「神のことばにかけて生きる」
(列王記上17章・マタイ24:35)

カテゴリー 礼拝メッセージ要約(説教者による)

 主による干ばつが続く中で、エリヤはザレパテに導かれました。そこで出会ったのは、かめに一握りの粉とびんに少しの油しかもたない、極貧のやもめでした。彼女は今まさに小さいパンを作って子どもと共に食べ、死ぬのを待つばかりでした。
エリヤは彼女に言いました。「さあ、神が働いてくださる。恐れてはならない。まず作ったパンを私のところに持って来なさい。その後であなた方のパンを作りなさい。主が再び雨を降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」。
そんなことをすれば、彼女たちの分は無くなってしまいます。しかし彼女は、「かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない」という主のお言葉を信じて、まずエリヤのためにパンを作りました。不安や疑いを抱えつつも、み言葉にしがみつくようにして、彼女は自らの人生を主にかけたのです。するとまさにみ言葉の通り、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかったのでした。
このように神を信じるとは、神の「言葉」を信じることです。そしてみ言葉に自分の問題を委ねていくこと、自分自身をみ言葉に託していくことです。するとみ言葉は生きて私たちのうちに働き、私たちの生活の現実の出来事となっていくのです。
十字架でご自分の命を投げ出すほどに私たちを愛しておられる主は、「天地は滅びても、わたしの言葉は滅びることはない。この私の言葉にかけて生きよ」と、私たちを温かく励ましておられます。私たちも愚直にみ言葉に信頼し、日々の歩みをみ言葉にかけて生きようではありませんか。み言葉が真実であることを味わう人生でありますように。
(仙台南光沢教会牧師 佐藤裕子)