交わりから断ちきられたのです。その深い苦しみのゆえに、「どうして?」と父なる神に向かって叫ばれました。
 この主イエスの叫びがあるからこそ、「神はあなたをお見捨てにならない」と言い切ることができるのです。私たちに代わって御子が捨てられたからこそ、もはや私たちは神に捨てられることはなくなりました。
 詩篇88篇は、最初から最後まで、詩人は神に向かって嘆いています。どこにも希望の光が見えません。私たちが自らの苦しみをこの詩に乗せるようにしてこれを口にすることができるのは、主イエスの十字架の叫びがあるからです。見捨てられたキリストがおられるからこそ、どんなことがあっても、私たちは神に捨てられることはありません。この大きな恵みのゆえに、私たちは悔い改めの生涯を歩むことができるのです。 
(坂戸キリスト教会 鄕家一二三牧師